19 えと・おーるつうしん19号 [2001.11.15] ■竹内敏晴講演会へのお誘い
■からだの声に耳を傾ける
■ふぞろい野菜村便り
■女(ひと)かがやくとき
■旅物語 らくだに乗って
■青少年問題シンポジウム…
■不思議日記-3-
■飽食の果てに
■教育フォーラムin Soja


竹内敏晴さんのレッスンで、からだの声に耳を傾ける by F.T


 先日、我が子(中3)の授業参観に行ってみると、「高校差別」について学活が行われていた。子どもたちは、自分にとっての「良い高校」と「悪い高校」について担任に聞かれていた。「学力が高い」とか「人気がある」とか「自分にあっている」とか意見が出ていた。息子が指名されて答えたのは、「自分がそこにいて、居心地がよいこと。そして、一人ひとりの生徒が輝いている高校」だった。
 私は、ドキッとした。私の実践場(保健室)はどうか?「訪れる子どもたちの居心地は?」「自分に自信をもって輝いていけるような関わりがもてているか?」と自分自身の日常を問われてしまった気がしたのだ。こんな問いは、私にたびたび降りかかってくる。現実の周囲の環境に馴染んでしまう頃、保健室で出会う子どもたちが叫んでくれたり、暴れてくれたり、ふさぎこんでくれたりして、気づかせてくれる。我が家でも、我が子が怪我をしたり、病気になったりして、私に「根っこの部分を忘れるな」と訴えてくれる。

 現実の周囲の環境とは、学校の決まりを守らせることが生徒の気持ちより優先されること。「生徒は授業を受けに教室に行くべき」「勉強がわからなくてもちゃんとすわっているべき」という「指導」で終わっている。子どもの気持ちになって考えてみる、感じてみるゆとりがなくなるときが、「大量生産的」教育現場でたびたびある。感覚がマヒして、子どもの身になって苦しまなくなっている自分に気づく。
 そんなとき、竹内敏晴さんのレッスンに出かけていく。竹内さんは76歳。眼差しを受けて、お話が心に触れて、人としての原点に立ち返れるような気がする。私の眼球の周りがツーンと潤ってくる。硬く緊張した自分のからだに気づく。皮膚に包まれた内臓や体液すべてを揺らしてもらって全身をほぐす。相手の波が自分に伝わること、その波が相手に返っていくことを楽しむ。竹内さんの問いかけに、記憶をたどり、脳みその隅々まで使って考えている私がいる。静かに深く自分の呼吸に合わせてみる。全身の力を抜いて、自分のからだがどうなっているか探る。どこか滞った感じのするところはないか、拡がる感じか、縮まる感じか、どの場所も重力を感じているか、浮いた感じのところはないか・・・など意識してからだの声に耳を傾けていく。十分味わって、ことばにして相手に伝える。
 ほぐしたからだで、声を前に出し、歌をうたう。ことばの意味を理解して情景を思い浮かべて歌う。よく口ずさんでいた歌も内容を誤解していたり、何も知らずに歌っていたりすることに気づく。理解すると歌がまったく違ったものになっていく。

 相手にはたらきかけることば。他の人のレッスンを見ながら、自分の課題に気づく。私の場合も相手に届いていないだろう。まだまだ自分に自信がない。自分の足で大地をつかんでいるという感覚、自分の足でしっかり立っているという感覚がない。毎日確かめられる自分の実践場で、まっすぐ相手の心に届くことばを出せていない。いちばん言いたいこと。肝心なことばはとても言いにくかったりする。竹内さんのレッスンでシナリオを読み合わせてみるとよくわかる。

 私は、竹内さんのレッスンを通して、自分自身の今に気づいて、しぼんだからだや心に豊かにエネルギーを満たしてもらえるから、無性に出会いたくなってしまうのだ。レッスンで、人と人との関係の奥深さを体験でき、日常の形式的で表面的な関係をおだやかで居心地のいい関係に変えていきたいと意識できる。それを、自分のからだやことばで表現できているか、自分自身を振り返りつつ、なかなか変われない自分を味わっている。今はそのことに気づいているだけでも、すごいことなのかもしれない。



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