こんにちは、秋まっただなか!だんだんと肌寒くなってきましたね。なずな農園では最近、ごまの収穫、ゴボウの追肥、白菜の定植、たまねぎの種まきなどをしました。人参の草取りもしています。雨が先週まで多かったので、今週は晴れなので仕事が一気に片付いています。台風13号のせいでナスは収穫が終わりました。あとの野菜たちはまあ大丈夫です。
今回は、赤峰親方から聞いた話で「お金」について書こうと思います。
「今の社会ではお金がとても価値のあるものだと思い込まされている。だから人を殺してまでお金を取ろうとする。人の命よりもお金のほうが上なんだよ」と親方は言います。親方は、幼いときにお金の単価が変わって、たくさん持っていても政府によって吸い上げられてしまうこと、土地をもっていても農地改革といって奪われてしまうことを経験したので、お金なんて当てにならないことを、身を持って知ったそうです。
今は、都会に行くと座るところがなくて、ちょっと座ろうと思ったら喫茶店でお金が要るように、何をするのでもお金が要ります。食べ物だって、スーパーやコンビニでお金を払えばいくらでも手に入ります。
でも「食べ物がなくなったとき、いくらお金があっても紙切れは食べられない」と親方は言います。日本は食料自給率が40%ほどです。東京ではナント1%!中国が輸入国にまわってしまったので、これからはどんどん食べ物が少なくなってくるみたいです。そして、今ある畑や田んぼも、おじいちゃんやおばあちゃんたちがしなくなれば益々荒れていきます。親方は、百姓ほど尊い職業はない、と言います。食べ物を作ってみんなにわけるんだから、と。百姓こそまさに「聖職」と呼んでいいと言われています。
なんでも相手にとって心地よい環境にしていくことが自分も心地よいんだな、と最近感じました。9月は農場の掃除や男子寮の掃除など、キレイにする機会が多かったのですが、ていねいに掃除することですごく気持ちがよくなります。そしてすべてに対してていねいになれる気がします。私は時間や人が気になり、あせることが多くて失敗も多いです。あせるとそれが相手に伝わり、相手もリラックスできないということに気づかされました。
8月から大人のニワトリの面倒を見る人が変わったのですが、ニワトリの雰囲気が面倒を見る人によって変わったのが分かります。前面倒を見ていた人は、すぐに怒ったりあせったりイライラしたり・・・荒い部分の多い、まわりの雰囲気を悪くすることの多い人でした。ニワトリの世話も好きでしていたのではなかったみたいでした。そのせいか、大人のニワトリたちの雰囲気も悪く、つっつき(イジメ)が激しくて、ニワトリが死んでしまうこともたびたびでした。鶏小屋も汚かったです。
でも人が変わって、ニワトリのつっつきが減り、毛もはげていたのが生え出したり、ニワトリも前よりとげとげしくなくなりました。前は大人のニワトリ小屋に行くのはなんだか嫌だったけれど、今は気持ちよくて楽しくなりました。今ニワトリの世話をしてくれている人は、ニワトリが好きでニワトリの環境を整えてくれるので、ニワトリもリラックスできるのだと思います。それで、相手にとって気持ちいいことが自分にとっても気持ちいいんだな、と感じました。(すべてにおいてではないと思いますが)
「野菜たちが気持ちよいように環境を整えること」をする人が「百姓」なのかなと思いました。
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