05 えと・おーるつうしん05号 ■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1 -2 -3-
■16号より
■17号より-1 -2 -3-


鳥山敏子講演 「学級崩壊―子どもたちは何を訴えているのか」

講演会ではまず、筑紫哲也ニュース23「学級大崩壊」が上映され、そのあと鳥山さんのお話があり、さらに参加者の方々と質疑応答の時間が持たれました。


 ニュース23「学級大崩壊」北村家の問題では、母親にとって「いい子」の次男が学級崩壊の原因を作る側の生徒だったことが明らかになった。このように、親は我が子の本当の姿を見ていないことが多い。親は自分の非を認めず、先生が悪い、学校が悪いと言い、マスコミもそれをあおっていく。しかし、もう誰かのせいにするのではなく、子どもたちの中に起こっていることが(不登校もいじめも、学級崩壊も、神戸のA少年や黒磯の教師刺殺少年でさえも)根っこにみな同じ問題を抱えていることに、私たちは気づくべきである。

 北村家の夫は、家事も手伝うし、仕事もばりばりこなす「いい夫」、妻も5人の子どもをかわいがる「いい母」だった。しかし、彼らの間には本当の関係が築けてなかった。夫は、自分の母親と妻の間に立って自立的な動きができない。妻は、自分の子育てに批判的な夫の母からのプレッシャーに自分を見失う。彼女は、子どもが自分の言うとおりに動かないとき、夫が本気で関わってくれないという不満もあって、長女、長男をたたいていく。そして、二人には「いい子」でなければという思いが体の中まで染み付いていく。それを見て大きくなった次男は、母の気持ちを汲む「頼れる子」となった。しかし、彼は番組の中でこう言っている「自分が分断している。こんな自分が信用できなかった」と。
 父、母、祖母の緊張関係にきしみが生じ、ゆるみができてきたとき、北村家の子供たちは「わかってほしい」「受けとめて欲しい」「もうこれ以上いい子ではいられない」という思いが出せるようになり、不登校、暴力、体の不調という症状が現れてきた。これらは、自分の存在をまるごと受け止めて!というメッセージなのである。子どもたちはメッセージを発しても大丈夫と感じたとき、親から見れば受け入れがたいような行動に出る。これが別な方向に向かうと、「がんばりつづける」ことになるのだが、それこそ本人にとってはつらい、苦しいことである。

 学級崩壊はなぜ起こるのか?

 まず、学校は何を学ぶところなのか、問いなおしたい。何が大切で、何をを学ぶべきか、わかっていない大人たちが今の学校を作っている。プロ教師の誤ちは、彼ら自身が「勉強はおもしろくない」と感じて育った、そして今もそう感じているというところにある。これは決定的な誤りである。学ぶことの喜びを教えないで、学校はいきいきとその本来の目的―真理を教える―を果たしていけるだろうか。人生とは何か、人生で何が大事なのかを示していく力を、今の学校は失っているようだ。学級崩壊は、子どもたちが自分の知りたいことに答えてくれという叫びの現われとも言える。

 次に地域が「死んできた」ことが挙げられる。学級崩壊ばかりでなく、各地でいろいろな少年犯罪が起こっているが、その地域の人はそれを論議することを避け、加害者の親を地域から排除することで、自分たちの日常を取り戻そうとする。これでは何十件、事件が起ころうと、問題の根っこの部分ははっきりしないし、解決への糸口も探れない。この問題に真っ向から取り組もうという地域の力が、今必要である。

 最後に一番肝心なことだが、家庭は何をする場所かを、それぞれが考えてほしい。私たちは子育ての責任をあまりに他者にゆだねていないか。給食問題が一つの例である。給食をどうすべきかの論議では、給食が子どもにとってどうかという論議の前にまず、「親の都合」が出てくる。また、子どもが病気になったとき、すぐに病院にまかせる、あるいは「夜更かししてたから熱が出たんでしょう」と叱る。子どもが病気になるときは、一般的に、親に「もっと気がほしい、私に気を向けて!」という心の状態が元にある。だから、まず親がじっと様子を見てやる、痛いところに手をあてて、気遣う言葉をかけていく。これが親のすることであり、忙しいからとにかく病院へ、というのでは、自ら子を育てるという姿勢からは遠い。病気になったら病院へ、教育は学校へ、環境は行政へ、というようにまかせっきりでいいのか、家庭は何をする場所なのかと問いたい。

 地域で親たちが助け合っているのを見て、子どもはやさしさや協力する意味を学ぶ。やさしい子どもに育てたかったら、親がまず他者にやさしくし、地域に関わり助け合っていく姿を見せるのが一番だ。また、自分の責任において物事に対処していく親をみて、子どもは自立するということを学ぶ。自立した大人になってほしかったら、まず自分が成熟することを考えることだと思う。口で言っても子どもは学ばない。見て育つのだから。
 親を取り巻く環境にも厳しいものがある。忙しい毎日を必死でこなしているというつらさもあるだろう。でも、子どもより大切なものはこの世にない。そして、子どもの育ちは今を逃しては取り返しがつかないことなのだ。子どもたちの育ちを保証すること以上に大切な役割はない。私たちの使命は、いきいきとした未来を子どもたちに示し、私たちを乗り越えていく力を与えることだ。
 しっかりと、今、子どもたちに起こっていることを見据えてほしい。

*        *        *

会場からは次のような声が出ました。
Aさん:息子が仲間から集団暴力を受けてこの3月に亡くなりました。お話に出てきた地域の役割ということが心に刻まれました。母親として息子の死を無駄にしないよう、息子が残してくれたメッセージを大切にして生きようと決意しています。

Bさん:ワークの危険性についてお聞きしたい。封印していた自分の痛みを出してそのあと危険ではありませんか。

Cさん:市会議員になってますます忙しくなり、子どもとの時間も持てなくなっています。講演を聞いて、子どもと心のつながりを持ちつづけていくことの難しさを感じました。何かアドバイスをいただけたらと思います。

鳥山さんからは、かなり具体的なお答え(ご意見)が出されました。

*        *        *

また、会場に来られた方にアンケートをお願いしました。一部ご紹介します。
・人事ではなく、自分自身も親から見て「よい子」でありたかった。そして今、自分の子どもと向き合っていると、むずかしいと感じます。

・たった1時間の中で多くのことを伝えたいと思われているのがよくわかったけれど、内容が多すぎて、一つひとつがあまり深まらないで終わった感じ。

・講演のあとの話が具体的でよかった。分かりやすくて共感できた。

・鳥山さんの教師時代の話や、賢治の学校についてなどもっと具体的な話を聞きたかった。確かに、現実は厳しいけれど、現実を否定する話が多くて、今その中で生きている私たちは救われない気がした。

・あまりになんて自分に当てはまるのだろうと、絶句状態です。自分の都合で、利用して子育てしていたのだろうと。

・いつも問題に当たったとき行きつくところは自分自身の価値観、生き方です。そして、自分を含む家族の関係性を突きつけられます。しかし、いつもその先が見えてこない。気がついて、考えて、話して、聞いて…時がただ流れていきます。



目次へ

Since 2001.11.19, renewal 2006.1.28 無断転載禁止