17 えと・おーるつうしん17号 [2001.07.10] ■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1 -2 -3-
■16号より
■17号より-1 -2 -3-


中島博江さんの「シュタイナー教育と日本の教育」 IN 岡山


 私は中島博江さんに直接会ったことはない。しかし、名古屋のグループが発行している「つながれいのち」で3年間、毎号中島さんが書いてきたものを読んできた。
 中島さんは、5年前まで小学校教員をしていた。熱心で評判のよい先生だったと聞いている。しかし、一生懸命がんばればがんばるほど、どうにもならない矛盾を抱えているのが、今の日本の教育だ。彼女は燃え尽き、長女のみのりさんも不登校となる。当時鳥山さんとも活動をともにしていた中島さんは、そのことがきっかけで、おそらく夫婦のこと、親子のこと、自分自身のことを考えたのだろう。学校を退職して、2人のこどもとともに、半年ブラジルの農村で暮らすことにした。それは、彼女には必要な時間だったと思う。帰国後、離婚し、お金を工面し、子どもとともにドイツに飛び立つ。その間、父親が癌で亡くなる。
 中島さんは、父親に離婚届の証人になってもらおうと思い、なぜドイツ行きを決めたのか、なぜ夫とうまくいかなかったのか、これからどうしていきたいのか、話す。彼女はそれを「世間を教えるだけの父ではなく、私にとっての唯一の、私にとっての固有の父になったもらいたかったからだ」と言う。そして、「彼は私の父になって」死んでいく。私は、そこに、中島さんの真剣な生き様の一端を感じ、胸をうたれた。

 今、中島さんは、ドイツのニューレンベルクで、シュタイナー教員養成課程に通っている。二人の子どもさんもシュタイナー学校の生徒だ。経済的には切り詰めた生活だが、顔をまっすぐ上げて「自分の」生活を送っている様子が、「ドイツ便り」からうかがわれる。
 日本で精一杯の教員をやってきたからこそ、中島さんのシュタイナー教育への関わりはより深いものがあると思う。きっと、教育の話だけではなく、人生の、深いところの話が出てくるのではないかと期待している。                      (NAGI)


元小学校教師 現在ドイツニュールンベルク
シュタイナーシューレ教員養成課程
中島 博江さんを囲んで

シュタイナー教育と私
  ――日本の教師、親たちに伝えたいこと

  ●シュタイナー教育とは
  ●シュタイナー学校の毎日
  ●なぜ私はシュタイナー学校教員への道を選んだのか
  ●シュタイナー教育から見た日本の教育の問題

 日 時 : 2001年 8月26日(日)14:00-16:00
 場 所 : 福浜公民館(岡山市福富中)
 ※岡電バス 岡山駅発 天満屋経由 中央市場行 又は 労災病院行
      「福浜小学校前」下車 徒歩3分
 ※駐車場もあります 



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