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えと・おーるつうしん12号
■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1
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■16号より
■17号より-1
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愚かといわれようが、報われなかろうが、ただやり続けるだけ。
心にともったひとつの思いがあれば、なんにも怖いものはない」
ある日、何気なくテレビを見ていると、こんな人のことが紹介されていた。
by NAGI
新聞配達をしながら一人暮らしをしていたAさんは、幼い頃自分にとって命の宝庫だった「谷地干潟」が埋め立て地として計画され、ごみ捨て場状態になっていることを知る。久しぶりに訪れてみた干潟は、ごみの山、ヘドロが堆積し、悪臭がして、生き物の影も見えないありさまだった。居ても立ってもいられずAさんは、まず、埋め立て計画反対の署名運動に加わった。しかし、署名は思うように集まらず、運動は閉塞状態。
Aさんは、とりあえず、一人で、目の前の干潟のごみを片付ける作業に取り掛かる。たった一人なんかでできるはずのない、先行きも見えない作業だったが、Aさんは毎日干潟に行き、ヘドロにつかりながらごみを集め、干潟を守ろうという看板を立てていく。生命にあふれていた、かつての干潟の姿への思いだけがAさんを動かしていく。
この、賛同者もなく、一人で続ける作業は数年以上続く。その間、妨害、中傷とへこたれそうになることばかりだったが、Aさんはとにかく続ける。彼は、幼い頃の自然豊かな干潟の思い出に突き動かされ、とにかく、ごみを拾いつづけた。
そうした折、長年の疲労から交通事故に会い、松葉杖をつきながらでも作業を続けるAさんに、地域住民の中から賛同者が現れる。そして、10年を経た今、干潟には鳥や魚が戻り、市も埋め立て計画を撤去、豊かな干潟のモデルとして認定されるに至った。
Aさんは今、県会議員として活躍している。
最後の所をみれば、「成功談」で、Aさんの行動に意味付けも可能だが、最初一人で広大な干潟のごみを集め始めたとき、彼の頭には、展望などなかったはずだ。それは、ただの愚かな、無謀な行動に過ぎなかったはずだ。ましてや、ただ一人の協力者もなく、泥だらけになってごみを片付けるAさんは、まわりの人には、ただの変人か物狂いにしか見えなかったろう。
このTV番組を見て,私は当てもないのに、ただ続ける、やり続ける、という「愚直な」行動に強く心を動かされた。何かの運動をするとき、私たちは、自分たちの体を動かすよりも、まず、頭で考え、効率よく進めるよう計画する。今の時代、「賢い」人は多い。私も何かをするときは「賢く」先行きを展望し、実現可能かどうかを判断し、無謀な、とか、成果があがりそうにない、とか、意味がない、とかいうことは実行しない。それは、教育の賜物であり、評価される能力だとされてきた。
しかし、この、効率的で、賢い、生き方は、ただ、目の前のごみを片付ける、それしかないという、愚直なまでの一途な行動の前では、なんと脆弱に、魅力なく見えることか。
自分の人生を振り返ってみて、あれやこれや先行きを考えず、思いの強さにかられてただ、続けてきたことがあったかな、と思う。また、それほどまでに自分を内側から突き動かす衝動があったかな、と思う。
翌日、前原さんから、仕事を辞めて「美作賢治の楽校」を創るという電話があった。
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