18 えと・おーるつうしん18号 [2001.9.15] ■シュタイナー教育と私
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■長男の椎間板ヘルニア
■不思議日記-2-


長男の椎間板ヘルニア      by M.I

 大学2回生の息子は、5月中旬、腰の痛みを感じながら、バドミントンの試合に出場した。

 試合が終わってそのまま大阪のアパートに帰っていた。部活に夢中で彼女とのデートもそっちのけのようだ。学問などどうやっているのかわかったものではない。我が家に帰ってきても、一瞬チラッと見かければいい方で、知らない間に消えていることが多い。

 その試合から1週間程経った日、携帯電話に連絡が入った。「腰が痛くて動けなくなって、寝たきり状態で・・・。大学にも行けてないし、介護実習にも行けずにいる。」と言う。「じっとしているしかないよ。無理して動かずに、板場に寝ていなさい。腰は病院に行ってもどうしようもないからね。」と伝えた。私は、責任ある仕事でその日は身動きとれなかったが、「明日にでも行ってみようか?」と聞いてみたが、「来てもらっても、どうしようもないからいい」と言った。

 数日後、「痛みがなかなか治まらないので、この痛みの原因を知りたいので、とりあえず大きな病院で診察を受けてみる」と連絡があり、その結果も知らせてきた。「椎間板ヘルニアだった、2箇所飛び出ているところが合って、ひどいので薬と注射で治らなかったら、手術と言われた」ということだった。病院に何とか行けるくらいにはなったらしかった。


 6月2日、八尾市のプリズムホールで私が最も尊敬している医師甲田光雄先生の講演会があったので、ちょうどよい機会だったので、息子を説得して参加しようと思った。

 喫茶店で待ち合わせて、顔を会わせるなり、「すぐ手術を受けたい。三重県に一発で治してくれる名医がいると紹介してもらった。試合が近いし、手術をすれば出られると思う」と一生懸命私に訴えた。私は、「手術なんてとんでもない」と甲田先生の指導ですっかり元気になり、腰痛症を克服した体験をまとめられている和歌山の野球部の監督の資料などいくつか読ませた。「この監督さんと、食べ過ぎの歴史は違うけど、この人と僕は全く同じだ」と言った。

 そして、いっしょに参加した講演会では偶然にも腰椎のお話が中心で、とてもわかりやすいものだった。本もすぐ購入した。ここの方法で治ると確信できたようだった。難病の患者さんの予約が詰まっていて、とても診察してもらえる状況ではなかったが、幸運にも2日後、それもたまたま休講で時間が空いた日に「火曜日にいらっしゃい」と声をかけていただくことができた。重症の患者さんたちの時間を奪っては申し訳ない。本もあるし、一人でやれると思う」と遠慮がちだったが、「せっかくいただいたチャンスだから、ちゃんと指導していただきなさい」と勧めておいた。

 その日から、息子は、朝は青汁だけ、昼と夜は玄米と豆腐の少食。板のフロアの上に寝て、背腹運動など健康体操を続けている。足先の痺れもすぐとれて、嘘のように痛みが治まっていったそうだ。先に行っていた大きな病院にも「1週間後に来なさい」と言われていて、診てもらったら、手術は必要ないね。早く良くなったね」と言われたそうだ。部活もすぐ復活してしまった。夏もバドミントン一色。早く良くなりすぎたかもしれない。

 8月12日から16日まで大阪のオートバックスの健康道場で甲田先生の指導のもと開かれている健康合宿に息子といっしょに参加することができた。午前、午後、夜、と3回の講義があり、先ほど紹介した少食と体操、温冷浴、板の上に寝て、便をスッキリ出すという生活の実習をする合宿です。息子は、さまざまな参加者の方々と語り合い、その方々の体験談をきくことができてとても有意義だったようです。

 また、講義も「大学の授業は眠くてたまらないけど、ここでの講義はとても興味があるためか、それとも体が良くなっているためか、少しも眠くなくておもしろい」と話していました。排卵と妊娠のしくみを知り、受胎調節も関心が高かったと思います。保健で学んできたことと違うので私に質問をしてきました。甲田先生を始め、80歳を過ぎてもメモも見ず、細かい数字を正確に、最新情報を話されるパワーに圧倒され、「ぼくが住んでいる津山には70歳過ぎても玄米を食べてトライアスロンを楽しんでいるおじいさんがいます。ぼくもそんなふうに長生きしたいと思います」と最後の日の朝あいさつしていた。「ここで食べる量ほど食べていなかった。こんなに食べてもよかったんだ」と言っていたが、よく一人で食欲に負けずやれたものだと意志の強さに感心もした。

 健康合宿にいっしょに参加できてほんとうによかった。そう言えば、まだ、6ヶ月の赤ん坊だったころにも籠に入れて連れて参加したことがあった。思春期になって食事が自由になって仲間と大いに食べたり飲んだりするようになっていたのだと思う。筋肉を作るためには肉食も必要とよく食べていたようだ。今回のことで、自分のからだを通して多くのことを学べて一生の得だったと思う。私を親に持てたことも彼の幸運だったはず。



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