38 えと・おーるつうしん38号 [2005.01.20] ■鳥山敏子講演会
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旅物語らくだに乗ってprocess32
「暇つぶしの回想」 3.セルフラーニングのはじまり
by M.Y(創育舎)


「先生に成り下がるな」

30歳のときのこと。新婚旅行から帰るなり寝込んでしまった。それから2週間後、会社への復帰初日に岡山県川上町の民宿「わら」のオーナー・船越康弘さんとデザイナーの木澤豊さんが事務所へ訪ねてこられた。映画「ホピの予言」の上映を会社のホールでできないかと問い合わせしていたところ、船越さんたちも上映を考えていて、引き合わせてくれたのだった。早速、船越さんのバンに乗って、岡山市内を走り回り、上映の協力を依頼してまわった。けっきょく、私の会社では上映会はやらなかったが…。
それから、民宿を開いて半年という船越さんに誘われるまま「脱原発」の集会に行ったりした。「いのちの祭」的イベントはおもしろかったが、運動には熱くなれず落ちこぼれのような気分であった。
その後も、おせち料理づくり、子どもたちのための生活体験合宿など、「わら」には何度もお邪魔することになったが、一番印象的だったのは船越さんが開催した連続講座だった。医療・育児・食・健康法など生活に関するさまざまな分野からの講師の方がほとんど二日間ずつ過ごしていかれていた。知りたいことは、こうやって学んでいけばいいのかと学びの方法を教えてもらったような気がした。

船越さんはよく「先生に成り下がるな」と言っていた。どういう意味かはよくわかってはいなかったけど、肩書きを持たないまま全国を講演で飛び回ったり、観光地でもない山の中の民宿に年間3千人もの人が訪れるようになった経過を見せてもらったことで、私なりに感じるものはあった。ただ講釈するだけではだめで、また、地位や肩書きに頼るのでもなく、現場での実践がいかに大事だと。それまでの会社生活で、理念はいいんだけど実践が今ひとつという経験をしてきただけに余計に現場を意識したんだと思う。

ただひたすら淡々とやる研修生活

船越さんと出会って5年ほどして、管理職をしていた会社を辞め、行きたいとき行きたいところに行くという念願の無職生活がはじまった。前の会社を辞めた時にやりたかったあこがれの生活。しかし、貯金も使い果たし、解約した保険金を使い果たし、失業保険が切れてしまうと仕事が欲しくなった。
そんなとき、船越さんが「研修に来ないか?」と誘ってくれたのだった。民宿の改築をしていて、一人でやっている知り合いの大工さんの下手間ができるといいと思ってのことだったようなのだが、台所の天井に打ったくぎがあまりにもでこぼこで星座のように見えるのを見て私の大工仕事の手伝いは無理だと判断したようだった。それで、民宿の手伝いをしながら、時間が空くとただひたすら廃材のくぎ抜きをすることに。これは、何も考えずただ淡々とやる訓練そのものだった。
ほかの研修生は、半年から1年ほど、泊り込みで船越一家と寝食をともにしていたけれど、私は奥さんの「週末には帰っておいで」の一言で、勝手に週休二日にし、最後には三日にしたわがまま研修生だった。

ただひたすら聞く

そして、3ヶ月ほど過ぎたころ、船越さんから「こんな塾があるんだけど…」と学習塾のパンフレットを手渡された。「教育には興味ないから」と言うと、すっと引っ込る。とっさに「船越さんがふつうのやり方を紹介するはずがない」と思い、「やっぱり見せてください」とお願いした。資料には、「押し付けない・強制しない・命令しない」というキャッチコピーがあった。それが、「らくだ」との出会いだった。
半年後に「らくだ」の学習システムを開発した平井雷太さんの「わら」で二日間の講座「どの子にも学力がつく  らくだinわら」に参加した。最寄の駅まで平井さんを迎えいくと、車中で「どうして仕事やめたの? わらの研修はどうだったの? 船越さんとの出会いは?…」と質問攻めに会う。今から思えば、それが生徒の声を聞くという指導方法の源だった。

伝わらないのは生徒が悪いんじゃない

1年後に平井さんが主宰するセルフラーニング研究所主催の「ニュースクール講座」に参加した。そこで、初めてインタビューゲームを体験。二人一組になって、一人20分相手にインタビューしつづけて、聞いた話を書いてまとめるのだけれど、そんなに真剣に話を聞いてもらったことがなかったので快感だった。そして、話をしたことを相手の人がまとめてくれるので、話したつもりのことが伝わっていないとか伝えたいことはどんなふうに伝わったかを確認するというコミュニケーションの基本を学んだような気がした。それが、塾をやる上での基本だった。
相手に伝わっていないことがわかったとき、「前にも言っただろう」と生徒を怒ることはできない。伝わっていないことがわかれば、どうしたら伝わるのかを考えるしかない。「押し付けない・強制しない・命令しない」ということは、コミュニケーションをしていくということだった。
それまで自分の内側をのぞくことにしか関心のなかった私にとって、「話す・聞く・書く・読む」といったコミュニケーションを学び、それを使って仕事をすることになったのは大きな転機だった。そして、学校嫌いだった私が曲がりなりにも教育関係の仕事に就くとは…。 (つづく)





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