16 えと・おーるつうしん16号 [2001.05] ■05号より
■11号より
■12号より
■15号より-1 -2 -3-
■16号より
■17号より-1 -2 -3-


「北村陽子さんを囲んで」 (2001.3.10)を終えて

 この会では、ニュース23特別番組「学級大崩壊」をみたあと、北村勇喜くんの作品が展示された会場で、陽子さんのお話をうかがいました。会場のうしろには、陽子さんの長女、愛子さんと、勇喜くんの友人の小林くんもいました。
 愛子さんは、勇喜君の死後ドイツから帰国して、賢治の学校のスタッフになりました。事故にあったとき一緒にいた小林くんも、東京から山口へやってきました。勇喜くんの死は周囲の人たちの生活にも心にも大きな影響を及ぼしています。そこに「勇喜」という目に見えない意志を感じます。人知を超えた運命のようなものも感じます。会を終えて、賢治の学校に起こっている大きな動き(見えるものも、見えないものも)に対し、胸をうたれ、祈りにも似た気持ちが起こりました。
 3人の方が会のあと、感想を寄せてくださいました。ご紹介します。


MAYUMI 

 ニュース23「学級大崩壊」のビデオは今回で3回目だった。何度見ても感動してしまう。今日は北村さんがその場にいて、勇喜君の遺作の詩や絵があったことで、涙がまたぽたぽた落ちた。北村さんはお話の中で、会場にいくつも問いを投げかけていた。
「家族の幸せって何でしょうか」
「家族っていったい何でしょう」
「本気で生きるってどういうことでしょう」
「人間として生きるってどういうことでしょう」
「みなさんは、どうして、何を感じて、ここにいらっしゃるんでしょう」
 北村勇喜くんは、1年前の4月22日に東京で交通事故に会い、意識不明のまま、新しい世界へ旅立っていかれた。
   喜びがあふれる源は寂しさだった
   地からが湧きあがる源は孤独だった
   欲情がふくれあがる源は寂しさだった
   思考が放たれる源は孤独だった
   寂しさや孤独は無そのものだ    (北村勇喜)

 今の私には「孤独」とか「寂しさ」とかが、落ち着く言葉だと感じられた。
 彼は、鳥山さんのワークのあと、インタビューに答えて「自分の輪郭がくっきり見えてきた」といっていた。家では「いい子」で、学校ではまさかの「いじめっ子」だった勇喜くんは、それまでの自分を「自分を信頼できない。自分が自分でないようで」と言い、親にとって言い子でい続けた自分を「あわれだと思う」と振り返った。そして、「今は本当に自分の体から出てくる感情、気持ちが、ここから出ていると感じられる」と、自分の胸を押さえながら語った。勇喜くんの詩はここから出たもので、作り物ではないと感じた。
北村さんは、夫婦の関係、家族の意味を止むことなく問い、家の中の台風の目でありつづけた。「どうしてそんな大変な状況の中に立ち向かっていけたのですか」との、会場からの質問に、北村さんはこう答えた。
 「それは、このことが苦しみだけでは終わらないからです。真剣にぶつかりあったとき、そこに何かが生まれます。もちろん、その過程は苦しいものですが、最後は向かうことの喜び、人間として生まれてきた喜びをつくづくと感じます。人生っておもしろいなあ。本気でやればやるほどおもしろい。本気で生きることです」

 私は、北村さんに問い掛けられるたびに、自分に問われた気がしました。こういう「問い」を残した講演会に参加できてうれしかったです。体に入った問いは、自分で感じる瞬間をもつからです。今は、その瞬間がきっと来ると信じられるし、ゆっくり待つ楽しみもあります。焦ることなく、自分とじっくり向き合って、自分の体で感じながら、それを楽しんでいきたいと思っています。

SEIKO 

 ニュース23を見ていて、北村さんの「生まれてきた子どもはかわいい、でもだんだん大変になってきてしんどい」のフレーズは、よく母が言っていた言葉だです。番組の中で、会場から「じゃあ、なんで産んだんだよー」と出た叫びは、私が子どもの頃心の中でつぶやいていた言葉でした。子どもの数が2倍の分、もっとしんどかったかもしれない。
 我が家でも、勇喜くんと同じように次男が、母の夫役をしていました。とても優しくて、いい子を演じていました。私は長女でしたので、母のストレス解消役でした。とてもしんどい役を演じさせられました。
 みんな、多かれ少なかれ、家族の問題で悩んでいることを詩って、私だけじゃないという安心感を抱きました。私も家族の問題、三歩進んで二歩下がる日もあるし、一歩進んで二歩下がるときもあります。そんな自分でもいいと、ようやく思えるようになりました。
また、いろんなことを思い出してしまいました。心の整理の時間をいただいたようです。ありがとうございます。
 北村さんを見ていたら、人は変わるのだなあと思いました。2年前のテレビ取材の時には普通の主婦が、今では学校を作っている。日々淡々とやることで状態は変わるという、平井雷太さんの言葉が頭の中に浮かんできました。それと、今ある自分がすべてではないことも北村さんを見ていっそう思いました。人間には可能性があることを痛感しました。


MITSUKO 

北村陽子さんの講演会のあった夜、夢を見ました.

私は何故か 合宿をしているような雰囲気の所で、家族とは別に暮らしている。
あるとき そこを抜け出すことが出来た。
まるで車に乗っているかの様にスーッと周りの景色が流れていき、雲の中のような森の中のような所を進んでいくとサーッと視界が開けて大きく左の方へカーブした。
そこは夜の空の上で、綿布団のような雲の中から、下の世界が見えてきた。
すぐ下は冬の夜 ポツポツ見える家の屋根は雪が積もっていて白い。
でも 地面は雪がなく黒々としている。
遠くをみると、ネオンの光とともに陸地が切れて海につながっているのが解る。
目線を上にあげるとそれだけでスッと からだが上に登っていく。
いけない、と あわてて下を見る。
下に降りるのは水の中に潜るように力がいる。
ゆっくり、螺旋を描きながら、目指す家に下りていく.

そこは、白い板張りの家――
その外に ガソリンスタンドを小さくしたようなガレージがある
そこで長男が夫とが何かやっている
真剣な顔、たのしそうに 緑色のふくをきて。
しばらく会っていないうちに 大きくなって感じが変わっている。
夫は何故か、ズボンの裾といつも着ているはんてんの袖口しか見えない。
ぐるりと家の反対に回ってみると、窓ガラス越しに 
暖かそうな光の中、長女と次男が遊んでいる
長女はと幼稚園の白いシャツと紺の半ズボンのまま、ダンボール箱の中で遊ぶ横顔は何時の間にか髪が伸びて二つに分けてくくっている。
次男も緑色の服、ニコニコ 本当に楽しそう 幸福いっぱいのよう。
一年くらい会ってなかったのか、どの子も大きくなっている。
でも、私は中には入れない。私の姿も彼らには見えない。声をかけることもない。こうやって、暗い夜の外で 体が浮き上がってしまわない様に泳ぎながら見ることしか出来ない。

孤独で寂しい。

寂しさで涙が溢れそうになって目がさめた。目が覚めても寂しさが一杯で涙が溢れそうになった.次の日、用事があってバスで出かけた。一人で座席に座っていてふと この夢を思い出して、又寂しさと孤独に襲われて涙が湧きあがって来る。
ああ、もう、なんにもいらない。泣いたり怒ったり騒々しい子供達と一緒にいられればそれでいい。それだけで ありがたい。もう子供達には何も望まない。一緒にいてくれてありがとう。

こんな夢、初めてみました。きっと北村さんのお話を聞いたことが、勇気君の遺作を見たことが、きっかけになったんだと思います。



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