36 えと・おーるつうしん36号 [2004.09.30] ■竹内敏晴レッスン
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台風16号襲来日記    by N.K


8月29日(日)

大型で非常に強い台風16号が接近していると繰り返される気象情報。 心配しながらも、台風対策のためにすべきことを思いつかず今まで通りの休日を過ごす。

8月30日(月)

益々接近しているらしい台風に気をもみながら、午後3時から上映される「石井のお父さんありがとう」観賞のため倉敷芸文館へ。台風は気懸かりだが、だからといって外出予定を中止するほどでもないだろう。映画終了後、風が少し強くなったかしらと話しながら帰宅。家族揃って早めの夕食を済ませ、ただ台風情報を聞くだけ。
夜半眠りかけた頃、恐怖を感じるほど激しい風の音。台風が怖いと思ったのは始めてではないだろうか。一刻も早く通過してくれることを願うのみ。

8月31日(火)

夜が明けてまず一番に仕事場の様子を見に行く。大丈夫、植物はずいぶん傷んでいるけれど、私の店もご近所も見た目に被害はないようだと安堵して帰宅し気が付いた。樹齢15年くらいになる玄関先のレモンの木が倒壊しているではないか。

9月1日(水)

夏休みが終わって今日から仕事。八ヶ岳在住の写真家森元二太郎さんから台風お見舞いのファックスが届いていた。そんなに遠くの人に心配を掛ける台風だったの?我が家の被害状況すら把握できていない私は、この地域の深刻な被害にまだまったく気付いていなかった。序々に馴染みの人たちから被害の様子が知らされる。呼松地区の床上浸水を知ったのは夕方になってから。

9月2日(木)

古くからの漁港呼松の、バス通りを挟んだ商店や住宅では、膝まで、腰まで、おへそまでと家によってさまざまだが、とにかく一瞬にして床上浸水、畳が海水に浮いたという。被災した人たちを思うとても辛い。夕方、とにかく行って見た。庭先に止めている、私も見慣れたその家の車は「塩水に浸かってもう廃車です」という。
水島港の堤防近く、南畝の友人のお宅は、4反町の水田が堤防を越えた海水で浸かったそうだ。堤防の土手下には昔からの墓地がある。海水は堤防を越え、墓石を倒し、水田にまで流れ込んだ。墓石が積み木を散乱させたように倒れているという。

9月7日(火)

台風18号接近。16号の後始末に追われている最中の再びの台風襲来に呆然。

9月12日(日)

先週日曜日は被害の大きかった児島方面へ行き、海岸沿いを通ってみたが、玉野方面は全面通行止め。道路復旧の目途は立っていない。今週は玉島方面へ。物見遊山に災害の様子を見て回るなんてとんでもないと思いつつ、かつて阪神大震災の時、被災地の友人にお見舞いの電話をして、「何かできることは?」と尋ねたとき、「マスコミの報道ではなく自分の目で被災直後の街を見て欲しい」と言われたことがある。言われるままに、電車とバスを乗り継いで芦屋まで行くと、全壊した家や亀裂が入って住人のいなくなったマンションなど案内された。その時のことを思い出した。こんどは私の町の100年に一度という大災害、私の目でしっかり見ておこう。
寄島から勇崎方面へ海岸沿いに帰ろうとしたら、やはり全面通行止め。止む無く山越えして国道2号線に戻り、迂回して勇崎・玉島港へと車を走らせる。
前日の新聞一面に掲載されていた巨大なゴミの山を右手に眺めながら水島方面へ。
水島港、あちこちに大きな土嚢が積まれている。土手下の墓石の倒壊を見ながら海水に浸かった水田の方へ。順調ならあと一カ月もすれば収穫できる稲はすっかり枯れて白っぽくなっている。

9月13(月)

今日から被災地への救援物資の受付。水島支所では17日まで。ボランティアの人たちの素早い対応に感謝、感動。

9月14日(火)

床上浸水した呼松地区へいち早くボランティアで手伝いに来たのは、三菱自動車の社員だったと、素早い対応に地域の人たちは喜ばれたそう。高齢者だけの所帯では浸水して使い物にならなくなった家具など運び出すことも容易ではない。濡れた畳の重さときたら大人3人でもなかなか持ち上がらなかったと被災した人からお聞きして、若い社員たちの協力はどんなに心強かったことだろう。

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我が家では、裏山の果樹園が風の通り道だったようでかなりの破損。倒壊したり折れたりした木を片付けるのに一週間はかかりそうと夫。果樹園までの坂道や家の周囲には、雑木が折れて辺り一面散乱している。これらをほんの少し拾えば、この冬薪ストーブの焚き付けには困らない。
水島港の近くで会社を経営している友人に久しぶりに会った。「台風どうだった?」と聞くと、「塩水を被った機械の修理があれやこれやで1000万円位はかかりそう、でも会社の車が浸かって全部廃車になったり社員寮が使えなくなったりした知り合い(経営者)は疲労困憊しているわ」と、人を気遣う彼女にはまだ余力がありそうと安心。

彼女のお父さんは工業地帯予定地の海を造成工事した人で、小学生のころ完成したばかりの造成地に連れて行ってくれたことがある。海底の砂で造成されている埋立地には海底の美しい貝殻がたくさん散らばっていて、珍しい貝殻を夢中で拾った。たぶん昭和35年頃だった。
4反の田圃が海水に浸かった幼馴染の友人にはその後、家族の方は落胆していらっしゃるでしょうとお見舞い申し上げると、「台風はちっとも怖くないわ、怖いのは地震、地震で工場が破損されることが怖い」と。ほんと、化学、石油、ガス工場が林立する水島臨海工業地帯に隣り合わせのこの地域はその時どうなるのだろう。半世紀にも満たない、現代版バベルの塔はいつまで存在を許されるのだろうか。もし危険を予告された時、私たちはどう行動すればいいのだろうか。



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