39 えと・おーるつうしん39号 [2005.03.30] ■竹内敏晴レッスン
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インカの塩    by N.K

−レモングラスの中務さんは,2月,お店の休みを利用してペルーの旅に。
 そのときの体験から書いていただきました。

ペルーに着いてすぐに、「お土産に、いい塩を買って帰りたい」と阪根さんに話しました。それを覚えてくれていた阪根さんは、クスコで「インカの天日塩」を用意してくれました。インカ帝国最大の都、クスコ近郊のアンデス山脈から湧き出た泉が、赤道直下の強い陽射しに照らされて塩になったものだと説明してくれました。
瀬戸内海沿岸で生まれて、育って、10回くらい引越しはしたけれど、その転居だって瀬戸内沿岸だけ。この地方にしか住んだことのない私にとって、塩は海から採れるもの、それが私の「常識」でした。
もちろん、「ヒマラヤ岩塩」というおいしい塩を使っているし、塩の湖があることだって知っているし、世界では、海からの塩より山からの塩を利用している人々のほうが多いのかもしれません。だからこんなことで驚く私に、常識あるみなさんはもっと驚くでしょう。でも、「ペルーの塩」は、私にとって今まで当たり前と思って信じてきたことすべてを問い直せと言われたみたいな大きな衝撃だったのです。

これに似た衝撃は以前にもありました。それは、アフリカの原住民・部族のコトバには、太古の昔から現在にいたるまで、「持つ」という動詞、「所有する」という動詞はなかったというはなしを、哲学者・木戸三良さんから聞いたときのことです。
彼らは、「僕は花を持っている」とはいわずに、「僕は花といっしょにいる」というのだそうです。「僕は豚の肉を持っている」といわずに、「僕は豚の肉といっしょにいる」というのだそうです。このような清らかな原始につらなる思いを捨ててしまった私たちは、「いっしょにいる」よりも「持つこと」、「所有すること」だけにかまけているように思えてなりません、と彼は何度もこのはなしをしてくれました。

ペルーで見たこと、聞いたことは驚きの連続でした。

地上絵のあるナスカへは、首都リマからバスで約7時間、太平洋岸沿いのハイウエイを400キロ以上南下するのですが、どこまでも砂漠が続きます。雨の降らない沿岸地帯では、プレ・インカ時代に造られた高度な灌漑設備がいまも利用されています。インカの人たちは川の水を無駄なく利用するので、上流は水量が多く、下流に行くほど水量が減り、海に注ぐころにはほとんど水はなくなっているそうです。申し訳程度に海に流れる川を何本もみました。でも、アンデス山中の川はごうごうと豊かな水量でした。

リマの中心にあるサン・フランシスコ教会のカタコンベ(地下墓地)を見学しました。地下三階まで人骨だらけだそうで、およそ20万体の遺骨があるともいわれ、見学できる地下一階だけでも2万5千体あるそうです。しゃれこうべがオブジェのようにきれいに並べられていたり、骨が焚き木のようにうず高く積み重ねられている光景は鬼気迫るものがあり、とても正視できません。ローマのカタコンベとは比較にならない迫力です。大急ぎで一巡りし、地上に戻って、何度も深呼吸して気持ちを静めました。
それにしても、地下室で眠る骨たちは風化しないでいったいどれくらいの死の時間を過ごすのでしょう。
サン・フランシスコ教会は、インディオの墓地があった場所に、スペインからの征服者・フランシスコ・ピサロが1546年から100年以上の歳月をかけて建立したカットリック教会です。ピサロはペルーを征服したとき、残虐な殺戮を行い、その時虐殺した原住民の霊をなぐさめるために教会を建立したともいわれているので、おびただしい人骨はすでに500年近い歳月を、土に還ることもできず、地下室で過ごしているのです。

昨年暮れ、山元加津子さんの講演会「みんな大好き」をライフパーク倉敷で開催しました。 お話を聞いた感動や魔女になりたいという加津子さんのことを、伊豆高原で暮らす魔女願望の友人に話すと、「それは魔女を超えている、彼女はきっと地球救済にやってきた宇宙人よ」というのです。加津子さんは、そう言われると本当にそうかもしれないと思ってしまう、不思議な、素敵な女性です。加津子さんの著書「本当のことだから」―‘‘いつかのいい日のため‘‘の宇宙の秘密―の中にも、私の知らない驚くことがたくさん書かれています。そのひとつ、こころを空に飛ばせるひろし君のこと。
ひろし君は学校から遠足やバス旅行に行くとかならず行った場所の地図を描くそうです。加津子さんは、その地図がとても正確な上から見た地図のような気がするので縮小コピーしてその地域の地図と重ねると、いつも、どの絵も正確に地図と一致しているそうです。こころを空に飛ばしているとしか思えないというのです。

インカ帝国には、考古学者たちの長年の研究にもかかわらず、誰が何のためにこんなすごいことをしたのかわからない謎がたくさんあるそうです。ところが、加津子さんはいとも簡単に、「私はインカ帝国の謎がわかるよ」というのです。それは、毎日ひろし君たちのような生徒さんに接していて、きっとインカの人たちも心を空へ飛ばすことができたんだと確信しているからです。

天野博物館は、阪根さんの祖父・天野芳太郎さんが永年研究・収集したインカ・プレインカ時代の土器や織物などが展示されています。加津子さんの本に紹介されている、6本指の手をたくさんの5本指が取り囲んでいる織物を最終日に見せていただきました。これは障害のある人をみんなで祝福しているといった感じです。ナスカの地上絵にも、指が4本のさるが描かれていたり、土器に描かれている動物や人間が4本指だったり、6本指だったりするそうで、心身に障害のある人は神から選ばれた尊い存在として、コミュニティーのなかで尊敬されていたということです。
同情でも、保護でもなく、神に近い人として大切にされるというインカの福祉に感服し、その織物をしっかり写真に収めました。
考古学者としての阪根さんのインカの歴史、遺跡の解説はとても分かりやすく、それまでは、マヤ・アステカ・インカの違いすら知らなかった私ですが、阪根さんの、いつも誠心誠意、全力投球の「講義」を聞かせていただいたおかげでインカのことが分かってきて、もっと知りたくなりました。インカの興亡はけして過去のことではなく、現代の高度にデジタル化された社会に暮らす私たちに、とても大切なメッセージを伝えているようです。

今秋来日予定の阪根さんから直接、「日本の人たちに伝えたい大切なこと」をお話していただきたいと思っています。



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