45 えと・おーるつうしん45号 [2006.03.30] ■竹内敏晴レッスン
■最近のいろんなこと20
■あさがお新聞vol5
■口先徒然草
■一人前になりたかった
■げんきだよりNo.50
■こんちゃんのこの世的...
■ようこそ絵本の世界へ


一人前になりたかった。        by M.Y

3月に50歳を迎えました。年を迎えるって不思議な言葉ですね。実は50年を振り返って書こうとパソコンに向かったのですが、「迎える」って変換された瞬間に現在直面していることを書いたほうがいいような気がしました。

鴨長明のこと

正月、初めて下鴨神社・河合神社にお参りしたら、思いがけず「方丈庵」を見学することができた。小さくて解体組立が簡単な木箱のようだ。鴨長明が出家遁世して暮らした庵だ。(今でいうプレハブ住宅?)。
松岡正剛氏が、その著書「千夜千冊」の第四十二夜・「方丈記」の冒頭に「われわれは心のどこかで、いつかは方丈の庵をくみたいと思っている」と書いていてドキッとした。
長明は挫折から、世を離れたかったらしい。鴨神社の次男として生まれ、46歳で宮廷歌人となった。ところが、神官としては河合神社の禰宜になれず、歌人としても藤原定家をまねてモダンに走り宮廷歌人33人のうちの一人に選ばれたものの当の定家には無視されていた形跡があるという。琵琶には自信があったらしいが、秘曲「啄木」を公の場で弾いたとして非難を浴びた。そんなこんなで50のころ世を離れようとした。私からすれば、歌人として33人に選ばれるだけでもすごいと思うんだけど、長明は失意したらしい。そして、58から「方丈記」を書き始め、短い文章ながら、漢文の調子を和文に移したとされる名文を書いた。独自の文体を持つことにより、神官からも歌人からも離れることができた。そして、いよいよ世を離れることに心が向かったのだろうか?

ないものねだり

なぜ長明のことが気になったのか?  世を捨てるつもりはさらさらない。おそらくは「なんかもういいんじゃない?」と、言いたいだけなんだ。成績を上げるのが善しとされた学生時代、売り上げを伸ばすことが善だった会社員時代、成長することが善だった半生…。ずうっとないものねだりをしてきたような気がする。「成績が足りない」、「売り上げが低いっ、どうしよう?」と。あるいは、「ないものを獲るためにがんばらねば」と。なんかそういうのって「もういいんじゃないですか?」って思いはじめたんだ。 朝、そんなことを思いながら散歩していると、突然足元の小さな緑の美しさに気づく。遠くの山の彼方に深遠さを感じる。じ〜んとするくらいの豊かさがある。今たくさんのものがある。(発情期の犬を連れた散歩のうっとうしささえもある)。

満足が虚しくなるころ

とここまではいいのだが、ついうっかりしていると知らず知らずのうちに満足感は虚しさへと崩壊していく。満足が行き詰まるんだ。満足は伸びたり、流れたりする動きがないと行き場所がなくなってしまう。私には「方丈の庵を組みたい」という隠れた願望に目を向けるとき、虚しさへの怖れも大きい。無力感はもう味わいたくない、投げやりにもなりたくない、虚しさの中で人生を終わりたくない、そんな思いがやってくる。
50歳を前に鬱になる人が多いと聞くけど、わかるような気がする。「これでいいのか俺の人生?」と問いかけても応えてくれる人はいない。生き方なんてなんでもありだ。自由度が広がれば広がるほど正解がわからなくなる。かといって、どの人の言うこともその人にとっての正解であって私のことを深く理解して言ってくれているわけじゃない。いつも絶望の淵に立たされているわけでもない。このまま人生を終わることだってできるはずだ。すでに人生は何十年も渡し舟のように動きつづけている。でも、同じ動きだとただ漂っているだけのような気がしてくる。どこへ向かえばいいのかわからなくなる。嵐だったらそれを乗り越えることに必死になれる。もしも、凪が続いたら…? 最初はほっと一息、幸福だ。ところが、その幸福に耐えられなくなる。退屈がやってくる。きっと、どこか隠れたところで嵐を望んでいるに違いない。「嵐はいやだ。もう一度やってきて幸福さん」と願う。でも、もう手遅れだ。幸福はどこからやってきて、どこへ行ってしまったのか見当もつかない。こんなふうに豊かさや虚しさをウロウロしたことがよくあった。

やりたい放題。

近頃気になった人たちに松田正平(画家)、河合寛次郎(陶芸家)、DEPAPEPE(ギターデュオ)がいる。共通項は、創作を、人生を楽しんでいた、あるいは、ギターを楽しんでいるということだ。そうして、楽しんで楽しんで創ったんだろうなあと感じる作品からは主義主張を感じないということだ。そんな作品は、かわいらしく楽しく純粋だ。

一人前になりたかった、満足を求めていた、結果がほしかった、そんな私があこがれるのは楽しんでいる人々だ。今朝、玉置浩二がラジオで中学校生活を語っていた。「野球少年で練習の合間に外野に置いてあったギターを弾いた。3年のとき生徒会長に立候補したら、優秀な生徒を押さえてダントツの得票だったけど、半年後に2年生からリコールされた」。司会者から「やりたい放題ですねえ」と言われていた。いい響きだ。「やりたいほうだい」。
あこがれる。人生を楽しむ達人に。虚しさを友とし、退屈さえ楽しめる達人になりたい。ほしいものは一人前という称号じゃなくて楽しむ勇気とあつかましさ。やっぱり、ないものねだり…?


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ブログ:「まったり主夫の優柔不断な贅沢」



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