3年生になってしばらくたったころ、下駄箱のところから動けず、教室に入れなくなって固まってしまっていたAくん。保健室登校になって、当初は、空間はなく、落ち着かない毎日だったと思うが、休まず登校し、時間割どおりの教科を自主学習し、休み時間は先生たちが薦める本を読んで過ごした。休み時間になごやかに入ってくる生徒たちに身を縮めながら耐えていた。小2の頃から声を全く出さず、ことばを介してのコミュニケーションはできなかったし、人と目を合わせることもできなかった。
書くことはできるかもしれないと思い、交換ノートのつもりで私の思いをいっぱい書いて渡した。2つの選択を求める問いには、どちらかの答を○で囲んで答えることはできたが、それ以外、Aくんからの返事は全くなかった。
私は懲りずに毎日のことを書いた。じっと読んでくれているのはわかっていたし、必ず毎日持って通ってくれていたので、出来る限り、書き込むようにした。淡々と毎日が過ぎていった。2学期始業式はかなり緊張して登校した。からだが固まって壁の方に向いたままだった。竹内敏晴さんのレッスンで学んだことを生かしながら、からだをほぐすように揺らしたりしながら関係を結べるようにしていった。来室する子も多く、「なぜ、アイツだけええんなら、アイツも追い出せ!」と声を上げる子もいた。
運動会準備のドタバタした中、心配はしたが、何とか乗り越えて、パネルの作業の場へも出かけて行くことができた。運動会後、保健室登校の子どもたちが、増えて、保健室の一角で4人の机を並べて過ごすようになった。
Aくんは、だれとも話さず、昼食にお茶を飲む時も壁の方を向いてしまう状態だった。しかし、それが、Aくんだということがだんだんみんなに馴染んできたようだった。掃除時間は、掃き掃除の係りで、すみずみまできれいにそうじをしてくれた。
《初めて、目が合った》
1月になって、しばらくたって、入試の面接の練習が始まった。
(1月22日)
1回目の練習の後、保健室に帰って来てから、座ったまま動かず、帰ろうとしないので、ゆっくりAの気持ちを計りながら話しかけた。「自分の気持ちがはっきりしていたら、言葉が出せなくても、気持ちをからだで伝えようね。きっと、伝わるよ」。
私の方を向いてくれるまで、かなり長い時間待った。横を向いたまま、小さくなっているAに「息を深く入れて、肩の力を抜いて、楽にして・・・」とゆっくり声をかけ、ずっと、待った。静かな時間が過ぎていった。
しばらくすると、私の方を向き、顔を上げ、のどが解放された感じになった。 「とってもいいよ。先生を見ることできるかな。大丈夫、こわくないよ」 眼球が震え、だいぶ時間がかかったが、片方の目が合い、しばらくして両目でしっかり私を見ることができた。初めてAと見つめ合い、気持ちが交流していくのがわかった。「Aくんに初めて見てもらえたね。うれしいいなあ。気持ちが伝わってくるのがわかるよ。もう、大丈夫」。
Aがしっかりと頷いた。私の目からは涙がいっぱいこぼれた。そして、Aの右目から涙が一筋落ちた。
《初めて声が出た》
(1月28日)
放課後、何か言おうとしている様子が伝わってきた。保健室で二人になって、目が合うのを待った。口が動いた。「話せそうだね。もう少しだね」。
息をゆっくり吐かせた。ため息よりも小さい息から、だんだんハーッと吐けるようになった。「人のからだは楽器といっしょだからね。音を響かせてみようね」 「口をパカーと開けて、奥歯のかみ合わせに小指が入るくらい開けて、ニコーとして。アーーッ」。
何度か繰り返して、口から出る空気に音が混じった。「できたじゃない。もう、大丈夫だよ」 と言うと、Aはとてもうれしそうに微笑んだ。「あした早くきて練習する?」 と聞くと、しっかり頷いた。次の日から、7時40分に来室、約30分の練習をして、放課後、60分から90分の練習を毎日続けてきた。
30日には私立の入試を受けた。面接会場には何とか入れたものの、声はでなかったと思う。
31日は予定通り早く登校した。入試の面接でどうとかではなくて、いつか本当に話したい人ができたときのために練習をつづけようと話した。勇気や希望がもてるメッセージを含んだ詩の朗読を続けた。とても上手に読めて、テープに録音もし、お母さんに聞いてもらった。「初めて聞く声です」と言われた。詩のことばの意味や作者の気持ちを説明しながら気持ちをこめて読むようにした。声がしっかりしてきて、あいさつも「おはようございます」「さようなら」が言えるようになった。
《自分を表現してほしい》
(1月28日)
平井雷太さんに教えてもらったインタビューゲームを説明してやってみることにした。約束は、何を聴いてもいい、答えたくなければ答えなくていい、聞かれたこと以外でも話したくなったことを話してもいい。という3つ。答えたくないときは、パスと言うことにして始めた。はい、いいえだけではなく、それはちがいます。・・・です。などが言えるようになっていた。インタビューゲームはお互いに質問をし合って、それを相手の「自己紹介文」にする。そして、相手に渡し、納得のいくように手直しをしてもらう。そのできあがった「私は・・・です。」で始まる文章を、声を出して読むというものだ。
「明日は私が文章にしてくるから、それに赤ペンをいれてね。こんどは、Aくんが質問する番だよ。質問考えといてね」と言うと、しっかり頷いた。
(2月8日)
放課後、90分があっという間に過ぎてしまった。「先生は・・・」「先生は・・・」「先生の・・・」「先生は・・・」。何度もインタビューに挑戦したが、次のことばが続かなかった。ゆっくりでいいよと何度も待った。5時15分になった。「明日もやってみる?」とたずねると、「はい」と言ったので、休日だったが、8時から9時半までの約束をした。
(2月9日)
質問を受ける方がいいというので、いろいろ問いかけながら、私の湧いてきた思いを語った。山や川、家族のこと、失敗談など話すと、微笑みながら、じっと聞いていた。
対話の後、昨日までのインタビューをまとめたものをAに見せた。「直したいところは好きなように直していいよ」と言ってしばらく待った。特に問題はないようだったので、その後で、「じゃ、声を出して読んで見てくれる?」と声をかけると、はっきりした声で読み始めた。私がまとめた文章は次のとおりです。
私は、Aです。中学3年、15歳です。4月から教室に行けなくなり、保健室登校をしています。教室のみんなと同じように時間割どおり、自分で勉強し、休み時間に本を読んで過ごしています。
保健室にはいっぱい人が来て、にぎやかになるときもありますが、自分のすべきことに集中するようにしています。掃除も他の保健室登校の子といっしょに4人で毎日しています。
私は、おとなしく、優しい性格で、争いや乱暴なことは嫌いです。そういう場にいるととてもつらく重苦しくなります。人に対して、相手を信頼し、安心できる気持ちになかなかなれないのです。それは、ずいぶん幼いころからで、幼稚園のころから不安な気持ちがして、大勢の中に入っていくのがいやでした。でも、いやだという気持ちは言ってはいけないと思い、自分の正直な気持ちを両親に話したことはありません。小学校、中学校と行事にも参加し、がんばって、無理をして耐えてきましたが、中3になってとうとう教室に行けなくなりました。同級生がこわいような気持ちになってしまいました。学校には来なくてはと思い、保健室に来ています。
最近、他の人と目を合わせることができるようになりました。目を合わせただけで気持ちが通うことがわかりました。自分以外の人も安心できる事を確かめているところです。声を出せるようになりました。自分の気持ちをことばにして伝える練習をしているところです。
いつか自分のことをまとめて書いてみたいと思っています。自分といういのちがうまれて、生きてきたことを。自分でその意味をみつけて自信をもって生きていくために、今、そして、高校での出会いを大切にしようと思っています。」
「ちがうなあと思うところはないですか?自分の気持ちと合っていますか?」と聞くと、「はい」とはっきり答えた。
私自身の親としての反省点も話しながら、「お母さんの気持ちは、今はずいぶん変わっていると思うよ。休みが続くから、試してごらん」と伝えておいた。お母さんにも連絡し、「目と目を合わせるだけでいいので、ゆっくり待ってあげてください」とお話をしておいた。休み明けお母さんから、「やってみようと思ったけど、親子で気恥ずかしくて・・・。目は合わせられませんよ」と言われた。家に帰って同年齢の息子と確かめてみたが、目はしっかり合ってどうってことはなかった。
目をあわせることができる人、対話ができる人を少しずつ増やしてきた。聞かれて、返事をするまで、しばらく待ってもらえると何とか応答もできるようになった。先日は班の子どもたちが何人か来てくれて、お茶を飲みながらなごやかなひとときを過ごすことができた。声は出せなかったが、プッと吹き出す音がするほどにこやかにしていた。表情がだんだん出てきている。
いよいよ卒業。「人の目を気にしないでいられる自分になるために仲間の中で学びたい」と高校への道を選んだ。中学生になって死ぬことを考えていたそうだが、今はそんなことは考えることはなくなったと言った。入試の結果がどうであれ、また、どんなことが起ころうと受け入れて自分を確かなものに育てていけそうだ。
Aとの交流を通して私は少しずつ変わった。ゆったりとした空っぽの時間、じっくり待つこと。それがあれば、求められていることが自然に自分の中にひらめいてくることが実感できた。悩まなくても、ちょうどぴったりのことが次々に起こってくる。また、そういう本や人に出会う。そのおもしろさを味わえた。不思議とも思える3ヶ月だった。
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