28 えと・おーるつうしん28号 [2003.05.25] ■私なりのシュタイナー
■「集団遊び欠乏症」と…
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■やってみたい!ことを…
■ハロー,パーティ!-2-


旅物語らくだに乗ってprocess22
 ゲームはやめられない      by M.Y(創育舎)

犬を責めたくなるのは25分が境目でした

 「リレー・インタビューをしよう」(セルフラーニングin岡山主催)という企画がありました。そのときは、6人の人が車座になり、順番に話を聞いていって、全員が同じ話を聞いてまとめるというインタビュー・ゲームでした。同じ話をまとめてみると、まとめた人の関心が浮かび上がっておもしろかったのですが、私は聞かれるままに話しているうちに、犬の散歩の話をしていました。

 「犬のリーと散歩をしていて、近ごろは『花がきれい』とか『こんな鳥が来ている』なんて散歩にきてよかったなあと思う。ところが、25分を過ぎたあたりから、あちこちの匂いを嗅ぎにいったり、悠長に草を食べたりするリーをなんてわがままなヤツだと思ってケリを入れたくなる。2回もウンチするときなんて最悪。『なんでお前の下の世話を毎日毎日しなきゃいけないんだ』と責めはじめる。だから、最悪になる前にやめたいんです」

「25分ルール」が誕生しました

 上のような話をしていて、「25分を自分の集中(持続)の限界と仮定してみたらどうなるだろう?」と興味がわきました。
 それから、パソコンにまつわること、「メールチェック」「ホームページ検索」「日記」など、ついついだらだらしてしまうと思っているものを25分でやめるという「25分ルール」をつくってみました。
 出かける前にメールを読んだり、パソコンを触っていると、「もうちょっとだけ、あとすこしだけ・・・」と思っているうちについつい予定をオーバーし、遅刻してしまうのが今までのパターンだったのです。
 「25分ルール」は、キッチンタイマーを25分にセットしておきます。10分前と5分前にピピッと知らせてくれるので、メールはペース配分を意識しながら読むことができますし、「日記ならあとこれだけ書きたいけど、ここまでにしておくか」と書くペースを意識することができます。

 やってみると思わず集中してしまうので、予想以上におもしろく、通信の原稿を書いたり、講座のプランをたてるときにも応用してみることにしました。それらは、25分で終わるはずもないので、とりあえず1クール25分として、タイマーが鳴ったら一旦手を休めることにしました。つづきはあとにして、ひとまず食事の準備をしたり、瞑想をしたり、ほかの事に時間を使います。時間があるときは、そのあと再開するのです。(ちなみにこの段落を書き始める前は、洗濯物を取り入れてきました。)

自分でつくった「縛り」はいやじゃなかった

 時間が限られていると思うと、あれこれ考えないで楽に書けるのですが、そのほかに意外な効果もありました。書いていることを中断して、ほかのことをしているとふとアイデアが浮かんだりするのです。インターバルをおくのもいいみたいです。
 かつては、「ルールなんて縛るものはきらい」だったのですが、自分でルールをつくるとゲーム感覚で楽しめるうえに真剣に取り組めるようになってきました。時間で遊ばせてくれるタイマーに「ありがとう」という感じです。

ついつい「いいもの」をめざしてしまうんです

 25分ルールはインタビューの思わぬ産物でしたが、もうひとつ気がついたことがあります。

 3行ほどとはいえ、5人分の話をまとめ終え、ほっとしているときに「自分の話もまとめたら? 感想でもいいから」と提案されました。「疲れているからパスと思っていたけど、そこまで言うなら1行でも書いてみるか」と書きはじめた感想でしたが、話し終えたときには思い浮かばなかったことが出てきました。
 ふと「原稿が書けない→今を編集する」と書いていたのです。

インタビューでは犬の散歩のほかに「通信の原稿などを書いていると、もっと幅広く、もっと伝わりやすく、もっと理路整然と、とついつい『いいもの』をめざしてしまう。それで勝手にプレッシャーに感じて、書けなくなってしまう」と気になっていることを話していました。

 話し終えたときは、なんかまとまりのないことを話したなあと思っていました。ところが、感想を書いていて、「いいものをめざしたくなるし、リッパな原稿を書きたくもなる。でも、所詮書けるものしかかけないんだ。今、関心があることなら書けないんだ」と思ったら、「今を編集する」ということばが浮かんできました。でも、それが原稿になるかどうかはわかりません。
 「今を編集する」ってどういうことなのか知りたいと思いました。

どんなに長くても25分と思えば気が楽です

 一日の雑多なことを一言ずつで編集してみようと日記を書き始めて3ヶ月がたちました。最初は、困ったことがあったとき「どうしたいの?」と自分に問いかけるセルフカウンセリングのような要素が強かったのですが、近ごろは印象に残った出来事に一言ずつコメントを書いてみる一言編集の要素が強くなっています。
 たとえば、教室の生徒ごとに書いているのですが、何も書くことないよなあと思っても、あえて一言書いてみると、意外な課題が浮かび上がったり、見えていなかった進歩に気がついたり、書いてよかったと思うことがしばしばです。
 ところが、疲れて帰ってほっとしたとき、「あっ、日記を書いていない」と思った瞬間いやーなムードに包まれます。それを断ち切ってくれるのが「25分ルール」です。「どんなに長くても25分で終わるんだ」と思うと、躊躇なくパソコンのスイッチに手が伸びていきます。

 そして、25分で終えようと思うと、必然的に捨てるものと残すものとを選択することになります。
 たくさんの項目を書きたければ、一言ずつ簡潔に書く練習になるし、一つのことを掘り下げたければ、ほかのことをあきらめる練習になります。書くことの優先順位をはっきりさせることになります。

5月いっぱいの期限付きではじめました

 「マニアックなことを」とか「細かいことを」とか言われそうなので、小さい声で言いますが、「家事の記録表」をつけはじめました。
 というのは、「おかやま考現学ネット講座」でみせてもらった「さちこの記録表」が記憶に残っていたのです。それには、「パッチワーク」「体操」などいくつかの項目が書かれていて、毎日それに費やした時間とコメントが書けるようになっていました。

 原稿が書けないときの家事はわずらわしいと思っていたとき、ふとその記録表を思い出し、5月いっぱいつけてみようと思いたったのでした。

(ここまで書いたところで散歩に行ってきます)
(散歩に行ってシャワーを浴びてリフレッシュ、さてつづきです)

こんなはずではなかった家事時間

 費やした時間を平均すると家事は、1日当たり56分でした。こんなはずではなかったと思いました。時間をつけると意識しただけで変化したこともあるかもしれませんが、それにしてもこんなに家事に時間を費やしていないとは思いませんでした。
 家事の一日分に比べて、「書くこと・読むこと・企画すること」といった仕事と趣味には162分使っていましたから、私の優先事項ははっきりしていたようです。これが私のやりたいことの編集結果でした。

次のゲームをやりたくなってくるにちがいありません

 いまはじゅうぶんに楽しませてくれている「25分ルール」と「記録表」ですが、来月はどうなっているかわかりません。いまの状況から生まれたやり方だからです。いまだからこそ、ゲームのように本気で楽しめるのだと思います。でも、いまのゲームをやめたら、きっと次のことをやりたくなるでしょう。ゲームはやめられそうにありません。



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