38 えと・おーるつうしん38号 [2005.01.20] ■鳥山敏子講演会
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鳥山敏子講演会に参加して  by NAGI


新年早々、鳥山敏子さんの講演会&ワークに、中央町の美作賢治の楽交まで出かけた。
1年半ぶりにお目にかかる鳥山さんは以前にもましてすっきりした顔をしていた。余分なものが削ぎ落とされた美しい顔、柔らかな、しかし確固とした語り口。
どういう状況でもブレない、まっすぐな生き方を見るような気がした。
なんでこの人に惹かれるのかというと、やはりそれは、自分は自分の人生を生きるのだという、輪郭のはっきりした意思が見えるからだろう。私にはないもの。鳥山さんに対しては、人それぞれ感じ方が違うだろうが、私にとってはやはり「本物」に触れる喜びがある。

10数年前、思春期の我が子の反抗を前に、私は怒り、思うようにならない現実に歯軋りしていました。それまでの私の人生では努力にみ合った結果が得られていたのに、一生懸命努力しても子どもの心は離れていくばかり。
どん底、最悪の気分でした。友人に言わせれば、それくらいの反抗期なんてどういうことない、なのですが、私にとっては、それはただの反抗期ではありませんでした。空回りする会話。ギクシャクした関係。最初は、こんなに一生懸命してあげているのにと、子どもを責めていた私ですが、そのうちおかしいのは私たち親ではないかと思うようになりました・・・。

今、あのころのことを思い出そうとしても具体的な記憶はありません。ただ、かすみの中で、どうにかしなきゃと、もがき、もがき、いいと思うことには何でも当たっていく必死の自分の姿だけが見えています。

私は、小さいころ、母親の愛が薄いと感じていました。母は、母の容量で私を愛してくれていたのでしょうが、私はいつも飢えていました。近所に友人の家があって、そこに遊びに行くと「かあちゃん」といった感じの、友人の母がいました。参観日にエプロン姿で来た、とか、無教養だとか、私の母はその人のことをさげすんでいました。でも私は友人がうらやましかった。友人は「なめるように」愛されていました。小さな家だったけど、あったかい空気がありました。

寂しさの中で、私は、自分の子どもには「なめるように」愛情を注いでいこうと思っていました。なのに、実際育てているうちに、いつのまにか強圧的な、押し付けがましい、母になってしまっていたのです。子どもの、私を見る目が、それをはっきりと示していました。
それに気がついたとき、私は、我が子と、子どもだった自分の悲しみを思って、泣きました。
あんなに後悔したことはありませんでした。
そして、あのときの気持ちが、今日までの私の原点になっています。
いろいろ活動を続ける私を、すごいねと言ってくれる人がいます。私はいつも思います。愚かだから続けざるをえなかったんじゃない。必要だったから、ほんとに困ったから、ほんとにどうにかしたいと切羽詰ったから動いた、ただそれだけ。誰のためでもない、自分のためです。まったく利己的な動きです。

息子は私のことを「子どものことになると目の色変わるアホ親」と、あきれ、娘たちは「もう私らのことはいいから、自分のことに集中したら」と、迷惑そうです。実際、この10数年いろんな学びの場に出かけた割には、人間は浅いまま、たいして賢くなったわけでもなく、少しはましな親になったかというと、別な意味で、子どもには「迷惑な」親でありつづけています。結局,よい親も悪い親も,子どもがその人生で学ぶための砥石みたいなもので,子どもは子どもとして成長するんですよね。そう思って自分を慰めています。

そして、子育てもそろそろ終わり。長女が、モンスターのような私の姿を映してくれてから今まで、本当にいい年月だったと感謝しています。

障子を通してやわらかな光が照り返し、ストーブのやかんが温かい音をたてている。
鳥山さんが語り始めた。
「家系」って何ですか、「血筋」って何ですか?
あなたは何のために生きているのですか。この世に、この環境に、選んで生まれてきた意味は何ですか。あなたは、血筋を残すためにいる存在なのですか。
私には孫がいません。「おさびしいですね」といわれることがあるけど、私は私の家系を絶やさないために生きているわけではないのです。
何のために、今、この地球に、生きているのですか? 生まれてきた意味を、魂のレベルで考えてみてはどうでしょうか。

子どもとの関係の中で、それを最大のテーマとして生きてきた私には、目をさらに大きく開くことにとまどいがあります。私はまだ、何のために生きているのか、答えられません。私の生に、生物の本能である種の保存以外の、何か意味があるのか――もやもやとしたものの向こうに答えがあるような,ないような・・・。

幼いころの強烈な記憶。ある夜、自分がどこから来てどこに行くのか、死んだら完全な「無」になるのか、突然わけもなく不安におそろしくなり、布団の中で大泣きしてしまいました。人生を歩んできて,再び子どものころの思いに向かい合う時がきたのかもしれません。

鳥山さんは、今の自分になるまでには何回か「死んで、生きた」経験があった。彼女は「30過ぎに、竹内レッスンで、それまでの私を壊しました」と言う。また、以前、レッスンを受けられた方が、レッスンが進んでいくにつれ、人が「壊れていく」のが見えた,とも言っていた。「自分を壊す」ほどの体験をまだ私は感じていない。
「自分を生きる」――「素」の自分ですっくと立ってみる――まだまだ,よくわからない、不確かな連続。鈍い私は、できるできないは別として、このプロセスを味わうしかないな、と思っている。



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