19 えと・おーるつうしん19号 [2001.11.15] ■竹内敏晴講演会へのお誘い
■からだの声に耳を傾ける
■ふぞろい野菜村便り
■女(ひと)かがやくとき
■旅物語 らくだに乗って
■青少年問題シンポジウム…
■不思議日記-3-
■飽食の果てに
■教育フォーラムin Soja


 Mさんに以前原稿を書いていただいたとき、そのペンネームが「自由な鳥」だったことが印象に残っていました。「自由な鳥」・・・この名には、彼女の強い思いがこめられていると感じました。
 その後、Mさんの周りに吹き始めた嵐のことを人づてに聞きましたが、私には、それは「船出の風」だと、思えていました。あの「自由な鳥」という名前は、それを確信させるに足るだけの力強い響きをもっていました。
 出産・育児のなか、「センス・オブ・ワンダー」の上映会を準備し、成功のうちに終わらせたあとも、Mさんの顔はとても静かでした。ああ、Mさんはほんとうに「自由な鳥」になったんだと、実感しました。そのとき、このシリーズに「自由な鳥」というタイトルで、書いてもらおうと、決めたのです。    (お断り:通信現物では、実名ですが、インターネット上では伏せています)
女かがやくとき 6
 自由な鳥であり続けたい        by ふりぃーばーど


 「えと・おーる」には今まで何度か寄稿の機会をいただいてきました。心境の変化があったとき、人生の岐路に立ったとき・・・。バックナンバーを読めば、名木田さんに出会ってからの自分の軌跡を、ありありとたどることができます。
 先月、以前誌面でご紹介した映画「センス・オブ・ワンダー〜レイチェル・カーソンの贈り物〜」の自主上映会を無事終えました。上映会に際しては、名木田さんを始め、えと・おーるに縁のある多くの方々に助けていただき、本当にありがとうございました。
 はたして今回の原稿が、シリーズにふさわしい内容になるのかどうかわかりませんが、少し思いを記してみようと思います。

ここ数年、私の心にストンを落ちていることばがある。
「私に変えることのできないものを受け入れる落ち着きと、変えることのできるものを変える勇気を、そしてその二つを見きわめる知恵を与えて下さい」
 最初に見かけたのは、精神医学の本だった。アメリカのアルコール依存症の自助グループミーティングで唱えられる祈りと紹介されていたと思う。
 当時、仕事で依存症関連の資料を集めていたが、酒や薬への依存症に加えて、人間への依存症というものを知ったときの衝撃。「私の中にもある」と気づいたからだ。コントロールしたい人間と、そういう人間を満足させることに生き甲斐を感じる人間。お互いがお互いなくしては存在できない、コインの裏表のようなカップル。聞こえはいいが、それぞれが精神的に自立していないという落とし穴に、20代の私とパートナーは、数年間、はまっていた。
 先に気づいた私は、相手との関係を立て直そうともがいた。しかし自分が変わっていくのが精一杯で、他人を変えることはできなかった。祈りのことばが胸をよぎった。二人の関係を変える勇気を与えて下さいと。

 結局それは別離の選択となった。

 同じ頃、もう一つ気づきがあった。パートナーと私との依存関係の根っこが、私自身と母との親子関係にあったということに。自分の果たせなかった夢を我が子に託し、必死に子育てしていた母。自分の夢がわからず人生に迷い続けた私。間違いなく愛情をもって育てくれた母の今までの人生を変えることはできなかった。私は母の過去をそっと受け入れ、自分の道を歩む決心をした。

 人生で初めて、かごの中の鳥から、自由な鳥になった。

 自由になると、本当は自分が何を好きだったのか、何をしたかったのかがわかった。そして心がどんなふうに感じていたのかも。過去の悲しい思いがあふれてきて、涙にくれる日々がしばらく続いた。泣きながら、どうしようもないとつぶやきながら、でもこの感情は必ず消えてゆくものだからと、もう一人の自分がささやいていた。
 古い感情が私のもとから洗い流されると、ささやきの通り、新しい夢や思いが心の奥深くからわき上がってきた。うれしい予感と強い確信とともに。

 そうして新しいパートナーと結婚。自分はこういうふうに人を愛し、愛されたかったと直感した相手だった。翌年、ずっと気に入っていた演奏家のヒーリングコンサートの開催を思い立った。どうしても岡山に招いて、多くの人に心を癒す音楽に身をゆだねてもらいたい、そんな思いを友人らに話すと「ぜひやろう」ということばが返ってきた。
 スポンサーもなく、黒字のあてもない、でも強い思いに突き動かされたコンサートは、あれよあれよという間に満席で当日を迎えた。集まってくださったスタッフ、そしてお客さまの感動のエネルギーが会場に満ち満ちていて、とても気持ちのよい1日だった。
 その日演奏家は、私を「SPARKLING」と言ったが、その通り私はかぎりなくはじけていた。―"思いは叶い、夢は現実になる。神様は私にすごい贈り物を与えてくれるんだなぁ"と。

 コンサートの直前、私は妊娠に気づいた。喜びをふくらませながら数週間後、健診にでかけた。しかし医師からは、お腹の子供の心臓は動かないまま私から消えていく運命であることを知らされた。
 ショックで悲しみにくれる私の胸に、あの祈りのことばがこだました。 「変えることのできないものを受け入れる落ち着きを下さい」
少しずつ静けさを取り戻しながら、夫婦二人のお正月は過ぎ去った。
 同じ年の秋、今度は映画の上映会を思い立った。新聞の記事で映画化を知るなり、強い確信がやってきたからだ。数年前に原作本に夢中になったときの感覚を、たくさんの人と分かち合いたいなあ、そんな気持ちがわいてきた。
 そしてふたたび妊娠。私の力の及ばない大きな計らいを感じずにはいられないタイミングだった。映画のタイトル「センス・オブ・ワンダー」とは、自然の不思議さ・素晴らしさに目をみはる感性という意味で、作者のレイチェル・カーソンは、子供とともに自然にでかけることによって、その感性を育み、分かち合うことの大切さをつづっていたからだ。
 出産をはさんで上映会の準備をいったいどうしよう。そう考えたものの、いやいや心の声にしたがって進んでみよう、やっぱりもう一人の自分がささやいた。
 第一回目のスタッフミーティングがなんと助産院からの退院日と重なるというハプニングはあったが、自然農の田んぼで出会った小原さん、佐藤さん、八木さんがずっとサポートしてくださった。

 育児を始めると、思っていたよりもはるかに重労働で寝不足の日々。しかし何もできない私の周りで、どんどんチラシはできあがり、網の目のような人のネットワークを通じて、多くの人の元に届けられていった。

 そして上映会当日、5ヶ月を迎えた息子は、まさにセンス・オブ・ワンダーのかたまりになっていた。彼の瞳に映る空、彼の頬をなでる風、彼の手に触れる草花、彼の耳に届く鳥のさえずり、みんな自然の贈り物だということが、かたわらの私にも伝わってくる。
 忘れかけていた自分が子供だった頃の感覚・・・。映画を見ながら、「しばらくはいっしょに世界を見させて下さいね」そうお願いしておいた。

 後日談になるが、出産後母の世話になっていたとき、「産んでくれてありがとう。あなたを産み落としたときから、同じ女として娘が出産したときに助けるまでが、親としての務めだと思っていた」と言われた。そして「今までいろいろあったなぁ」と私がつぶやくと「結果オーライよ」と笑って答えてくれた。私は心から、母という存在のもつ深い愛情を感じていた。

…振り返れば、住み慣れた鳥かごから一歩ずつ抜け出ては、"私はこんなふうに生きたい"と、さえずってきた数年間だった。そして逆風・順風・突風、いろんな風を受けながら、はばたき続けるエネルギーになったのが、冒頭のことばだった。
 この原稿を書いている途中、たまたま友人に借りた松井るり子さんの著書「あかんぼぐらし」にも、同じことばが紹介されていた。きっとこの先ずっと、私の人生を支えてくれる祈りであるに違いない。



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