19 えと・おーるつうしん19号 [2001.11.15] ■竹内敏晴講演会へのお誘い
■からだの声に耳を傾ける
■ふぞろい野菜村便り
■女(ひと)かがやくとき
■旅物語 らくだに乗って
■青少年問題シンポジウム…
■不思議日記-3-
■飽食の果てに
■教育フォーラムin Soja


旅物語らくだに乗ってprocess13
竹内敏晴さんのレッスンで、からだの声に耳を傾ける
                        by M.Y(創育舎)


関係性から生まれることば

 コモンズフェスタ2001へのアプローチは、幻想的な雰囲気でした。会場の応典院(大阪市)に入ると通路いっぱいに張られた写真に迎えられました。ふつうの人々がだいじにしているモノ(オモチャから軍隊手帳まで)を手に持って写っている写真です。解説ボードも説明する人もいなくて、感じたものだけもって帰ってね、という雰囲気です。
 そうやって、ぼわーっとなんだかわからないまま会場のホールに入ると「生き方、再発見!! 『生きる』上でのコミュニケーションとは?」をテーマに竹内敏晴さん(演出家)と鯨岡峻さん(京都大学大学院教授)の対談が始まりました。
 おふたりのお話は和やかなうちに進んでいきましたが、とくに印象に残ったのは、「ことばはコミュニケーションで生まれる」というフレーズでした。私たちは、ことばでコミュニケーションしていると思っているけれども、そうではなくてコミュニケーションが先にあるというのです。竹内さんはヘレン・ケラーの話を引用して次のように話していました。
「『ヘレンは言葉を覚えてから野獣から人間になった』といった学者がいたけれど、家庭教師だったサリバンの手紙を調べた結果、そうではないことがわかった。ずっと、厳格にしつけようとしていたサリバンに反抗していたヘレンだった。でも、ヘレンの父親が『ここではうちのやり方に従ってくれ』とサリバンに言ったことから、サリバンはなにも言わなくなり、それからヘレンは打ち解け、寝起きをともにするようになった。その一週間後に有名な『water』を覚える事件が起きた。つまり、成り立っていたコミュニケーションのうえにことばが現れたということです」。
 ええっ、コミュニケーションって言葉で成り立つんじゃなかったの? という感じでしたが、「気づかいや気配りもコミュニケーションのうち」という話を聞けば、その関係性だからでてくることばがあるなあと納得できることでした。

創育舎通信からの問いをもとに

 先日、高田学さん(コンサルティング・ライフプランナー)と横田亮さん(ブライダル・プランナー)と私の3人で、我が家の外構工事をお願いしている西中和之さん(潟xストホーム店長)にインタビューする機会がありました。インタビューのあと、創育舎通信に書かれていたことをもとに西中さんが用意してきた質問に対して3人が答え、本人の西中さんも答える展開が興味深く、深夜3時にまで及びました。
質問の内容は次のようなものでした。
 「『押し付け・強制をしないためには、伝えることを持っていることがだいじ』ということですが、やっていることで伝えようとしていることはなんですか?」
 「『らくだ教材はたんたんとやりつづける教材』ということですが、やりつづけてきたものはなんですか? そのことによって得られたものは?」
 「通信に『ミスから学ぶ』とありましたが、できなかったことから学んだことがありますか?」
 「『セルフラーニングは、決めたことを実現していくシステム』ということですが、決めていることがありますか?」

このような問いを出されることで、とっさになにを答えるかに興味があったのですが、たとえば「なにを伝えようとしていますか?」という問いに私は次のように答えていました。

「『どう伝わるか』ということをいつも念頭においています。たとえば、さっき『お客様にはがきを出そう、と社員に言っても、だれも出そうとしない』という話がありましたが、言い続けても実行されなかったら、『言われても聞き流していればいいんだ』ということが伝わるかもしれませんね。ぼくだったら、まず『社員にはがきを出す』(はがきを受け取る体験)、『私がお客様に出すはがきをチェックしてもらう』(はがきを出す体験)、『はがきのデザインに社員のアイデアを取り入れる』(はがきをつくる体験)などのように、まず体験できるシステムをつくる発想をします。それを1ヶ月とか期間を決めてやってみます。だめだったら、やり方を変えればいいんですからね」と言っていました。

 西中さんから次々と出される問いにお互いが答えることで、共感するところと違いが際立つところがありました。
 西中さんへのインタビューをまとめたものの一部を抜粋します。

 部下は、私がやり方を提示してもやろうとしません。私は、「正直で一生懸命」をモットーにやってきました。ミスをして不信をかったお客さんがあるのですが、私には「一生懸命あやまる」しか方法が思い浮かびませんでした。でも、高田さんの「不信をかって離れようとしている人にエネルギーを注ぐことは、そのほかの顧客に手抜きをすることになる」というお話や横田さんが「塾をやめると決めてしまっている人には、もう変えることはできないと思ってあきらめる。もう一度来たくなったらいつでも来てもいいということだけは伝える」と言うのを聞いて、ほかの選択肢もあるのかと思いました。このように「伝える」ということが、私の最大の関心事なのですが、創育舎通信に書かれていた「教えない教育」にそのヒントがあるような気がして今夜はやってきました。

 やってみると思わず集中してしまうので、予想以上におもしろく、通信の原稿を書いたり、講座のプランをたてるときにも応用してみることにしました。それらは、25分で終わるはずもないので、とりあえず1クール25分として、タイマーが鳴ったら一旦手を休めることにしました。つづきはあとにして、ひとまず食事の準備をしたり、瞑想をしたり、ほかの事に時間を使います。時間があるときは、そのあと再開するのです。(ちなみにこの段落を書き始める前は、洗濯物を取り入れてきました。)

インタビュー・ゲーム

 このように4人の中でも明らかな違いがみられたのですが、そのあたりのことを高田さんは「明らかに違う意見でも、批判する人や責める人がいなかったから、7時間以上も休憩なしで話が深まっていったんですね」と話していました。
西中さんからは、後日次のようなお手紙をいただきました。

(前略)一番不思議だったのは、全く異なる感じ方・とらえ方をする意見に対して、反発や拒否をしたいと思わなかったことです。それどころか新たな見解を知れたという喜びめいた感じがしました。さらに各自が持っている価値観や判断をしてきたことなどをためらいもなく省みている空間がとても心地よいものだと知りました。私も含めてある程度プライドめいたものを持つものだと思いますが、強要ではなく自らをさらしたり、他の人の意見を受け入れたりすることに多少なりとも抵抗を示すものではないかと思っておりましたので、まさに特殊空間でした。各々が自らをさらし、そのさらされた自分を客観的に考えてみる。単純な作業ですが日常の中にはない時間だとも思いました。皆が同じステージに立ち自らをさらしているからこそ、異なる意見ですら伝わるのだと思いました。(後略)

初対面の人がいるにもかかわらず、どうしてこのような場になったのか考えてみると、インタビュー・ゲームのルールの存在が大きかったのだと思います。高田さんや西中さんには、
「私たちが『教えない教育コーディネーター実践講座』などで使うインタビュー・ゲームというのがあるんですが、それには三つのルールがあります。

  1. なにを聞いてもいい。相手の話のなかで、ふと疑問に思ったことなどをちゅうちょなく聞くことができます。
  2. 聞かれたことに答えなくてもいい。答えなくてもいい自由が保障されているから、『こんなことを聞いてもいいの?』というような思い切った問いを出すことができます。
  3. 聞かれないことを話してもいい。「話したいことがあったのに…」と不満をかかえて帰らなくてもすみます。

今晩は、これらのルールに従ってやりたいんですけれど、いいですか?」と了解をとってからはじめました。
 私には、西中さんが書いていた「皆が同じステージに立ち自らをさらしているからこそ、異なる意見ですら伝わる」という現象は、その場にいる人が三つのルールのもとに関係性をつむいでいった結果に思えます。

 こうしてふりかえると、西中さんへのインタビューからはじまったプロセスは、ことばをかわしたこともなかった人とのあいだにコミュニケーションが生まれ、そのコミュニケーションから問いが生まれ、それに答えることでそれぞれの"ことば"が生まれていったものだったように感じています。
 それは、特殊空間でしか生まれないのではなく、インタビュー・ゲームのルールのように場(そのときの関係性)が生まれるシステム・雰囲気があれば、いつでも、どこでもできていくものだと思ったのでした。



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