18
えと・おーるつうしん18号
[2001.9.15]
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口先徒然草3 「家内は常に正しい」の話 by T.S
現在8月29日午後8時頃で、そろそろ子供達の夏休みの結果が気になる頃となりました。我家では子供達は何度となくキャンプとか海水浴に行って遊び呆けてしまい、どうも終わっていないように思える。
何が終わっていないのかと言うと……。
「夏休みの宿題」
「どうして何もしないで、今までほったらかしにしてたのか」って、自由研究とか感想文、絵等々が、切羽詰った時点で、出来ていないことが両親に発覚して「大目玉」をもらい、深夜までの小言の嵐、「そんな小言を言う間に家族で分担して宿題をした方が良いのに」と思いながら怒られた、また子供を怒ることってありませんか。で、こんな事が毎年の夏休みに続けて起こり、慣例の行事となってしまって、怒る立場の人達も、怒られる子供の人達も「あぁ、またか」と思いながら8月末を迎えてしまう。
例えば、「片付け」とか「整理整頓」(余談だけど、整理=1年以上使わないものを捨てる事、整頓=定物定置・元あった場所に戻すこと)もそうである。出来ない人は、片付けの必要性を知りながら出来ないし、整理=捨てることも出来ず、定物定置も出来ない。
どうしてこんな事を並べたのかと言うと、自分が今まで育った生活環境で作られた癖・性格はなかなか直らないし、それを改善する作業って大袈裟だけど「死ぬような努力」が必要だと思う
夫婦生活などもそんな感じで、新婚生活を経て落ちついてくると、どうしたって相手の欠点が見えて来るし『出来ない部分』も気になる。そんな時に、その連れ合いの欠点を我慢するとなかなかストレスが溜まってしまうし、嫌になってしまう。
そういう事が起きる度に「家内はいつも正しい」と私は思うことにしている。これは私が「間違っている」と思うのでなく、「私も正しいけど、家内も正しい」と思うことにしていて、子供達についても、そう思うことにしている。その上で「今、何ができるのかな」と考える。
家内の今まで生きてきた人生・足跡を否定してもどうにもならないし、そこから育てられた癖・性格もそうだと思う。だから、彼女の育った人生と背景は「すべて正しく、善」だと思い、できるだけ欠点指摘はしないように心掛ける。
これってすべてに通じていて、職場の仲間達についても欠点・癖・性格はすべて正しく、そこから「自分として何が出来るのか」を考える方が上手くいっている。この考え方って、必要かもしれない。
愛煙家に禁煙をクドクドと説明しても嫌われるだけだし、大酒飲みに禁酒を粛々と説いても意味が無いのと同じで、その部分を正しいと考えて、そこから「何が出来るのか」をお互いに考える方が勇気付けになると思う。
いつの頃からか、そう思い実行するようになった。いまだにこれが正しいのか、悪いのかが分からないけど、どんなものかねぇ。
皆様、如何思われますでしょうか。ご意見お待ちしております。
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