私は今、ピアノが弾きたい。緊張した時、何かにつまずいた時、私はピアノが弾きたくなる。あなたにとってそういう存在、何ですか?
中2の今頃、私は学校に行けなくなった。女子校特有のドロドロした人間関係、やってもやっても決して終わることのない勉強。追い立てられるような毎日で、大好きなピアノでさえも埃をかぶっていた。「もう限界・・・。休ませて・・・」そう私の心は悲鳴を上げた。少しずつ学校から遠ざかる中で、私は、久しぶりにピアノに触った。引き出すと止まらなかった。将来への不安、行けない自分への苛立ち・・・。たまっていたやり場のない思いが、一気に溢れてきた。私はそれをピアノにぶつけていった。ぶつけることで、何か答えが見つかることを期待していたのかもしれない。
それから3年後、私はやり直しをかけて、この北星に来た。今までの過去を振り切ろうと、妙に明るく、元気で、積極的な自分を、取り繕おうとしていた。しかし、中学で経験した痛みから、私は、人に合わせることしかできなかった。「中抜けしよう」と言われれば、いやでも、笑顔で答えていた。全神経を、人間関係に費やし、疲れ果て、流されるままになってしまっていた。結局、私は、北星までも、中学の延長線上に置いてしまった。何も変わっていない自分が、悔しくて、惨めで、情けない。ここで辞めたら、それこそ今までの繰り返しになる。「どうしたらいいの?」 私は心の中で叫んだ。わからなくなっていた。自分も、周りも、そして、ここに来ようと思った理由さえも。そんな、自暴自棄になりかけている私に、先生が、「ピアノのコンサートに出ないか?」と声をかけてくれた。私は、形だけピアノ部に入っていた。「出よう。そして、もう少し頑張ってみよう」 コンサートという目標ができ、私は、またピアノに向かい始めた。
何かにつまずいた時、私の前にはいつもピアノがあった。私にとって、ピアノって一体何なのだろう。
今思えば、最初は逃げ道だった。私は、人と真正面から向き合うことを、かたくなに拒んだ。それは、自分が傷つくこと、そして、相手を傷つけることが怖かったからだ。そのころの私は、人間関係は、脆くて、簡単に壊れるものだと信じ切っていた。だから、慎重になりすぎていたのかもしれない。でも、ピアノにはそんな傷つき、傷つけるような関係はない。ただ、自分の思ったままに弾けばいい。「なんて楽なんだ」 私は、だんだんピアノに夢中になっていった。次第に、一緒に演奏する友達ができ、ライブも一緒にできるようになった。自分に当てられたスポットライト、大勢の観客、その中で私のピアノと友達の歌が、ピタッと合う瞬間。“これだ” 一人で弾いているのだけでは絶対に味わえない、一体感。それを感じられた時から、少しずつだけれど、心に変化が生まれてきた。人と関わることの楽しさや、おもしろさに気づき始めた。殻に閉じこもっていた自分がだんだんと、動き始めた。逃げ道だったピアノは、確実に、自分の中の輝けるものとして、変化し始めた。
北星生活3年目を迎えた。私は、相変わらず、ピアノに夢中だ。毎日のように友達と、ギャーギャー騒ぎながら、練習している。私にとって今、それは一番自分が自分でいられる場所であり、時間なのだ。誰でも一度はぶつかる人間関係。私も、何度もぶつかった。そして、その度逃げてきた。でも今は違う。ピアノを通してできた友達と向き合い、ぶつかり合い、自分を出すことができるようになってきた。今までよりずっと自分らしく、生きられてるような気がする。私にとってピアノは、私以上に自分を表現してくれるものだ。でも、今はそれ以上に、自分で自分を表現できるようになりたい。
私にとっては、ピアノ。あなたにとって、あなたを輝かせるもの、それは、何ですか。
千穂さんは、中学2年で不登校を経験した後、北海道の北星高校で学んでいます。「えと・おーるつうしん」11号では「北海道余市から」というメッセージを寄せてくれました。この原稿は、学校の弁論大会で発表して、優秀賞に選ばれたものだそうです。
千穂さん、おめでとう!
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