15 えと・おーるつうしん15号 [2001.03] ■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1 -2 -3-
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鳥山敏子講演会「人と人とのいい関係を築くために」
                        スタッフより


●私たちスタッフは、今回の講演会のために「人と人とのいい関係」や「真の大人になるためには」ということを話し合ってきた。一般にいう「いい関係」ではなく、自分が苦しくない、自分が自分としてありつづけられる上での「いい関係」を作っていくためにはどうしたらいいんだろう。鳥山さんなら「それはすべて『自分自身のあり様』だ」というだろうね、などと、講演会のイメージを作っていった。
 しかし、当日、スタッフが予想した以上に鳥山さんは鋭く、深く、突いてきた。ほんとうに「いい関係」ということを、どこのレベルで考えているか、その違いを実感させられた。ああ、わかったつもりでもまだわかっていない私なんだ――鳥山さんの言葉は、批判しているという感じではなく、穏やかに響いてきて、私のこころはさざめきながらも喜びを感じた。 

●スタッフミーティングは居心地のよい場だ。ほんとの話ができる。ご近所との会話やPTAの会話や職場の同僚とこんなにつっこんだ話しをすることは、まずない。私はこの仲間とつながっていけることがうれしい。
 今回こんなことがあった。講演会前日、風邪でダウンした。下見があるのに参加できない。一部のスタッフだけで行ってもらうことにした。以前の私だったら熱があっても行っただろう。でも、これまで一緒に会を開いてきて、ミーティングも重ねてきた仲間なので安心感があった(もっとも家にいても申込電話が鳴りずめで眠れなかったが。これは、うれしい悲鳴)。
 夕方、スタッフのTさんが寄ってくれた。予定の人数をはるかにオーバーした会場にどのように椅子を配置するか、図に書き、計算をして、足りない椅子は、他のスタッフの勤め先から40脚借りてくる算段までできていた。きちっと数の把握ができない私はそのあざやかさにただびっくり。
 当日も、会場設営、受付、講師接待、誘導、熱で頭がまわらない私はなんの役にもたたない状態。でもみんなが自分で動いていた。自分がこの講演を聞きたくて、自ら選んでスタッフをやっているという気持ちがわかる動きだった。だからこそ、自分の役割を「〜ねばならない」ものとして無理をすることもなく、一人ひとりがお話を味わえた、と思う。
 またテーマが深まっていったね、終わりがないね、とスタッフ間で話し合う、その時間も楽しい。

●講演の中で「ワーク」のような形態になったときがありました。参加者の中には、「あばき、はだかにされた」という印象をお持ちの方もいらっしゃったかもしれません。大勢で前が見えなかったかもしれませんが、発言者は自分から手をあげてのことでした。決して鳥山さんの方から当てたというものではありませんので、ご了解くださいね。

●講演テープについて
深い内容でした。よかったらテープを聞いてください。私は今、夜一人のとき聞いています。自分に問いかけながら。
 自分の思いを大事に、自分の言葉を大事に、一つひとつの場面でなるべく自分の気持ちを裏切らないで生きていきたい。ことばの命を感じて、自分に納得して、生きていきたい。

講演テープ  120分1本 送料込み 1000円
       (プライバシーの問題もあり、一部削除した個所があります)
申込方法については、サイトTOPにあるメールアドレスより、お問い合わせください。

●鳥山さんの話をきいたあとの私の講演メモから。
  • 「いい関係」を築くために役に立つことをみんなができるようになったら、退屈しませんか?
  • いい関係――こういうことを求めること自体エゴではないか。
  • 積極的に生きていると、すべての関係が意味あることと思える。自分に必要なものは目の前にすべてそろっている。あとはそれをキャッチできるかどうか。
  • 「孤独」に向き合うと、一人で立っているんだけど、一人じゃないと思える。振り返る相手がいたらいいよね。
  • 自分自身を掘り起こしていかないと、自分の命に失礼ですよね。
  • こころが重くなる――それは何とかしたいという状態で、エネルギーのある状態。
  • その人との関係に取り組むだけの意味のある人が、目の前にやって来る。
  • 「いい関係」って、内的葛藤があり、生きているって実感がある関係。
話を聞いて感じたのは、いい関係、悪い関係というのはないということ。「いい」「悪い」ではなくて、どう感じるか、感じて生きられるかということだった。人と、また自分自身に「感じ」られるか。どんな感じでも、感じられたら、それが生きているということ。生きていることに「いい」「悪い」はないんだね。
 いかに生きるかは、すべてその人の自由なんだ。自分の命に失礼のないように、自分の感覚に敏感に、いつ死んでも後悔しないように、潔く生きたい。私を大切にできるのは、私しかいない。その覚悟を決めること。
 この瞬間、私には赤い血が流れているんだと感じた。自分のからだのなかに、鳥山さんのお話が気持ちよく流れた。私は自分の命を大切に感じながら生きている。「それでいいんだよ」と自分に安心を感じさせてやるために、今日の出会いがあったのだと思った。

●今回ご縁があって、何も知らない鳥山さんの講演会スタッフにいれていただいた。鳥山さんに興味があるというよりも、そこに集まるスタッフに興味があったのだと思う。ミーティングでは「家族」「夫婦」「親子」など身近なことを話していくのだけれど、日頃他人のそんな話を聞く機会がなかったので、人それぞれいろいろあるなあと感じていた。自分のことを書いたら「離婚」に行きついたのも興味深かった。

●私はこのスタッフのほかに平井・堂野講演会のスタッフも兼ねていた。無意識のうちに良妻賢母を目指していた私が、1年ほど前からやりたいことをみつけて飛びまわるうちに、夫はびっくり、戸惑っていたらしい。
 始めは「帰ったらいつもおらんな」とか「一日中家におって、何でカッターシャツにアイロンかかってないん」とか「手抜き料理」とか、チクチクといやみを言われた。少しは言い返したけど、私も家事はきちんとしたかったので、言われないようにがんばった。どこを削るかといったら、睡眠時間しかない。夜中にワープロを打っている私を毎日のように感じていたらしい。

●今回、平井・堂野講演会に夫が来てくれた。そして、託児ボランティアの人たちの送迎もしてくれた。その道中の話や講演会の感想を楽しそうに話して聞かせてくれた。
 講演会翌日、夫は、していない洗濯物を見ても手抜き料理でも、昼寝していても、やさしかった。夫は仕事が大好き。昨日も会議から飲みになり、夜中の3時に帰ってきたらしい。そんな夫は、私が楽しくて帰れなくなる気持ちも、理屈ではなくてわかるのだと思う。私の「覚悟を決めてやりたいことをやる」その覚悟の度合いが夫に感じてもらえたのだと思う。

●頭の隅っこにかすかにひっかかってはいたことですが「自分を見つめる」必要性がびびっと甦った一日でした。「自分を深く見つめる」ことをしなければ、人ともきちんと向き合えないということ、自分ですくっと立つことなんてできないということ。普段の雑事に追われて「深く見つめる」どころか、何に対してもこだわれなくなっていることに改めて気づかされました。
 小さい頃から、人とぶつかることが苦手で、次第にこだわらない方が楽に生きられるんじゃないか、自分を出さないほうが穏やかに過ごせるんじゃないかとも考えてきました。確かにそれは、必ずしもよい人間関係とはいえないかもしれません。単にごまかして、その場、その場を過ごしているきらいもありましから。ただ、私にはそれが自然だったのです。

ところが、最近そんな自分のからだの流れにストップをかけようとする動きを感じるのです。どんどん成長している3人の子どもや、仕事で関わる同僚たちと向き合う場面が多くなってきて、「上手に聞けて伝えられること」を要求されることが度々あります。「上手に聞く」「上手に伝える」どちらも私には苦手なことばかり。  「上手に伝える」ことは、深く考えたうえに「ことばを大切にする」ことだと話されていたように思います。人間は年とるにつれてほとんどの能力が衰えていくけれど、「情」といわれる部分はどんどん深みを増すといわれています。大切に扱われたことばにタイミングよく触れたとき、気持ちがほんわりとしたり、ぷるんと震えたりしますが、まさに「ことば」が「情」にしみるということなのかなあと思います。

●自分は本当に言いたいことを夫に言えないのかもしれない。なぜ? 私は「私が言いたいことを言ってしまうと夫の立場がなくなる」と思っている。なぜ? これって何? 面子がつぶれるということ? でもこれは私が勝手に思っているだけなのかもしれない。実際に話してみて、どんなふうに夫が答えるか,それはその時でないと分からないのかもしれない。
 こうやって講演会にかかわってるのは、本当は自分がどうしたいのか、本当はどう感じているのかということを置き去りにして日々過ごしている自分を変えたいからだろうか。まだまだ「〜しなくちゃ」とか「〜すべき」ということに捕らわれているのかもしれない。



アンケートから

今回の講演会は大きな反響がありました。返ってきたアンケートも100枚を超えました。
その1枚1枚に語られている言葉が胸に迫ってきます。ほんの一部ですが、紹介します。

 今まで「自分について」考えることをしなかった私に気づかせてもらいました。「自分」を深く掘り下げて考えることがなかった――怖かった(?!)いつも人まかせにしていた。他人のせいにしていた…人に流されていた…それは何故なのか。考える機会を与えてもらいました。今この時から「自分はどう思ってるの?」「自分はどうしたいの?」と問いながら生きていきたいと思います。(30代女性)

 私は話をすることに苦手意識があります。それは、自分の感情や考えを言葉にするときに自分の伝えたかったことがうまく伝わらなかったりすることがあるからです。自分の考えをまとめたり、言葉を選んだりするうちに言葉につまったり、話がうまくつながらなくなったりしてしまいます。コミュニケーションをとるうえで、自分が納得できる,自分の思いにぴったりと合う表現を選んで伝えていくということの訓練も、私にとっては必要だと思いました。私は「こうなんだ」と自分が納得していくために。(40代女性)

 「人に期待せず、自分自身もがいていくしかない」ということをいわれたと思いました。私の中によい意味での「?」ができました。自分自身についての「努力してもさけられないつらい経験」は、私の人生にとってなくてはならないすばらしいギフトだったんだなあ、という実感がわきました。今までに何度も、いろんな人の本やお話で、同じようなことを読んだり聞いたりしましたが、自分のこととしてはどうしてもとらえられずにいました。今回初めて、今までの自分のマイナス部分に光をあてることができました。この感覚を忘れずにこれから生きていきたいなと思いました。
 今回、夫を誘ったのですが、男性はほとんどいないのを見て、会場についた途端、ぶーたれていました。そして鳥山さんのお話となるともっと不満が募ったようでした。「講演会というからには学ぼうと思ってきたのにあの態度のデカさは何だ」と怒っていました。私はこの講演会をきっかけに夫とのコミュニケーションをもっと質のよい、深いものにできないかしらという密かなもくろみがあったのですが、見事に夢破れてしまいました。…でもこのことを栄養にして「いい関係」を育てていきたいなあという思いを胸にしています。(30代女性)




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