48 えと・おーるつうしん48号 [2006.09.30] ■竹内敏晴レッスンご案内
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竹内敏晴「からだとことばのレッスン」

 と き : 2006年11月 3日(金) 9:30〜17:00
           11月 4日(土) 10:00〜17:00
 ところ : ハマはうす (岡山県JR妹尾駅前)
      岡山駅から「瀬戸大橋線」に乗り (約8分) 妹尾駅下車。徒歩2分
 定 員 : 20名 (場所の関係から定員厳守、お早めにお申し込みください)
 参加費: 2日間で20,000円の予定。経験者の方は1日レッスンも可能です。
 申込み: ナギタ (TEL : 090-1359-4400/FAX : 086-263-8400)

竹内レッスンを経験してもう4年がたつ。この間に,自分の方向を見つけて卒業(?)された方も多い。Oさんは,レッスンがきっかけで自分には「体を動かす」ことが必要なんだと感じて,今ではダンスに熱中している。もちろんダンスが趣味だという人はたくさんいるだろうが,彼女がダンスに目覚めたプロセスは「からだを開く」(私は殻を脱ぐとも思っているが)ってことなんだ。すごいなあと,私は思う。
その傍らで,頭で分かるだけで,ちっともからだが開かない私がいる。ただ,前回のレッスンで,もやもやっとしていて言葉にはできないけど,何かからだにひっかかってきたものがある。頭で分析することはやめて,次のレッスンで身を任せてみようと思っている。いつもながら,楽しみなような,怖いような・・・。

職場の隣の部屋でAさんが議論,というより相手を言い負かそうと声を上げているのが聞こえてきた。いつもの彼女の声より高く,とんがった声だ。えんえんと続くその論舌を聞いていると,内容の正しさは吹っ飛んで,彼女のその声から逃げ出したいという気持ちがわいてきた。壁を隔てた私がそう感じるのだから,彼女の前にいる誰かはたまんないだろうな・・・と思っていた。
直後にその相手とすれ違った。表情から「聞いてなかったな」と悟った。おそろしいほどの無表情。すべてのものをはねつけてやるぞという見えない,硬い殻がはりついていた。
私もきっとAさんのような声を出しているときがあるんだろうな。大事なことを伝えようという思いが強ければ強いほど,私のからだはイカツイテくる。そして,相手はそれを「支配」とか「押し付け」と感じてはねかえしてくる。
柔らかなからだ,やわらかな声――。いろんなこと,思い出して,なんだか涙が出てきちゃった・・・。


NAGIの不思議日記

秋晴れの日,県北のお墓に参った。―K婆のお墓。
K婆は私が生まれた頃から10年あまり近所にいて,よく可愛がってくれた人。母にとっては遠縁の姑的存在で,つらい思いもしたらしいが,私にはいつもやさしかった。日曜日にはK婆と映画に行った。夏休み,冬休みはK婆の田舎で過ごした。ホタルを蚊帳に入れてとばしたり,竹スキーで遊んだり,町育ちの私には楽しいことばかりだった。一番は,どんなときでもK婆は私の味方だったこと。
私の家は,夫婦仲がいいとはいえない父母と,体の弱い,大切な男の子である弟と,丈夫で我慢強い私の4人家族。私は表面とは別にさびしい子だった。そんななかK婆は無条件で私のことを可愛がってくれる唯ひとりの人に思えていた。
K婆は地方の旧家に生まれたのだけれども,丙午生まれだったので結婚せず職業人としていきる道を選んだそうだ。東京の学校に行って仕事に就いて,私の近所にいた頃はもう50歳頃だったらしい。K婆はそののちまた東京に行く。子どもって残酷なもので,中学,高校,大学と楽しい盛りを迎えて,私はほとんどK婆のことを思い出さなくなった。

K婆が再び私の生活の中に登場するのは,私が結婚して長女,次女と生まれたとき。仕事を持っている私は,夫の協力もなく,育児をどうしようかと悩んでいた。そんなときたまたまK婆が田舎に帰ってきたということを聞いた。次女のお守りをしてもらうということで,K婆に一緒に住んでもらうことにした。もう70歳になっていたと思う。キャリアウーマンだったK婆も,耳が遠くなっていて,融通の利かないおばあさんになっていた。K婆と夫と私と二人の幼児との生活は思ったほど容易ではなかった。いろんなことがあって,結局,K婆は田舎に帰って行った。K婆は血のつながらない跡継ぎの住む生家の離れで晩年を暮らし,最後はケアハウスに入って,心臓が弱って亡くなった。93歳だった。
K婆が田舎に戻ってから年に1〜2回は訪ねた。それは,K婆につらい思いをさせたのではないかという贖罪意識からだったと思う。最後に会ったのは,入院先。クリスマスが近かったので,大好きなチョコレートを持っていった。寝たきりのK婆は,歯のない口でチョコを食べてくれた。唾液と混じってチョコが唇のしわを伝ってあごへと流れていった。うまく説明できないけど,そのとき私は一気に「わかった」のだ。弱っていたK婆はチョコなんか欲しくはなかった,K婆は「わたしのために」歯のない口でチョコを食べてくれたのだと。K婆は最期まで私にやさしかった。長い間忘れていた思いが蘇った。
K婆が亡くなって何年もたつ。私の未熟さからつらい思いをさせたことに今でも悔恨の思いがわく。そんな中チョコを食べてくれたあの顔が私を安心させてくれる。
K婆の住んでいた離れは物置になっていた。墓参りを終えて坂を下ると,離れの刷りガラスの向うにてるてる坊主が透けて見えた。K婆がつるしたてるてる坊主。覚えている!私はてるてる坊主のことも。大切な思い出。忘れられないK婆。



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