今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
すべての声がわたしの中で合唱している。
すべての美がわたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、私から立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、私を静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
--「今日は死ぬのにもってこいの日」 ナンシー・ウッド著 より
団塊の世代は「巨大な老後」をどう生きるか、というテーマでリポートを書き続けている佐田智子さん(朝日新聞社)が、「ベビーブーマーたちの死生観・上(05年1月)」の中で紹介していたネイティブ・アメリカンの詩です。彼女の文章、まなざし、全部好きですが、この詩のことを、「団塊世代の死生観、死と生をめぐる柔らかな思想というようなものがあるとすれば、その一つはこの詩のようなもの」だなんて、団塊の世代はこんなに甘い、楽しい「死」を想い描いているのかしら・・・団塊の世代の一員としてどうも納得できませんでした。
人はなぜ、何のために生きているのか、もしかしたらあの人たちは答えを知っているのかもしれない。外からながめていただけでは解らない、その中に入れば本当のことが解かるかもしれない、と思ってキリスト教の洗礼を受けてすでに40年近い歳月が流れました。それでも本当のことは解からなくて、曖昧なままで放置している私にとっての大問題をこんなにも軽やかに、「今日は死ぬのにもってこいの日だ」なんて言われてしまっては、わたしのいままでの苦労はなんだったの?佐田さんには言えませんでしたが、今年初め、彼女から送られてきたリポートを読んだときそう思ってしまったのです。
2月、ペルーへ行き、ナスカの地上絵を見ました。現地を案内してくださった考古学者、阪根博さんは、地上絵の描かれた目的は、きっと死者に見てもらうためだったと説明してくださいました。あの世とこの世の人たちが一箇所に集まって交流するお祭りの日、死者の霊が天から地上に降りてきやすいように、目印になる巨大な絵を描いたというのです。
死者のために描かれたという阪根説は絵を上空から眺めたあとにお聞きし、とても納得できました。でもやっぱりこの時も、死を観念的に思考していただけです。
ところが父の病気に付き合うようになったこの半年のあいだに、いままで考えてもわからなかったことが随分納得できるというか、腑に落ちるというか、氷解していきました。
ネイティブ・アメリカンのこの詩はつまり、ちゃんと生きれば、その人生の完結として、祝福された死があるという喜ばしいことではないでしょうか。ちゃんと生きなければ、ちゃんと死ねないよ、という当たり前のことだったのです。
夏は、身体を温め、細胞を引き締める治療食は食べにくかったようですが、気温が下がるにつれて母が用意する食事にあまり不平を言わなくなりました。そして、すっかり元気になりました。完全に治癒したわけではありませんが。元気だったころとおなじような生活ができるようになったのです。
玄関に花を活けること、庭の手入れをすることは父の役目です。火曜日と木曜日は一日中囲碁です。ときには畑仕事もしますし、日帰りの小旅行にはもう何度もでかけました。
発病前と同じ生活ができるということは、家族にとってもこの上ない喜びです。
思いっきりわがままに、父は父を生き切って欲しい。そしてこの詩のように、死ぬのにもってこいの日、旅立って欲しい。あとに残された私たち家族はその日を喜びたい。
でもその前に、来年2月、父の誕生日には米寿のお祝いが盛大にできそうです。
父がガンになってくれたおかげで、2005年は、わたしの人生で特別輝かしい年として記憶されそうです。なにしろ何十年もかかって解からなかった難問が解けたのですから。
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