20 えと・おーるつうしん20号 [2002.01.20] ■竹内敏晴講演会 1/2
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竹内敏晴講演会「伝わることば、伝わるからだ」
  ―大切な人とコミュニケートするために―

1.要旨
2.インタビュー   

1.要旨

 竹内敏晴さんの講演会とレッスンが急に実現できることになり、とりあえず4つのグループ(えと・おーる、とらいあんぐる、セルフラーニングを考える会、岡山言友会)で、実行委員会「コミュニケーションを考える会」を作りました。たった2ヶ月の準備期間でしたが、週1回のミーティングで、竹内さんの著書のこと、自分の夫婦関係、親子関係など話しながら、講演会で何を話していただくかをつめていきました。私たちのこんな動きを竹内さんは「なんか愚にもつかないこと、やってるなあ」と思われたことでしょうが、大きなお気持ちで受け入れてくださいました。

 開示と同時にレッスンは定員いっぱいになり、たくさんの方をお断りするはめになりました。講演会も、山陽新聞で取り上げられたこともあって、申込みがたくさんきました。会場いっぱいにすわっていただくことになって、聞き取りにくいこともあったかと思います。改めてお詫びいたします。
 参加された方々から「大変だったでしょう。いい会をありがとうございました」と言われましたが、私たちこそ、準備期間も含めて、つながりと、学びと、からだの心地よさとを体験するよい機会を与えられ、感謝の気持ちでいっぱいです。
 講演会は始めインタビュー形式で進めましたが、竹内さんの「レッスン」が飛び出して、スタッフもびっくりの展開になりました。また、質疑応答でのお話にも深く感じさせられました。
 今回、この場で、お話の内容(要約)をみなさんにもご紹介したいと思います。


はじめに

 私は子供の頃から難聴で耳がほとんど聞こえませんでした。

 今こうやって喋っていますが、一応喋れるようになったのは、40代の半ばです。
 旧制中学のころは非常に悪くて、一番前に座っていても先生の声が聞こえない、そういうような状態でした。
 それが16歳の時に初めて、薬ができて、それが私の身体に良く効きまして、こっちの耳だけ聞こえるようになったんです。聞こえる様になったという事は、しかし、人の事がわかるようになったという事とイコールではありませんし、喋ることが出来るようになるっていうのは更にイコールではない。ずーっと後の話ですね。
 それから、旧制高校に行ったり、戦争で志望が全く変わって、別の事をやったり、それから戦後になって敗戦という事でまた考える事が変わって、芝居をやるようになっていって、今に至る遍歴があるんですが、その間ずっとうまく喋れなかったわけです。
 ところが、40代の半ばに、あるレッスンの最中にぱっとはっきり声が出るようになったのです。

 一応声がはっきり喋れるようになった時に、ビックリした事があります。
 一つはですね、自分が今までどんな風に人と向かい合っていたかってことが、声が劈かれた瞬間にまるで変わったということ。それまでは全然気がつかないで一生懸命喋ってんですけどね。一生懸命喋っていると相手の人がうなずいてくれる、たとえばこういう所で喋っていれば皆さんがうなずいてくれると、自分が喋っている事が伝わっているな〜って事がわかるわけですよね。
 だけれどもね、いっぺん声が出てから気が付いてみたらね、それまでは、目の前には厚いガラスの壁があって、全く直に喋ったり、直にことばを受け取ったりするという感覚ではなかったという事が、言葉が出るようになって初めてわかったわけです。そのガラスの壁がぱあっと破れて、 "あ〜っ"て自分の声が向こうに行って、直に戻って来たという事がわかったんです。人と人とが話すって事がこういう事かっていうことを40いくつになって初めて知ったわけです。朝、人に出会って"こんにちは〜"って言うと、"こんにちは〜"って返ってくる感覚―声が届いたって、それは本当に嬉しい事でした。これが第一のこと。

 二つ目は変な事に気が付いたわけですね。喋れるようになって、そういう風に直に喋って、直に返事がくるというのがわかって、楽しくってしょうがないんだけども、変だな〜って思うことがある。今まで自分はうまく喋れないし、良く聞こえないから、AとBという人が喋っているというのは、AがBに喋る、そしたらそのことを受け取ってBがそれについては自分はこういう風に思うからって返事をする・・・。こういう風にキャッチボールみたいにやってんだろうとばかり思ってたわけですよね。
 ところが、喋れるようになって、こうやって見ていると、どうもそういう様子じゃないんだな〜。AとBという人が勝手に喋っているんだ。変だな〜って思い始めたわけです。いったいこれが人と人とが話し合う事だろうか?っていう風に思い始めると、どうもおかしい。

 こうやって、人が人と話すってことをもっと丁寧に考えてみようって風に、やりながら考えているうちにそれがレッスンになって発展して、いつに間にか「からだとことばのレッスン」ていう名前になったわけです。これは二つともコミュニケーションという問題ですね。

 ところがもう一つだけその先に言わなければいけないことがあります。
 このレッスンを10年位やっているうちにね、また変だなって思い始めたわけです。言葉が上手く喋れなかった人間にとってみると、自分が何を考えているのか、自分が何を相手に伝えたいのかって事を言葉にするっていうのは大変な努力がいるわけです。
 20歳くらいからかな、喋って・・・一生懸命自分の中で言葉を見つけて喋る、いくら喋ってもいくら喋っても"わからない"って言われる、"何言ってんだかわからない"ってね。言葉の選び方が悪いのか、その組み立て方が悪いのか、その両方なんですけどね。なかなか、人様が一ペんすっと聞いてわかるような形にするのは難しい。なんべんもなんべんも組み替えて、やっと人様に伝わるという事になる・・・。
 そうするとね自分の中で何が本当に言いたい事なのかということを一生懸命に煮詰めないといけない。それをやっと言葉にして、やっと文章にして相手に渡すわけでしょ。それは受け取って貰えたら嬉しいし、わかってもらえない時はガクンとする・・・。

 ところが10年ぐらい経って、レッスンをしたり、普段喋ったりなんかしてみていると、どうも世の中の人はそうゆう風に喋っていない様だと気が付き始めたわけです。これはすごいショックでした。要するに自分の中に本当に動いたものを表現して相手にわかって欲しい、届けようというふうにみんなは思っていないらしい。むしろ自分をどうやってごまかすか、自分は傷つかない様に人との間に言葉で壁を作ってね、そっから先には人を受け入れない、自分の方からも向こうの方へ本当の事は言わないで済ますために、言葉を使ってんじゃないかという事に気づき始めたわけです。
 そういう事に気が付いたのが50代半ばを過ぎていたと思うんですね。
そうなって来るとこれは一体コミユニケションという前に、人が生きているとか、表現するとかって事は一体何だろうっていうことになります。そのショックというのは非常に大きくて、なかなかことばとは何かという問題は片づききりません。しかし10年ぐらいそのことで苦しんでいますから少しずつ今抜けてきて、今ようやくこういう風にしてお話しているというわけです。

 問題は、コミュニケーションの次元という事になろうかと思うんです。コミュニケーションって一口で言われますけども、私の目から見ているとことばだけについて言ってもも二つか三つぐらいの次元があって、その一つは世間的な次元です。解りやすくいえば社会的な言語といってもいいですが、「情報伝達の言語」といってもよろしい。
 ところがこういう次元ではない、もっと下の、そういう言葉が成り立って来る前の、言葉としては未成熟な、社会的な言語としては未成熟なのかもしれないけれども、しかし自分の中に動いているイメージなり、情動なりについてはピタっと一つになっている、ある、生きて動いている言語というものが有る。もう一つあると思いますけども、まあ大雑把にそういう二つぐらいの事を解りやすく考えます。

 前者が「世間としてのからだ」という風な言い方をするとすれば、後者は「生き物としての人間のからだ」といってもいい。そういう風な二つのレベルっていうのがあります。そして、コミュニケーションという時には、普通、情報伝達の方が多く考えられます、一般的、社会的にはね、、。ところがこのごろコミュニケーション、コミュニケーションっていって、どうも上手く成り立たないってことを言われているっていうのは、もっと極めて人間的なレベルのことでありまして、情報伝達は、すごく今は発展しているわけだけれども、いくら情報が伝達されても何かは伝わってないものが有る。ということが多分、今コミュニケーションという問題が人間的なレベルで非常に問題になっている事だろうと思います。
 ところが私の目から見ていると、そのレベルの違いをごっちゃにして喋っている人が多い。すると何を問題にしたらいいのか解らなくなっているという感じがかなりするわけですね。という訳で、今、ことばとからだのレッスンをやっているのだと申しましょう。


2.インタビュー

・インタビュー1

 竹内さんを知ったのは、鳥山敏子さん主宰の「賢治の学校」の、竹内レッスンの案内でした。
共働きの友達夫婦をめざして、挫折し、ダンナの顔色をうかがいながら、一生懸命、いい主婦をしようとガンバって、言いたい事をいえず、ストレスを子供にぶつけてすっきりしていた私。
働いているダンナにひけ目を感じて、家事,子育てへの協力を言い出せなかった私。
手伝ってもらえなかった事を恨みに思っている私。
この案内に書かれた言葉は、こんな私の言葉にならない心を言葉にしてくれたーそう感じました。

「生き生きとリアルに生きるからだをもちたい。
自分が何を感じ、考えているのか、はっきりさせたい。
親として,自分のこどもと向き合い、自分をこわし、成長できる人生を歩みたい。
自分がこの地上で、この人生で、納得いく一生を送りたいと思っている人達へ」

私のような思いを持って、竹内レッスンにやってくる人達はいますか?
その方たちは、レッスンを受けて,どんな風に変わっていきましたか?


 そういう悩みを持って参加した人がいるかというと、そういう人ばっかりといってもいいくらいだと思います。いろんな言い方があるんですけどね、それについて今の質問に答えるとすると、とりあえず二つお話しておきたい。

 一つは、"手伝ってもらいたいんだけどもそれが言えないで、一生懸命忙しくして向うで気が付いてもらいたい"って言いかたされましたよね。それは、今までの日本人の一番基本的なコミュニケーションの形だと思うんです。それは、僕に言わせると「察してもらいたい」っていうことなんですね。察してもらう、察してくれるということを期待して相手に向かっている。それで察しがいい人が、「いい人」なんですね。そういうふうになっているわけです。
 それは、お互い同士がある安定した生活があって、その中でのルールっていうのがかなり細かく決まっていて、それでずーっと続いている―まあ大家族制とかなんとかの中では伝わってくるものがあって、その中でやってる間はいいわけです。けれども、一つひびが入ったとする、ずれてくる、するとそれは全く役に立たない方法なんです。"察してもらいたい"っていうのは、とても根が深くて、それはそれで非常に大事な事なんですけども、しかしこの"察する"という形でずっ〜とお互いがいる時、そこで落っこちていってしまうものもたくさん有るんではないという事を、やっぱり考えるんですよね。これが一つです。

 もう一つは「変わる」っていう事をおっしゃった。変わった人も居るし、変わらない人もいる。ただ、レッスンをやってきて、いろんな方々を見ていて、こういう事はもう少しお考えになった方がいいんじゃないかと思う事は、 "変わるって何だろう"って事です。こういう事を学んだら変われるとか、こういう事を身に付けたら変わるっていう、そういう簡単なことにはならないと思うんです。

 僕に言わせると、今までやってきたやり方、自分の生き方がもう到底だめだと、どうやってもこのままじゃ生きていられないってふうになった時に初めて人は変わります。そういう風にならなければどんな事をやっても変わらない。もし変わりたいと思うならば、自分がどうであるか?って事に気が付いていく、気が付いていくたびに、自分が、自分を追い詰める訳ですが、"こういう形では自分は生きてるとはいえない"とか、そういう事がだんだんはっきりしてきて、自分を追い詰めていって、今までの生き方ではもう生きていられない―そうなった時にその人は、どういう形を取るかどうか判りませんが、変わります。そうならなければ絶対変わりません。

 この中に学校の先生がどのくらいるか知りませんが、そういう危険を一番早く察知してさっと逃げる敏感さを持っているのが学校の先生ですね。
 「やばい!これ言ったら自分が変わらなきゃならなくなる」となると、そこのところからピタッとレッスンに来なくなります。それを越えて、越えてやってきた人の一人が、さきほど話に出た鳥山さんですね。彼女には、強さというのか、それだけの追い詰められかたがあったですね。
 彼女は必死だったですね、レッスンに来る時は。そういうふうに、まずはお答えしたい。


・インタビュー2

 私は竹内さんに子どもについてお話をうかがいたいと思います。私は幼児から小6生までの子どもを対象とした小さなスポーツ教室を開いています。10年ほど前から子どもの様子がへんなのに気づきました。ここ2〜3年は信じられないくらいへんです。

 一つはまずからだがへんなのです。竹内さんは以前TVでこどものからだが上に伸びていっていない、下に向かっているようだと発言されていますが、本当にそのとおりです。そして、私が強く感じるのは首の力のなさです。どんなスポーツもあごを引いて重い頭を支える首の力がとても大切だと思うのですが、頭はぐらぐらです。そして、各関節が伸びません。体がかたくこわばり縮こまっているのです。

 もう一つは、言葉・態度・行動がへんです。今、大人たちはけっこう子どもたちに「自由にのびのびと」とか「ありのままでいい」とか「わがままは我がままでいい」とか云っています。一見子どもたちは自由に好き放題しているように見えますが、それにもかかわらず疲れていてエネルギーはなくイライラしています。このへんのことを竹内さんにお話していただけるとうれしいのですが。


 これは、学校の先生だの子供に付き合っている人達がみんな感じている事な訳ですね。これについて直接お答えするよりも、こういう事をお話したい。

 ある女の子にあったんですよ。小学校の一年生になっていたかな。その子は大変頭が良くてね、お母さん方から褒められ者でした。
 とにかく大人のいう事をよく理解して常にそれにすっと答えてやる。まあ家の事にしても、学校の事にしてもきちんきちんとやるしね。でその子がたまたま家に遊びに来ましてね、喋ってるのを聞いたら、全然声が出てないんですね。
 それでビックリして眺めたら、こういうふうに・・・わかるかな?「わたくしは〜」ってこういう風に喋るんです。唇だけを開けて、歯の間を開けていない。確かに発音もしっかりしているので情報伝達としては良くわかる。ところがその人の身体の中に動いている息遣いというか、心理学的にいえば「情動」が全然聞こえないわけですよ。これは、どういう風になってんだろうと思ったのが始まりです。
 その後気になってずっと子供達を見ていると、やっぱり唇は開けるけども歯の間は開けない、つまり息を外に吐かないで喋ってるって子がかなりいるって事に気が付いたわけです。

 それでレッスンをするたびに参加者にその事を言ったり、子供達にもっと口を開けて息をさせる様にしないといけないんじゃないかと言ってきました。何百人だか何千人だかに喋った事になると思うんですが、5〜6年の間は、それに対して何にも反応がなかったですよ。ところが2年ぐらい前に突然バタバタバタと小中学校の先生達から「やっぱり口が開いてません」という報告が来始めたんですよ。どうもこの2〜3年前から何か大きな変化が起こっているのかもしれませんね。

 たとえば、こういう話があります。中学の養護の先生から聞いたんですけども、休み時間になると子供達が保健室にやって来る。その時に、多くは、来ても電信柱みたいに立っているって言うんです。
 で「どうしたの?」って言ってもウンともスンとも言わない。「まあ座んなさい」って座らせるまでが大変だって言うんですね。電信柱だからね、なかなか座らない。で「どうしたの?」って言っても何にも言わない。そのうち、一生懸命丁寧に聞いてるうちに「痛い」とか何とか言うんだよね。「腹痛い」とか何とか言うんだよね。
 「お腹がいたいの?」って首ひねりながら、それでお腹が痛いって言うとそれは「お腹の上の方がいたいの?下のほうがいたいの?左の方がいたいの?みんな痛いの?」って聞くんだって。そしたら初めてビックリした目をぱちっと開けてね、「何でそんな事聞くんだって?」いうわけですね。何でって言ったって、どこが痛いか言ってくれないと、どういう風に具合が悪いかわからないから・・・。そしたらかなり考えはじめる。

 ところがいろいろやってみると、お腹が痛いとは限らないわけですね。なんか吐き気がするみたいだとか、時にはやっぱりこれは下痢しているのかなってふうになるかもしれないし、眠くてたまらないってことだってある。

 それを聞いてるうちに僕はビックリしたんですね。これは本当は幼稚園、あるいはもっと前に子供がやる、それをお母さんが付き合っている仕事ですね、多分そのお母さんが子供の身体に触ってやった事がないんだろう。子どもが「お腹痛い」って言った時に「一体どこが痛いの?」ってお母さんだったらどこなの?ここなの?って触るでしょう。ところが「痛い?痛いんなら薬飲みなさい!」とか「痛いんなら医者に連れていく」とかいう話にぱっとなってしまってたんじゃないかな。

 そういう子供達の様子を見てて、今度大人のレベルで見ると、何のことはない、大人が大体そうなんですね。要するに子供というのは、つまり幼い頃には大人のコピーをしているわけで、こりゃ、大人の問題じゃないのかっていうのがね、一番の問題ですね。要するに一番感じるのは力一杯ぶつかったことがないんですよね。力一杯走る、力一杯取っ組み合いをする、力一杯違うって喧嘩をする事もない。力一杯出さない、ある程度の所で留めといて、上手く言えば話し合いかもしれないけれども、傷つきもせず、傷つけられもせず、こういうふうにまあまあいいわねってところに個を押さえていく。そういうかたちなんじゃないか。そういう事の中で身体がどっちの方に伸びていったらいいか解らないで、うろうろしているんじゃないかなというのが今おっしゃった事についての一応の感想なんですね。

 というところでちょっと一区切りして、皆さん立って息を入れませんか。

(レッスン:息を吸い込んで吐く・みんなで唄を歌う)

 ちょっとお互いに顔を見合わせてね、息を吐く時に相手の人は歯の間を開けているかどうか、自分もですよ、ちょっと見て下さい。歯を開けないって事は、中で動いている息づかいが外に出ないで、かみ殺している事ですね。中で動いている自分をかみ殺しているんだと言っていい。かみ殺したまま喋っていてその子供が生き生きして来ないなんて言ったところで、どうしようもないですね。


・インタビュー3

 精神病院で准看護士として働いています。
 日々、「精神病」者といわれる人達と断片的ではありますが、付き合っていくなかで、人と接することの難しさを感じています。特に、初めての入院患者さんに対してはどう対応してよいのかわからず、戸惑うことが多いというのが実情です。できるだけ「ことば」を発せず、黙って傍らに居るということを基本にしていますが、食事、薬、排泄など最低限の声かけはしなくてはなりません。相手に恐怖感、緊張感を与えない接し方というのはあるのでしょうか。
 「癒える力」の中で、看護とは「直に(じかに)」触れること」というように書かれていますが、直の世界というのはどういうことでしょうか。

                                      
 まず「直(じか)」の世界というのと狂気の世界というのは繋がっているんですね。繋がっているけどもイコールではないと思います。そこが言葉では言いにくいところだと、まずお答えしといた方がいいかと思います。「直(じか)」というのは、さっきちょっと言いましたけど、情報伝達の次元ではない、生き物みたいな世界といっても言いかと思います。

 わたしのレッスンに"出会いのレッスン"と言うのがありますが、こうやって両方あっちとこっちとに向いている―それが振り向いてお互いがくっついて行く、途中で出会うなり、すれ違うなりしますね。その時に感じたまんまで動くってことをやるんですが、最初に振り向いてぱっと見た時に、片方の人にとって相手が人間に見えなかったという事がしばしばある。
 何に見えるかっていうとね、一番多いのは感じでいうとね爬虫類が多いですね。それは、相手を見た時の集中の次元によってスッと変わる。植山さんは植山さんでめがねかけたごつい男の人で、これが当たり前の話だけれども、しかし、ふぁーと見たとたんに怖いと感じたんだとすれば、それは何か植山さんの存在のし方自体が別のものに見えたということ事に感じられるわけね。

 患者と言われる人は、まず一般的な、世間的な情報伝達の意味でのコミュニケーションの次元からは、もう落ちこぼれた人間です。病気になったというのは、世間的なあるいは社会的な役割をきちんと果たすってことから落ちこぼれたといってもいいし、跳ね上がったと言ってもいいけども、はずれたんだからそういう身体のまんまで息をしなければ、まずどうしようもないわけなんですけどもね。
 添う身体っていうものはどういう風に向かい合えるかという事であります。ためしにちょっとだけやってみましょう。僕のことをちょっと招いてみて下さい。

(インタビュアーとのレッスン)

このあと、会場からの質疑応答(省略)。



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