2学期が始まり、また家族それぞれのペースが始まると思っていました。ところが、次男が始業式は何とか登園したものの、翌日から「行きたくなーい!!」と大騒ぎ。「さあ時間よ」と言おうものなら泣くは怒るは、最後は「お母さんのバカ!! マーくんのお願いきいてよ〜。」とマンション中に響き渡るぐらいの声をあげます。始業式の日は涙目で登園、帰るころになって「マーくん、何かつまらん・・・」と先生にポツリと言ったそうです。
確かに夏休みは彼にとってたっぷりと自然と戯れて遊ぶことができた毎日でした。特に小動物にいままで以上に興味を持って、トンボ・セミ・バッタ・ザリガニ捕りに明け暮れました。出かけるときは必ず、あみ・かご・バケツ持参で、私も童心に返って本当に楽しかったです。
ところが、再び自分の居場所を今ひとつ見つけることができていない幼稚園にいくことになったわけですから、泣き叫ぶのもわからなくはありません。今日も「お散歩に行きたい」と幼稚園は欠席。8時半に家を出て西側沿いをずっと歩いて幸町のアイプラザまで。途中、白鳥と鯉を眺めること1時間。公園で遊び、川沿いのベンチでお昼を食べ、また歩いて帰ると2時半でした。我ながら今日は本当に長時間のお散歩によく付き合ったなと思います。
歩きながらいろんなことを考えました。この前参加した中島さんのシュタイナー教育の話を思い出しました。「幼ければ幼いほど自然のまま」「7歳までの教育―子どもの中で何が大事にされなければいけないのか―」「ふさわしいときに、ふさわしいものを、ふさわしい形で」などと考えると、我が子がその年齢をもうすぐ抜け出てしまうほどに成長してしまったことをうれしく思う一方で、子どもが親離れしてしまう前の残った時間をしっかり共有したい想いがあふれてきました。川の流れひとつ、吹く風ひとつを不思議に感じたり、たった一匹のタニシを見つけても目を輝かせて一生懸命話をする次男を見ていると、「今日はありがとう。昌広が今日幼稚園に行ってたら、お母さんはこんな時間は持てなかったよ」と言いたくなりました。
そしてシュタイナーの「7年周期の成長」が我がこととして実感されました。
人生は7年を区切りにしていて21歳までに人としての雛形が作られる。 0―7、7―14、14―21、21―28、28―35、35―42、という区切りの中で21―28を中心にして最初の7年間が最後の7年間に反映し、影響を及ぼす。つまり0―7は35―42に、7―14は28―35に、14―21は21―28に反映されるということ。42歳は人生の大きな分岐点で、そこから先はこれまで歩んできた人生を振り返り、人生の本当の意味、目的を探し始める。
この話には参加者の多くがうなずいていたように思います。印象に残る話でした。今の私はちょうど0―7歳の頃の経験が反映しているときです。そういえば、お散歩が大好きでした。小学生になると夏休みには必ず昆虫採集をして標本を毎年作っていました。そして母が虫捕りによく付き合ってくれました。あみではなくて上手に手でそっと捕るのを見て「すごい!」と思っていましたが、今の私がまさにそのとおり。あっという間に素手で捕まえています。この前なんか優雅に日傘を差しながら、片手であみを回すとトンボが入っていたりして・・・。
7‐14歳のころは信心深い祖父から「手を合わせて感謝すること」、温和な父から「人と争わないこと」をそれぞれの後ろ姿からいつしか教えられていたように思います。当時はそんなことにたびたび反発を感じていましたが、28―35歳になってキリスト教を通してようやくその意味がわかりました。キリスト教に出合ったのは18歳ですが、頭ではなく身体・心でわかったと思ったのは30歳を過ぎてからでした。
私は大学を卒業してから就職・結婚・長男出産・次男出産と退職がすべて3年単位でした。それぞれが区切りとなり変化がありました。女性の場合は特に生活すべて、価値観までも変化せざるをえないこともあったりするような気がします。そして、35歳が大きな壁でひとつの分岐点でした。
自分が好きであることが私にとっては大前提。35歳前後は自分の気持ちをごまかさなければ家族との関係を保てなかったり、時間の流れに逆らいたい気持ちが湧いたりしました。もうすぐ37歳を迎えます。次はどんなふうに変化していくんでしょう。不安に思わず、大きな期待もせず、でも今よりもっと自分のことが好きになっていたらいいなと思います。
今までシュタイナーについて興味はあっても詳しいことはほとんど知りませんでした。ましてやシュタイナー教育の背景となる「人智学」についての知識は皆無でした。仕事がら子育て・教育に対して頭でっかちになりやすい私にとって、子育てのためとか、教育概念について勉強するという形ではなく、自分の今までの人生を振り返り、納得する形でシュタイナーに出会えたことはとても意味あることでした。人生の大きな流れの中で「ふさわしいときに、ふさわしいものを、ふさわしい形で」出会っていくというのはこんなことなのかもしれません。人生の大きな区切りとなる42歳に向かって、ひとつひとつの歩みを大切に、子どもとともに育っていきたいです。
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