17 えと・おーるつうしん17号 [2001.07.10] ■05号より
■11号より
■12号より
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■16号より
■17号より-1 -2 -3-


不思議日記-1-             by NAGI


日々感じながら、私は生きている

私の父や母は、私が子どもの頃「お前はいろいろ親に注文をつけたり、批判をしたりするが、もうこの年になったら、変われるもんじゃない。お前もこの年になったら分かる」と言っていた。
 今、私はもう、あの頃の父母の年齢を越えた。
 でも、学びつづけたいと思う自分を感じる。変化している自分がある、と思っている。
 すごく自分を未熟で若いと考えている。子どもが発した言葉にはっとして考えこんだり、振り返ったり、進んだり、毎日思いがからだをかけめぐっている。こういう感覚は、父母にはなかったんだろうか。
 時代が違うからかもしれない。生活にゆとりもでき、情報も豊かになって、(こころの面でも)生きることに意識を向けられる時代になったからかもしれない。理由はどうであれ、こうやって日々いろんな問題に向かい合って、揺さぶられながら生きていけることをありがたいと思っている。

中学校で不思議に出会う!?

 この春から息子の中学校のPTA役員になった。以前に子ども会や学校PTAで役員は経験済みだが、少し間があいて、その間の私の変化もあるだろうけど、驚くこと、とまどうことが多い。
 まず、しょっぱな、PTA会長が、総会への出席者が少ないことを残念だと言いながらも「今のところ大きな問題が起こっていない、平和だから集まりが少ないのかもしれないですね」って言ったのには驚いた。うっそーっ。クラスに何人も授業に出ない子がいて、出ている子も立ち歩いたり、私語したり。万引き・喫煙・非行でしょっちゅう先生方が飛び出していっているのに、不登校の生徒数も激増しているのに、学級崩壊して真面目な子は息をひそめて暮らしているのに「問題がない」「平和」なんて、どうして言えるの? 不思議だあ!
 そうやって改めて周りを見まわしてみると、今の学校の状態を「大変だア!」と思っている人ばかりではないとわかった。先生も親もそれほど感じてない。私がおおげさなのかしら、と思えてくるほど。
 そんなこんなで、息子に役員するからにはイッチョがんばってみようか、と言うと「やるからにはとことんやれ。先生には本音で言え。おれは構わん」という返事。なり手がなかったこともあるが、学年部部長を引きうけた。というわけで、不思議と出会う1年が始まった。

 私は、PTAは子どもたちのためにあるものだと思っていた。でもなんか、違うらしい。
 まず、研修旅行という名の観光旅行にびっくり。PTAから何十万円ものお金が出る。それで、一部のお母さん方が親睦のためバスに乗って遊びにいくんだよ。親睦は、神戸やしまなみ海道に行かなきゃできないの? 数十人が何十万円も使って、誰も疑問を抱かないの? こんな「還元率」の低いイベントよりも、地域の専門家を呼んで勉強会を開いたりして交流できないものかなあ。給食問題、安全問題、コミュニケーションの問題など、いくらでも話し合うことはあるよ。
 そう思って、多分ほかのお母さん方もそう感じているのではないかなあと信じて、研修旅行が毎年自動的に決まっているけど見なおして見ませんか、と提案した。しかし、こんなことを思うのは少数派だと、会議を開いてみて初めてわかった。「研修旅行のどこがおかしいの?」と反発された。先生からも、勉強会や講演会を開いても出席者が少ないだろうし、お母さん方に楽しく交流してもらえればいいんですよって言われた。
 感情的な反感さえ示されて、波乱の年度スタートとなった。自分とは違う意見に出会う―これも何かの縁だろう。私も、転んでもただでは起きません。

 「旅物語らくだに乗って」で横田さんが書かれているように私自身この10年「思えば遠くに来たもんだ」という実感。浦島太郎的気分で再び「世間」を味わっている。そんな私の感じた「不思議」を、これからも機会があれば紙面の埋め草につづってみたい。



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