はじめに
みなさんは、2002年の春をどのように迎えられましたか?
私はこのお正月、二人の『本物』に出会いました。
1月3日、といっても私がテレビを見始めたのは、すでに4日になっていましたが…NHKのBSにあのスピルバーグ監督が出演していました。アメリカのトーク番組でした。テレビの前を通りかかり、点いていたこの番組に釘付けになったのです。
深夜の番組ですが、見られた方もいらっしゃるかもしれません。彼の生き方、人柄、考え…深く感銘を受けました。
印象に残った二つの話を書きます。一つは『人の話を聴きなさい。人の話の聞けない人は損をする。大きな声を聴くのではない。心のささやきを聴くのだ。』
これは、彼が小さい時に親から教えられたことだと話されました。
そしてもう一つは『人はボクを有名だという。きっと、社会ではそういうことになっているんでしょう。でも、ボクは自分が有名だとは思っていない。もし、ボクが自分のことを有名だと思うようになったら、その時仕事は辞めるでしょう。人がどう思うかを考えて作品を作るようになったら、それはもう、ぼくの作品ではなくなるのです。』
彼のすばらしさに触れたその12時間後、私は、演出家の竹内敏晴さんにお会いしました。
竹内レッスン
数年前、私は、学生時代の恩師、山本清洋先生(現在、鹿児島大学教授)が送付してくれた『こどものからだとことば』(竹内敏晴・著)という本のコピーを読みました。とらいあんぐるの子どもたちと運動をしていて、いつもからだとことばの不思議さを感じていたのです。そのことを山本先生に話すと、先生はいい本があるよと、コピーをとって送ってくれたのです。
それ以来、竹内さんの本を読み、出演しているテレビは見、新聞に載れば読み、竹内敏晴という人にとても興味を持っていました。最近では、山陽新聞にエッセイ『ことばと声と人生と』が連載されましたね。東京や大阪に行けば竹内レッスンが受けられることも知っていましたが。なかなかチャンスがなかったのです。
ところが、願いは諦めず、持ちつづけるもので、竹内さんの来岡が決まったのです。一年半先までスケジュールがいっぱいという中、自らのお正月休みに明けていた日、竹内さんは岡山にきてくださることになりました。2時間の講演と二日にわたってのレッスン、濃く凝縮された時間を私は過ごしました。
今、多くの子供の身体におきていることは、おとなのせいだとわかっていました。つまり、私自身のせいなのです。ただ、頭でわかっていても目の前にいる子どもをどうすることもできない自分…レッスンを受けることで、そんな自分のからだの声を聴くことになったのです。そして、私がどんな声で、どんな話し方で、どんな態度で子どもたちに接していたのかが、はっきりしてきました。
それは、私にとってはとても衝撃的なことでした。
ある人は言いました。「自分を変えることは簡単なことではない」そして別の人は、「換えようなんて思わなくてもいいじゃない。ありのままの自分で。」…違う、私は自分を変えたいのではない。本来の自分に戻りたいのだ。
このおとな社会で、社会的、世間的に上手に生きる術を身につけてしまい、やがてはそれによって身動きができなくなりかけている私のからだでは、今目の前にいる子どもたちの本当のしんどさを感じる子度ができないのです。
20名予定のレッスンは、すでに満員になり、多くの人がキャンセル待ちをする事態となりました。私は主催者側の特権でレッスンを受けることができたのです。私自身の気づきはここには書きませんが、おとな22名のレッスン生を見ていて、はっきりとわかったことがあります。
いかに私たちが『比較』の中で生きてきたかということです。
竹内さんの「今、あなたはどう感じますか?」という質問に「さっきより気持ちいい」とか「前の人よりはあたたかく感じる」とか「普通の感じ」とか…今、自分のからだがどう感じているかを何かと比較しないと表現できない、もっといえば、どう感じているかわからない…本来の自分の感覚をすでに失っているのです。これで子供の声が聴けるわけがない…ですね。
講演会も大盛況でした。山陽新聞が大きく取り上げてくれたこともあって、用意した席はすべて埋まり、たくさんの立ち見が出たのです。
講演の中で、私は子どもについて質問しました『今、多くのおとなは子どもたちに「じゆうにのびのびと」とか「ありのままでいい」などと言って子育てをしている。一見子どもたちは自由に好き放題しているように見えるが、のびのびどころか実はとても疲れていて、エネルギーはなくイライラしている。その辺のところをどうお考えですか?』と。
…竹内さんは、はっきりと「おとながそうだ。」と言われました。そして、「全てのことに『力いっぱい』がない」と…けんかをするにも、あそぶにも、あるところで止めている、自分が傷つきもせず人を傷つけもせず、力いっぱいぶつからない。そんなところでエネルギーが沸くはずがない。
子どもの声
ある雨の日、体育館の駐車場で一匹の子犬が雨に濡れていました。首輪を付けていたのですが、近くに飼い主らしい人は見あたりません。私が犬を触っているとりょうたくんが来ました。「あっ、犬だ。捨て犬かなあ。」と言った後、「わかった、ゆうこ先生次のげんきだよりには、この犬のこと書くんでしょう。」私は、大笑いしました。「犬のことなんて書かないよ。そんなこと言ってるりょうたくんを書くの」
風邪をひいてしまい、声が出なくなりました。いつもうるさくて手のおえない子どもたちに頼みました。「先生、今日声が出ないから静かに話を聴いてね。」そんなことを頼んでも無駄だとわかっていたけど…。
一週間経ってすっかり元気になり、風邪を引いたことさえ忘れている私に「ゆうこ先生、声出とるな。」ゆうきくんの一言。「あっ、治ったん。」こうちゃんの一言。この子たち、私の様子を覚えていてくれたんだ。普段の様子から、とても『いいお子さま』とは言えないけれど、『いいやつら』だよな。
もうすぐサンタクロースがやってくるとはしゃいでる子どもたちに、「ゆうこ先生には来ないよ。」と残念そうに言うと、「うちのママには来るよ。」とさおりちゃん、「うわー、うらやましいー。」と、つい本気で言ってしまいました、「うちには、犬にも来るんで。」「うちには、亀にも来るんで。」そう言うしゅうちゃんの目はまっすぐでキラキラしていました。
寒い日なのに半ズボンのあみちゃんに、「寒くない?」と訊きました。「うん、寒くない。ちょっとすずしい。」
初めて二重跳びが出来たしょうくん、
「先生、見て見て二重跳びができたんじゃ。」
「見せて、何回できたの?」
「うーん、一回か二回…。」
「そう、すごいじゃん。跳んで見せて。」
しょうくんは、跳び始めました。一回、二回、三回、よーんかーい、
「やったあ。」
「やったね。四回だ。」
「あ、あの先生、ボクさっきできたの五回か六回だった…。」
今、一回か二回って言ったのに、そんな気になるんだよね
クリスマス会でマット運動を披露してくれた器械クラスの子どもたち、「みんなのこと、紹介したいから、自分のいいところとか頑張ってることとか、何か言ってほしいことがあったら教えて。」というと、ゆうきくんが手を挙げました。
「もり ゆうき ちびでーす。」 あっ、ボクもボクもとたくちゃん、「もりやま たくや ちびでーす。」
「いいの?」本当にそんなことみんなのまえで言って。と私が聞くと、二人とも笑って頷くのです。一年程前、ゆうきくんは私に話してくれました。学校でちびと言われるのが辛いと…。
今、ゆうきくんもたくちゃんも小柄なからだを一杯使って、キレのいいバック転や宙返りを見せてくれます。自分に自信が持てたとき、そのままの自分を受け入れることができるのだと想います。
毎日毎日、子どもたちは楽しい言葉を話します。毎日毎日、子どもたちの表情は違います。この子どもたちと出会い、私の中に子どもたちを招き、子どもたちの中に私を招き入れてもらうために、私は竹内レッスンを受けたり、鳥山敏子さんの話を聞いたりしているのだと想います。
竹内さんを送って駅の新幹線ホームまで行きました。それまで、たくさんの話を聴くことができました。新幹線に乗る前、竹内さんは握手をしてくださり、私に言いました「秋田さん、呼吸を深くね。」私は、暖かくやさしい手とその言葉を忘れないでしょう。
竹内敏晴(76歳)
東京大学文学部卒業、演出家。 宮城教育大学、南山短期大学などで教鞭をとる。
自身の言語障害者としての体験をもとに、「からだとことばのレッスン」に基づく演劇想像、人間関係の気づきと変容、障害者療育に打ち込む。
〔著書〕
「ことばがひらかれるとき」(思想の科学社)
「子どものからだとことば」(晶文社)
「思想するからだ」(晶文社)
「癒える力」(晶文社)他多数
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