15 えと・おーるつうしん15号 [2000.03] ■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1 -2 -3-
■16号より
■17号より-1 -2 -3-


平井雷太・堂野博之講演会を聞きながら  by T.S

 久し振りに平井さんの講演を聴いた。
 確か5年前だった、一泊二日の講演会に出席し、神戸震災時の、ある国会議員の自己責任の話を中心に聴き、彼の価値観とか考え方に大きな衝撃を受けて、それ以来私なりに「自分の事」「自分なりの問題解決方法」を考え続けて来ました。今回は時間的にもタイミング的にも絶妙な時間が空き、新鮮な平井さんの講演に参加することが出来ました。

 今回は「あかね色の空をみたよ」の堂野さんの「ひきこもり」「登校拒否」を中心にした対談でした。堂野さんは、ご自身の登校拒否の体験談を元に、自分と両親の苦しみ・良心・善意を分かりやすく話してくれました。不登校児に対する両親の不安、朝の学校に行く為の「布団引っ剥がし」から始まる躾と怒り、カウンセリング、神頼み、お札、漢方薬、精神安定の為のカルシュウム等々と、それによる子供の苦しみ。両親の無償の愛情、善意の大きな塊が、子供の背中に圧し掛かり、それが大きな障害とり、壁となる。
 学校に行かない子供と、学校に行かせたい両親との葛藤、子供の事を一生懸命に考え、子供の為に活きている両親と、それが「自分の為に良かれ」と思ってしている事が苦痛な子供の話と、その過程と現在の自分自身の思いについて、平井さんとの対談が続きました。

課題の分離

 そんな話しを聴きながら、ふと「課題の分離」について思いました。誰の課題で、結局誰が自分の問題として捕え、解決をしなければならないのか。どんなに両親が心配しようが、怒ろうが、祈ろうが。登校しないのは子供であって、子供の問題だと思う。
 「子供の為に良かれと思って行った、不登校に対する一つ一つの事柄」は、両親の精神安定にはなったと思うけど、子供には良い影響はあまりなかった。多くの場合、その両親の善意は子供の重荷になって苦しまれた話を堂野さんはされていた。
 私も現在、子供に対して自分の言う事を聞かなければ良く怒ります。でも、怒ってもほとんど応えていないし、ヘッチャらで子供達の問題解決の糸口になっていない。あくまでも子供達の問題は子供が解決すべきで、私が近くで行う心配とか怒りはほとんど役にはたってはいない事を良く感じます。
 そうですね、それらの行為は少し離れた所から「頑張れぇーー。」と無責任に励ますのと同じ様なものなのかも知れませんね。(最近、子供達を見ていて、そう思う。) それよりは自分に出来る事を通して、子供達と良い関係を保ち、いつも良いコミュニケーションを取り、子供にとって適切な情報を与え、子供の意見を中心に一緒に考えた方が良さそうに思えます。
 とはいえ、いつもの雷親爺がいきなり子供達に優しく付き合おうとしても気持ち悪るがられるだけなのですが(上下関係のない、適当なコミュニケーションを取る感じがなかなか難しい)。
 どうも子供達と一緒に生活をしていて、現場で起こる多くの出来事に直面をすると、怒ったり、怖れたり、後悔したりして責任転化(過去の出来事を含めて)をしてしまう。そんな「子供達を支配したい雷親爺」がいる訳で、いつも冷静になれず、具体的な問題解決が見えず、コミュニケーションと思慮が足りずの連続です。過去の事で現在を言い訳せず、まだ来ない将来について心配をせず、今の出来事を、今の自分の事として考えて「自分がどうするのか」「誰の問題なのか」を慎重に考え、判断したいものだと反省しました。いつも、この辺を整理し、親としての立場で自分にしか出来ない役割を行えればと思います。

自分の人生を自分で活きる

 きっと子供達には子供の人生があって、それは自分で活きる実感を味わいながら刹那刹那を私には分からない感覚で、自分の人生を真っ当して行くのでしょう。
 そんな子供達の人生の歩みを邪魔しないように、気をつけて自分の人生を自分の実感で粛々と歩みたいものですね。



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