「べてるの集い」「向谷地生良・平井雷太対談」
・・・2つのイベントへのお誘い
●べてるの集い
日 時 : 2004年 9月14日10:00-17:00
場 所 : 倉敷市民会館
●向谷地生良・平井雷太対談
日 時 : 2004年 9月14日10:00-12:30
場 所 : 西ふれあいセンター
「べてるの集いを開くんだけど...参加しない? 」
「べてるって何?」
「北海道の浦河ってところにある,精神障害者の共同施設なんだけど,今とても注目されているのよ…」
「・・・」
4年前岡山で初めて「べてるの祭り」を開いたときよりは,べてる関係の本や雑誌もたくさん出版され,浸透しているかなと思っていたが,まだまだご存じない方が多いようだ.私たちは「べてるの仲間を囲んで話を聞く」ことのおもしろさはよくわかっているので,つい当たり前のイベントのように話してしまうが,特殊な世界ととられて,一歩退かれることの方が多い.どう説明したらべてるのことが伝わるのだろうか? 一度本を読んでみて!そして出会ってみて!と言うしかない・・・.
そうはいっても,5年前岡山の「べてらー」の先駆けである長谷さんに,べてるのことを紹介されたときは,私自身「???」だった.「なんでもあり」のべてるの状態.長谷さん主催で開かれた講演会で司会をしながら思わず,向谷地悦子さん(ソーシャルワーカー向谷地生良さんの妻で看護師)に「いわゆる実社会の『〜ねばならない』が通じないんですよね.みんながそれでOKでいればいいけど,日々の運営にはそうはいかないことも多いですよね.そんなとき,自分の思い通りに動く人の中にいたら,弱さを認めてなんて言われても,当惑したり腹が立ったりしませんか」
悦子さんはニッコリ笑って「だから,べてると交わると『病気』が出るんですよ」と応えられた.つまり,これは,世の中ではこうあるべきだとか,他人には気遣いをするとかいう常識の中で生きている私たちにとって,その常識を通そうとしても通せない場では,自己矛盾が表に出て素のままの自分が試される,ということだと,私は受け取った.
私なんか一番に皮がむがれて「病気」になるだろうな.そういう自分と向き合ってみたいような見たくないようなそんな気持ちで,1年後第一回べてるの祭りの実行委員になっていた.
ところが実行委員として私は,まったく「べてる的」ではなかった.会場の交渉から,プログラム作り,印刷,大学生の手話コーラスなどの出し物の準備連絡等等,準備段階から当日の終わりまで「走り回って」いた.「のんびりと味わえた」というスタッフもいるなかで,何やってんのよ,私は〜!「がんばる病」「責任感病」の私はやっぱりドツボにはまった.
今回,セルフラーニングを考える会の伊藤まゆみさんが向谷地さんと平井雷太さんの対談を企画した.その流れに乗ってべてるの集いも実施されることになった.伊藤さんも準備段階で「自分がやらなきゃ」病が発病して,しばらく足踏み状態があったと聞く.
わたしもどんな自己矛盾と出会い,「病気」を自覚するのか....楽しみである.
べてるのキャッチフレーズは「弱さをきずなに」「問題があるのが順調」「安心してさぼれる会社」・・・現実の職場ではやってられないことばかり.これをやってられないと思うか,これがあれば優しい「場」が作れるよな,と振り返るか――,あなたもべてるを味わい,ちょっと「病気」になってみませんか?
午前中に西ふれあいセンターで開かれる対談はセルフラーニング研究所所長でらくだ教材の開発者,平井雷太さんとの,おそらく日本初の企画です.教育とからめてのお話になると思われます.
倉敷市民会館で1日中開かれるべてるの集いは,北海道からメンバーがたくさんやってきて,会場をべてる流生き方が埋め尽くします.
〈弱さは宝物、トラブルは恩寵〉
当然ながらべてるはいつも問題だらけです。どこの会社や組織とも同じような問題があり、さらにべてる特の問題(仕事をする人が勝手に休む、計算ができない、酒を飲んでしまった! などなどです)もあります。
彼らはそうした問題を、つねに、自分たちに与えられた重要なメッセージでもあるかのように大切に扱うのす。問題をなくすことにやっきになるのではなく、「あなたが悪い」というような犯人探しをすることも、けっしてしません。彼らは犯人を一人ひとり捜し当てるよりも、いくつもの問題をべてるという組織全体のなかに配置させ、それぞれの関係をとらえなおすことによって解決しようとしているのです。
べてるの問題解決というのは言ってみれば、「いつのまにか解決していた」「問題が知らないうちに消えていた」というスタイルなのです。彼らは直感的に,仲間と長い時間をかけて築き上げてきた、べてるという「場」そのもののもつ意味を知っているのです。
―清水義晴「変革は,弱いところ,小さいところ,遠いところから」からまとめ
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