42 えと・おーるつうしん42号 [2005.09.30] ■竹内敏晴レッスン
■最近のいろんなこと17
■あさがお新聞2
■岡山映画祭2005
■ある学習塾の日誌
■せっかくガンに…
■げんきだより No.47より


せっかくガンになったのだから-1- by N.K


5月17日夜のこと、倒れた父を見て、死ぬってこんな感じなの?と思いました。

家族の呼びかけで意識が戻った父は、取り囲む家族を見渡して、「今夜は食べたくない、休む」と何事もなかったかのように寝室へ引き上げていきました。
翌日、いやがる父を強引に病院へ連れて行きました。
まず脳外科です。慎重に、丁寧に検査をして下さいましたが、脳には意識を失う原因となる病巣はありませんでした。
「明日の朝、胃の検査をしましょう、絶食で朝早く来るよりも、今夜一晩泊ったほうがいいでしょう。」医師は冷静で穏やかですが、検査の結果を待つまでもなく病名は予測できていたようです。胃から大量の出血があり、一時的に脳まで血液が送れなくなり、意識を失ったのです。

「胃がんです」と告げられ、「よかった、早くわかって」となんとも呑気に応えてしまいました。貧血は相当進んでいて、すぐに輸血がはじまりました。輸血するだけ出血するといった状態が続き、そんな様子をみているうちに、これはただ事ではない、「早く分かってよかった」なんて喜んでいる場合じゃないと事態の深刻さが少しずつわかってきました。本当は最初からわかっていたけれど、その事実を受け入れたくなかっただけかもしれません。「手術はさせたくありません」といったとき、「手術は出来ません」と厳しい宣告を受けていたのですから。

2週間たっても出血は止まらず、「このままだと主治医として打つ手がありません」と告げられました。6月1日のことです。かなり進行していた父のガンには従来の病院の治療だけでは立ち打ち出来ないと判断した主治医から、厳しい食事療法が提案されました。
「病院の食事を止めましょう。」ベッドの枕元には「絶食・水分のみ」と書かれた大きな札が下げられました。病院から出されるものは、水のような葛湯のみで、主食は家で作った玄米クリームです。

それから約一ヶ月、毎日玄米クリームを作り病院へ届けました。
副食となりそうな野菜や穀物のスープもすべて裏ごしして胃に負担のかからないようにしました。里芋パスターは入院早々から始めていました。
ビワの葉温灸がしたいので、電熱器が使えないかしらと主治医に相談したところ、里芋パスターのほうが効果がありますよと手当て法を教えてくれたのです。
治療と手当ての相乗効果が見られたのでしょうか。様態が少し安定したころ、主治医は父に彼自身の体験を話してくれたそうです。彼は昨年6月、がんで胃を全摘手術しています。
「私もこんな食事を半年しました。でも、この仕事をしながらの手当てではガンがなかなか小さくならず、半年後に手術しました。」
それを聞いて父の我慢は切れました。こんなまずいものを半年も食べさせられて、痩せ衰えてから手術するんだったら、今すぐ切ってくれ。
主治医がこんな食事といったのは、流動食のことではなく、玄米・菜食のことです。勤務医として激務をこなしながら、自分で治療食を作っていたことを私も知っています。一刻も早く自分で噛んで食べたい、そればかり考えていた父ですから「こんなに辛い目にあわせている主治医」を恨んでさえいる頃でした。
どうせ手術するのならすぐにしてくれという気持ちはとてもよくわかります。
主治医は、さまざまな手当てをしながら治療に専念できる父は、必ず完全治癒できるという希望がみえてきたからこそ自分の体験を話してくれたのでしょうが、説明不足で裏目に出てしまいました。

7月になって、食事のレベルを上げるのに病院では対応できないらしく、(私が、無農薬で新鮮な野菜を使ってくださいとお願いしたものですから)「今なら手術できるまでに回復しています。手術か食事療法か、本人が決めてください」といわれました。本人は「家に帰って考えます」と曖昧な返事をしたまま退院しました。家に帰れればもう治った気分で、手術してくれといったことなどすっかり忘れたみたいです。最初のうちはしぶしぶでも食べていた玄米ご飯も一ヶ月もするとあまり食べなくなりました。

8月7日

4日夜はうなぎの蒲焼でした。前日、外来での採血検査で改善がみられたようなので、少しは本人の食欲を満たしてあげようと例外メニューにしたのです。でもその翌日はまた野菜中心メニューに逆戻りしました。
「お前らはまともなものをいっぺんも食わさん。お前らの世話にならん」怒り狂って、母に罵声を浴びせて、まだ夏の日差しが強烈な夕方4時頃、帽子も被らずさっそうと自転車に乗って近くのスーパーへ出かけ、ほとんど調理しなくていいものを買ってきました。
この季節、細胞を引き締め、身体を暖める食事、しかも香辛料を使わない薄味の料理では、健康な人すら食べにくいものです。
オロオロする母に、「この際お食事係りさんが1週間くらい夏休みさせてもらってもいいんじゃない?」容態が安定しているのなら、治療食は患者も家族も夏休みがあっていいと思ったのです。でもお休みをくれたのはたった2日だけでした。
時々大したことでもないのに激怒するのは死への不安や恐れがあるのでしょうか。

8月8日(月)

父はもう食べたくないらしいけれど、私のために玄米を炊こう。
以前、「田舎者」と呼ばれるのは嫌でした。でも、田舎の豊かさに気がついた今は「田舎者」であることが誇りです。大地の豊かな恵みがあればこそ健康でいられるのです。日々、大地の母なる神様に感謝すること、そして、その大地の恵みを生かしきること。それこそが病気治癒への近道だったのです。
しかしそれは、家族にガン患者を与えられたことでやっと気付くことができました。我が家の田んぼの玄米、我が家の畑の野菜たちが病んだからだを癒してくれる、そのことに、父もきっと気付く日が来るでしょう。
ホリスティック岡山のメンバーとして様々な学びの機会がありましたので、ホリスティック医療に携わる先生方の著書や講演を通して、かなり断片的な知識はありました。
今回の我が家の「大災難」のお陰で、今までのそうしたばらばらの情報がやっと私のものになりそうです。
5月の満月の夜、女友達数名で、伊豆高原のステキな山荘に泊まることになっていました。ところが出発直前父が倒れ、止む無く参加を諦めました。参加メンバーの一人ひとりを思い浮かべながら、そうだ、私以外のみんな、親を看取った経験を持っている。私だけ両親健在で、親を看取るという経験をしていない。今回はこれを体験しなければ伊豆高原の「魔女集会」への参加資格がないのだと妙に納得していました。
父の病状を伝え、ドタキャンをお詫びすると、「主催者」は、「あの世とこの世をつなぐことができるのは、あなたの家であなただけだからね」と言って励ましてくれました。なんて深い意味を持つことばでしょう。それからずーっと「あの世とこの世をつなぐ」にはどうすればいいのか考えています。
今までずっと元気だと信じていた父が、こんなに早く死に直面する大病で倒れるとは、家族のだれもが予想できなかったことです。しばらくは、突然の大地震にでも見舞われたような気持ちで、すべてがうわの空でした。
                                           (次号に続く)


玄米クリームの作り方
玄米をホウロクで約30分炒ってから土鍋で2時間ほど炊き、すり鉢でよくすりつぶし、裏ごしする。(布で漉すように教えられたのですが、費やす時間を考えるとつい早くできる裏ごしになってしまいました)



目次へ

Since 2001.11.19, renewal 2006.1.28 無断転載禁止