22 えと・おーるつうしん22号 [2002.05.25] ■上映会と鳥山敏子講演会
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「鳥山敏子講演会および美作賢治の楽交」に参加して
                              by 倭公勇


 5月4日「みんなが孫悟空」上映と鳥山敏子講演会に参加。
 映画(ビデオ版)の内容も然ることながら、そのあとで鳥山さんから、舞台裏の出来事や、子供達のその後についてのお話が聞けたのがすごくよかったと思う。

 映画の中では、体育館で子供達を指導する鳥山先生の姿がいつも映っていたが、実際は、その体育館に駆けつけるまでに、多くの、解決しないといけない問題(例えば親達の中でのガタガタ、子供よりその家族の問題)がありすぎて大変だった事とか、それぞれの親達の激しい嫉妬、本公演(北京およびモンゴル)であれだけ力を合わせた親達が、帰国後はバラバラのいくつかのグループになってしまったこと等。
 また鳥山さんはこの劇作りの後、公立小学校の教員を辞める決心をしたということ。何かのいきさつで教育委員会に掛け合った際、教育長の「鳥山さん僕はね、自分の考えを言う事が出来ないんだよ!」の一言で、「本当に人間として感じた事、考えた事、思った事を言えないような教育機関の中では、もうやってられない、命は無駄にしたくない・・・」と翌日、辞表を出されたエピソードなど。
 子供達に授業や劇を通して「言いたい事が言えて、本気でぶつかる事や、自分を偽らない生き方」を伝えようと全精力をつぎ込んできた鳥山さんにとっては、この教育長のような大人の生き方が、許せなっかたのだろう。このお話からも、鳥山さんが教育に注いできた情熱や真剣さが伝わってきて、真に迫る物が感じられた。

 そして「私はあの時モンゴルで死にましたから・・・」とおっしゃられていたのがすごく印象的だった。モンゴル公演の最後、子供達と大草原に足を運んだ際、鳥山さんは、知らないうちに荷車の上で死んだ様に眠り込んでしまっていたという。全精力を使いきってしまったのだろう、あの時の、自分が死んだという感覚が、今でもしっかりと残っているという。
 そして鳥山さんは、今、あの子達に会いたいとは思わないという。「勝手にやってって感じで・・・」それは、その時その時で子供達に与えるものは全て手渡して来たからだ、ということだろうか。一瞬一瞬を死にきる生き方をしている鳥山さんの言葉には本当に重みがあり、その鳥山さんの、厳しさの中に慈愛に満ちた優しさを感じることの出来た素晴らしい講演会だった。

スタッフ懇親会

 自己紹介と感想を兼ねて、スタッフはあらためて鳥山さんに質問を投げかけていた。

 「本気で生きる」とは?という問いに対して、鳥山さんは簡潔に「自分を偽らない」とおっしゃられていた。「自分に嘘をつくのが一番しんどいことで、自分で自分を許せない事はやらない、つまりそれが一番簡単で、一番楽な生き方だ」というのである。

 さらりと言ってのけておられたが、そう簡単にいかないのが凡人の辛いところである。でも懇親会では鳥山さんの次の本音が聞けたのが私にとっての最大の収穫であった。「私の最大の失敗は、娘や息子を自分の理解者にしようとした事、そしてその分、夫に寂しい思いをさせてしまった事・・・」と。このお話を聞いた時は、鳥山敏子でさえ家庭ではそんな状況があったのかと驚きだったが、やはり誰しもそういうことを経て今日があるのかと安心さえ覚えたのだった。そして、つくづく「女は恐いわよ!」と何度も繰り返されていたのが印象的だった。特に長男は母親と生理的一体感があるから難しいという事も言われていた。
 この事が本当に私には良く理解できた。自称AC、マザコンの私は、まさしく長男で、母の良き理解者になっていたからである。というより私の親父と相性の悪かった母は、父と姉を敵(悪者)にして、私を良き理解者、相談相手に仕立てていったのである。小さい頃はその事に何の疑問も感じず、母の味方ばかりをしていたように思うからである。やっぱり"女はこわい〜"を実感。

 「今までの生き方ではもう生きられない、本当の自分を生きるしかない!その苦しみの中から沸き上がって来る力、それが人間の生命力・・・」というような事を言われていたのが胸に響いていた。


美作賢治の楽交にて

■ お 米 の 授 業 ■

 翌日から2日間(5日、6日)、美作賢治の楽交(がっこう)開校記念として、鳥山さんの講演会と授業が行われ、息子(小1、小4)を連れて参加。

 初日は「お米の授業」2日目は「神様の授業」と「草木の授業」という内容だった。
 初日は子供7〜8名、大人は30名くらいの参加だっただろうか? まず歌を歌うことから始まった授業だが、やはり子供達の口から声が出ていないのが気になった。大人もほとんどそうだったが、息を口から出す発声が出来ていないのである。私も竹内レッスンで体験したが、今は大人も子供も顎の筋肉が緊張していて、奥歯が開かず、大きな声が出せないでいるのかもしれないと、このとき、ふと思った。

 引き続いて、「お米の授業」に入る。モミ付きのお米をみんなに配り、参加者からもいろんなお米に関する話を引き出し、そこから一粒のお米の大切、生命(いのち)の大切さを、子供達にも解かるように丁寧にお話された。その後は近くの田んぼに出かけ、モミ蒔きを終えた苗代見学と自然農の米作りについて、少し説明を受ける。

 子供達はそんな説明をよそに、田んぼのあぜのカエルやオタマジャクシに興味深々。その時次男が変わったものを発見、私が手にとって見ると何とそれはタガメだった。今では本当に珍しくなってしまったタガメの発見によって、田んぼでの学びは、一転生き物捜しになっていった。大人も子供も童心に帰り、捜しまわった結果、タガメ2匹、タイコウチ4〜5匹、ヤゴ、ドジョウ、その他多数見つける事が出来た。

 こういう時、いつも鳥山さんは、どれどれと子供のように、嬉しそうにカメラのシャッターをきっていた。この日の学びで最高の収穫はやはり自然のタガメを発見できた事、と大喜びで帰途についたのでした。


■ 神 様 の 授 業 ■

 美作賢治の楽交は萱葺きの古民家を再生した、居心地のいい空間だ。この日は朝から出来たてほやほやのこの建物の祓い清めの神事というわけである。
 到着した時には、すでに宮司が来られていて、床の間に榊、お米、鯛、餅、するめなどのお供え物を並べていた。特にこの日はこの地方でも珍しい『鳴釜神事』が執り行われた。前半の神事はまず大祓い祝詞で家内安全を祈願、子供達がいい加減退屈して来たところで鳴釜神事へと移っていった。プロパンの携帯コンロの上に歯釜を乗せ、その上に蓋と底を抜いた細長い樽(高さ約60cm)をすっぽり乗せ、その中に網でサナをしてお米を一升近く入れる、最後に樽の上に押し蓋をしてコンロに点火。

 ここからまた、わけの解らない祝詞が始まった。退屈な余りゴソゴソし始める子供達をなだめながら様子を伺っていると、樽が少し動き始めたのである。お釜の水が沸騰し始めたのだろうが、次男には「ほら今神様が降りてきたよ〜」と教えてやった。と同時に宮司の"ウオー"という響き渡るような掛け声。その後、厳かに樽の押し蓋が取り除かれた。
 その瞬間、一体どこから響いて来ているのだろうかというような大きな音が、家全体に響き渡り始めたのである。表現し難い音というか、振動というか、うなりというか、身の引き締まるような荘厳な響き、今まで耳にした事のないような音だ。敢えて言うなら、共鳴するほら貝の響きだろうか? まさに、宇宙全体に響き渡っているという「オーム」の音を連想させた。何分続いただろうか?その間も宮司は何やら祝詞を上げていた。
 樽の蓋をしたところで音も鳴り止み、神事は終了。その余韻のなか、私は感動に包まれていた。子供達とこの神事を体験できただけで、この日参加した甲斐があったと思った。

 その後は、鳥山さんが宮司さんにお話を聞くという形で、授業が進められて行った。近くの神社でお勤めをされているというこの宮司さんは、昭和37年生まれの39歳。私と全く同じ年の次男坊で、小中は良い子だったが、高校ではワルをしていたという。
 「私もはっきり言って神様の事は解りません」と前置きしながら、天照大神の系列や、儀式の意味を誠実に説明してくれた。そして、宮司さんの「ただ言えることは、私は、命がけでこの場の悪い物、厄、災難いっさいを引き受けて帰るつもりで、ここに臨んでいます・・・」という言葉に、胸がジーンと来てしまった。神職として誇りを持って宮司をされているこの方の気概に触れる事ができ、幸せであった。


■ 草 木 の 授 業 ■

 午後は「草木の授業」という事で、まず簡単なフォルメンの練習をしてから外に散策に出る。自然界に散在するワラビやシダのフォルム(形体)を確認しながら、自然農の田畑を見て回る。私にとってはありきたりの光景だったので、余り興味は惹かれなかったが、次男の「おばちゃん、おばちゃん」と鳥山先生の手を引っ張る姿が微笑ましく感じられた。

 散策を終えての帰り道、畑仕事をしていた地元のお百姓さんの話に耳を傾ける。「ここはマムシ谷と言って蛇が多く、地元の人は農作業をする時に、マムシやヤマカガシに細心の注意を払う・・・」と、一杯いろんなお話を聞かせてくれ、鳥山さんも熱心に耳を傾けていた。ということでフィールドでの学びは、このおじさんとおばさんが先生ということになった。みんな何も知らず、野草を摘んだり、林で竹の子を折ったりした後だったが、この話を聞いて、一瞬ひやり。「めくら蛇に怖じず」とはよく言ったものだが、途中何匹かの蛇に出くわしたものの何も被害がなくて良かった。
 その後は、摘んだ野草をてんぷらにして、春の香りに舌鼓を打った。最後はスタッフみんなで歌を合唱して、全ての日程を終了して帰途についたのである。

 鳥山さんをはじめ、美作賢治の楽交代表の前原さん、その他スタッフのみなさまに、心から感謝申し上げて、報告に代えさせていただきます。



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