友人が毎月発行している冊子「岡山の街に出かけよう」で、「おーぷんかふぇ」を紹介していました。場所は、岡山城の近くの石関公園、岡山市民会館のまん前です。友人の撮った写真をみると、グリーンのパラソルが付いたテーブルが4つか5つかあり、なんと、コーヒー・麦茶・ハーブティーが無料でいただけるとのこと。今年の4月からスタートし、毎月2回(第1・3土曜)開かれていて、お弁当持ち込みOK、ペット連れOKなんだそうです。その写真をみて、「わ〜、いきたい〜!」、って思いました。
何で、そんなことしてるんだろう?
どんな人がしてるんだろう?
なんで、無料なんだろう?(有料にできないんだろうなあ・・・?)
何をめざしているんだろう?
なんだか、わくわくしてきた。
なんか、ひかれる・・・。
私も、4月にできたアトリエ21℃という会で、「キャンドルナイト」とか、「トーク・ライブ」とか、「ほっとカフェ」というのをやってきて、一緒にお茶を飲んだり、おいしいお茶をいれたり、話したり、気ままに本を読んだり、絵を描いたり・・・、自分のやりたい事を思いのままにやれる時間と空間を作ろうとしているのを実感している。・・・というか、そんなことをやりたがり、実際にやっているみたいだ。
秋の岡山映画祭2005共催企画のミーティングも毎週月曜日にしているのだけど、今回は、そこで、チラシの折込作業のあと、おうどんをゆがして、ぶっかけうどんを作ってみんなで食べたり、おいしいチャイをいれて飲んだり、なんか、飲んだり、食べたりを人と一緒にしたがっているのを自分で感じる。
なんなんだろうなあ? これって?
今まで、「学び」ってことに関心があって、お茶を飲むとか、お茶をいれるってことに関心はなかったと思うんだけど、今は、そっちが面白いっていうか、関心が向いている。
「今度の会は、中国茶にする? ジンジャーチャイ? コーヒー豆の宅配頼もうか? ホットサンド? チーズケーキ? ちぢみを焼こうか?」、それが楽しみって感じ。
上映会の準備を頑張っているから、自分へのごほうびみたいに、みんなと楽しみたいって気持ちが、そんなところに表れているのかもしれないなあ。
今までは、必死!、一生懸命だったんだ。
お茶のことに気づかないくらい。
今は、楽しいことや、面白いことが、少し変化してきたように思う。
今は、11月3日〜12月4日まで市内のいくつかの会場で開かれる「岡山映画祭2005」共催企画、『朋あり。』『風のかたち(ドクター編)』(どちらも伊勢真一監督)上映会の準備をしています。近い将来、伊勢真一監督の映画をいくつか集めた映画祭をしたいと思い、それに向けて、少しずつ作品を紹介していきたい思いで、新しい作品2本を選びました。どちらも、岡山初上映です。ぜひぜひ、観にいらしていただきたいです。
『朋あり。』のなかで、
林英哲さんは、
「たいこが何かといえば、本当のところは、わからない」
「何で生きているのかも、わからない」
「どうしてここまで来たのかも、わからない」
「俺は今日を限りに、太鼓打ちという運命を受けいれる」
「ともだちなんていない」、って言っていました。
そして、伊勢さんのナレーションが、「ひとりが好きな林さんが、みんなとじゃないと出せない音を探りに行く」、と言っていました。
「ひとり」と「みんな」、
私が、今回の映画祭の中で、知りたいのは、これなのかもしれない、って、今思いました。
【朋あり。】 2004年 / 85分 監督 伊勢真一
太鼓奏者林英哲が音楽活動を通じて出会った人々とのかかわりを追いながら、異文化交流のあり方を問いかける。戦いのためではなく祈りと祝福のための音楽、英哲の太鼓の響きは誰もが母の胎内で聴いた命の槌音。耳を澄ませてみよう。
魂のようなもののありかが、聴こえてくるにちがいない。
【風のかたち(ドクター編)】 2003年 / 80分 監督 伊勢真一
小児ガンと闘う子どもたちと医療関係者、ボランティアの活動を10年がかりで記録している途中の作品。病気を体験した子どもたちが、弱さを強さに変えて行く姿。医師やボランティアたちが子どもたちとかかわることで力を得ていく姿。ここには、小さな命が確かに持っている力と優しさとがある。
命の尊さ、生きる意味をやわらかに問いかける。
「風のかたち」はどんなかたち?ひとりひとりが思い描いてくれたらなぁ。
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