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えと・おーるつうしん18号
[2001.9.15]
■シュタイナー教育と私
■シュタイナーとの出会い
■ふぞろい野菜村便り
■口先徒然草3
■最近のいろんなこと
■長男の椎間板ヘルニア
■不思議日記-2-
*最近のいろんなこと16*
私が存在することについて by S.T
私は死ぬのが怖い。というか、私が存在していない事への恐怖といった方がいいかもしれない。小学6年のときに恐怖にたどり着いて以来ずっと、その恐怖は発作のようにして定期的に私を襲ってくる。
その小学6年の夏のことはよく覚えている。ある晩布団の中に入って暗闇をじっと見ていた。そのとき何処にも光が漏れてこない本当の暗闇を初めて見たような気がして、これが宇宙の果ての景色なのかな、と思った。宇宙の果て―何も無いところ。色もない、空気もない、空間もない。時間も。…それってどんな感じなんだろう。その日はそこまでしか考える事ができなかった。
それから6日間、私は毎晩その続きを考えていった。その日の晩に行き詰っても、次の晩考えるとまた先が少し開けていた。ずっと前から宇宙のことや生きている事について考えていたのに、それとは違うとても不思議な感覚で、私はその6日間で自分の宇宙像を作り上げた。
とても狭かった私の世界がものすごいスピードで開けていくのが分かった。宇宙の始まりと終わりについて。これまで永遠に続いてきて、これからもまた永遠に続いていく時間について。それらと自分の存在が初めて関係付けられていった。
そして6日目に、自分の存在が宇宙の中でいかにちっぽけなものかに気がついた。今まで自分が見てきた世界や、全てだと思っていた10年余りの年月が、広い宇宙と果てしない時間を前にしてほんの砂粒にも満たないのだということに愕然とした。次に自分の意識のことを考えた。私の意識は10数年前までずっと無かった。無限の時間の中で何故か私は生まれ、たった数十年で死んで意識はなくなり、それから時間がまた永遠に流れていく、ずっとずっとずっとずっと。人類が滅びて、地球が寿命を迎えて、宇宙がなくなっても終わりがない。
考えがそこまでたどり着いたときに、自分の血の気が引いていくのが分かった。恐怖で叫ばずにはいられず、いてもたってもいられなくて動き回った。それがおさまると、その残酷な運命に絶望して泣いた。それから毎晩一人で泣いた。
この恐怖について、私は遅かれ早かれ誰もが考えたどり着くものだと思っていた。しかし今までこの恐怖について何人かの人に話してきて、ほとんどの人が首をかしげてよく分からない、というような顔をしていた。自分の存在がなくなること――無になる事――に対して、私のように計り知れない恐怖を感じる人は少ないように感じられる。むしろ喜びも苦しみも何も感じない状態、何もない状態が1番楽だと考えている人もいるみたいだ。
私はそれを知ってほっとした。どうしてかというと、私と同じような恐怖に、大切な人が苦しんでいたらとても耐えられそうもないからだ。私には弟が2人いるが、弟達が6年生になるのがとても嫌だった。弟達が6年生になり、私と同じような苦しみをかかえると思うととても辛かった。でもその心配は不要だったみたいだ。
それから私は宗教というものをとても警戒するようになった。宗教というものは死への恐怖を紛らわすものだと考えたからだ。私は6年生のときに、この恐怖を一生ごまかすことなく生きていこうと心に誓った。だがそのときは宗教について知らなさすぎた。宗教の思想から学ぶ事はたくさんあることが後になって分かった。
中学、高校になっても、あの恐怖は容赦なく私を襲ってきた。私は出来ることならその恐怖から開放されたかった。だから結局はいろんな考え方にしがみついてしまった。生と死についての本を読みあさり、人に話を聞いた。私が慕っている人たちは死後について、次のステージがあると言ったり、死んだら何もかも無くなると言ったり、分からないと言ったりばらばらだった。本当はどうか分からないけど、私は死後の世界があって欲しいと思った。そしてそう信じた。信じる事は驚くほど簡単で、すぐに私の心は恐怖から解放された。あの時、本当に安心したのを覚えている。私自身が納得するように、死後の事を書いた本をたくさん読んだ。もう恐怖におびえる事もないんだなと思い、本当にそれっきり恐怖は襲ってこなかった。…と思ったら、ある日から突然、恐怖はまた私を襲ってくるようになった。私はまた絶望した。
「恐怖」というものは、どんなに強烈なものでも、必ず時間とともに薄らいでいくものだと私は思っている。これまでいつもそうだった。
しかし私が6年生のときに体験した恐怖は依然として薄らぐ事はない。なぜかというとこの恐怖は現在進行形だからだ。今も自分の存在のことを考え恐怖を感じると血の気が引いて、いてもたってもいられなくなって、叫ばずにはいられず、絶望して泣く事も多い。もう10年近く続いている。誰か、私を助けて!この恐怖から私を救って!と心の中で叫ぶ。でも、誰であろうと、何が真実であろうと、私を救い出せるものはない。恐怖はなくならない。いつか、自分で自分を救うしかないんだ。
しかし、いくら恐怖と絶望を感じても、いくら宇宙の中で自分の存在がちっぽけに感じても、私は人生を投げやりに思った事は一度もない。
私の中には何者にも押さえ込む事ができないものすごく前向きな力がいつも湧いている。私はいつもその力を感じて安心する。この力こそが一番大切なものだと思っている。ずっと生きる事の意味を探してきた。いつか幸せになる日が来ると思って生きてきた。でもそんな風に考えたり思ったりするだけでは何も見えない事が分かってきた。恐怖とは違うところで、ちゃんと地に足をつけて生活していかないと、何も見えてこない。
私は出来れば死ぬまでに自分の存在に納得のいく答えを見つけたい。それともこの恐怖と一生付き合っていくのかもしれない。
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