「僕、たんぽぽに入りたいんじゃ」。小2の息子が妻にこう頼んだという。たんぽぽとは、息子が通う小学校にある学童保育のことだ。仕事柄「学童」に関心を持っている私は、興味津々で彼に「どうして入りたいん?」と聞いてみた。「○○君たちと運動場で思い切りドッジやサッカーができるもん」 息子はたんぽぽクラブに所属する友人をうらやむようにつぶやくのだった。
確かに学童保育を訪れると、子どもが屋外で実にいきいきと遊び回る光景を目にする。中には校庭の木登りOKというクラブもある。僕のような部外者が突然やって来ても物怖じせず、「遊ぼうや」と声をかけてくる子も多い。近頃は放課後、学校に残らないようにとの指導があるとかで、夕方の校庭はどこか物寂しさが漂うが、学童の子どもたちは広いスペースをフルに使って、ボール遊びに興じている。習い事に向かう自動車からそんな光景を見て、「うらやましい」と思わない子どもの方が変かもしれない。
すでに言い尽くされた感もあるが、子どもの遊びから「サンマ」、すなわち「3つの間」が失われた、といわれる。時間、空間、そして仲間だ。近頃は週に5日、習い事に通う小学生も決して珍しくない。うちの息子もウイークデーのうち、3日は「予定」が入っており、「○○君と遊べる日は○曜日だけ」といったふうに、遊びの「時間」は限られている。それぞれの子がこんな調子だから、当然日程調整は難しく、「仲間」もつくりにくい。
うちなんか岡山市の郊外に住んでいて、まだ「空間」には恵まれている方だろうが、それでも近所の子どもがたくさん集まって、自然に遊びが生まれる場所となると、どうだろうか。かくして息子は「集団遊び欠乏症」という、逃れようのない現代病にかかっているわけだ。
そんな時代だからだろうか、集団、しかも異なる年齢でわいわいがやがやと過ごす学童保育につい目がいってしまう。私が子どものころは「カギっ子」教室と言われ、「かわいそうな子ども」が通っているという妙なイメージすらあったが、今は低学年児童の3分の1以上が在籍しているクラブも珍しくない。
もちろん学童保育がメジャーになってきた背景には、男女共同参画というかけ声以上に、働かざるをえないお母さんが増えてきたという厳しい現実があるし、すべての学童保育が質の高い場を提供しているともいえない。それでも、ボランティアに近いような待遇の指導員や熱心な保護者の支援によって、今の子どもに不足しがちな「サンマ」を提供し続けている学童保育の存在は、貴重に思えて仕方がない。
ちなみに、私は息子に「お母さんがいつも家にいてくれるから、お前はたんぽぽには入れないんだよ 」と伝えた。「入らなくてすむんだよ」というのが、従来の正しい(?)言い方なのかもしれない。でも、軽い「集団遊び欠乏症」を訴える息子に対しては、一瞬「入れなくて残念だね」という思いも抱いていた
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