2004年11月3日(祝・水)9:30−16:30
さんかく岡山(表町3丁目)
生き生きとリアルに生きるからだをもちたい。
自分が何を感じ、考えているのか、はっきりさせたい。
自分に中心がなく、人に左右されてばかりいるようで、自分が何なのか手応えがない。これがまぎれもなく自分だと言うものがほしい。
人の話していることばが自分のことばなのか、人のことばなのかはっきりしない、手応えのある自分のことばをもちたい……。
(東京賢治の学校,竹内レッスン紹介のことば)
3年前、「からだとことばのレッスン」に興味を覚え、当たって砕けろ、と竹内敏晴さんに岡山に来てくださるようお願いしました。正月明けしか空いていないと言われ、1月4日5日に講演とレッスンを企画し、無理やり引き受けていただきました。あとで竹内さんは、「まさか本当に正月に企画するとは思わなかった」と苦笑い。
そんな破れかぶれの始まりでしたが、それから毎年竹内さんはお正月明けにきてくださるようになりました。レッスンを受けるといかに日ごろの自分のからだが硬くなっているか実感します。がんばってるからだ、怒りでガチガチになっているからだ、外に向かって身構えているからだ・・・。そして、はっきりして大きいと思っていた自分の声が実は相手に伝わっていないこと、真のちからが備わっていないことに気づかされます。
レッスンの合間に竹内さんがしてくださるお話しにはっと気づかされたり、しみじみと身のうちにしみていくのを感じたり。竹内レッスンの時間は私たちにとって貴重な「生きる時間」となりました。でも年1回のレッスンではものたらない・・・。
のびやかなからだ、ほんとうの「わたしの声」を見出したいという私たちの気持ちが伝わって、今年は新たに2月に1日レッスンを開くことができました。そして、今回が2回目の1日レッスンです。
来年早々(おそらく1月末)には2日レッスンもありますが、秋の1日、自分のからだの声に耳を傾ける時間を持ちたいと思います。 定員20名です。先着順になりますので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。
参加費は、申し込み人数によって変わります(1万円前後の予定)。
詳しいお知らせは、お申し込みのあとお伝えします。
お問い合わせ・お申し込みは、п@090-1359-4400 fax 086-263-8400 まで。
竹内レッスンのこと
--TomatoNeko さんのホームページから
(TomatoNeko さんは竹内さんのホームページ「からだ2001」の管理者です)
レッスンでは、毎日の生活の中で知らず知らずに固まってしまったからだを目覚めさせ、そこから生まれる表現を探っていく。その過程には、身構えに気付き安らぐこと、他者に触れること、働きかけること、自分の声を取り戻すこと、ことばを吟味し表現することなどのレッスンが含まれている。
レッスンの中で、しばしば自分自身の内面に深く根ざした身構えに気付くことがあるのだけれど、それを乗り越えていくやり方が独特だ。竹内さんは、ただひたすら、正確に相手に触れ、働きかけるためにはどうすればよいか、それを伝えるために、その人の姿勢を吟味し、視線を吟味し、声を吟味し、ひとりひとりのからだが弾み出す瞬間を生み出すことに全力を傾けている。
わたしたちは、ときには一緒になってからだを動かし、ときにはじっと耳を澄ませてその人を見つめ、その瞬間に立ち会う。お互いに立ち会う。
(中略)
レッスンが始まると、深呼吸して、からだをゆすって、みんなで唄をうたう。たいがい童謡になってしまう。それぞれうたいながら、声の様子、からだの様子、その日のコンディションを自分なりにチェックする。ときには、ここから「唄のことばに触れる」レッスンに発展したりもする。
それから、二人組になって、一人が床に寝て、床に触れる自分のからだの感じを味わってみる。もう一人の人が、寝ている人の足下に立って、寝ている人のからだを見てみる。見るというより、感じると言ってもいい。その人のからだになったつもりで、感じてみる。それから、二人でお互いの感じたことを話し合って、いよいよ「からだゆらし」が始まる。
この先は、その日その日でやることが違うのだけど、ひとりひとりの声を探ったり、唄をうたったり、詩を読んだり、戯曲や即興劇をやったり。竹内さんの著書でよく紹介されているところでは、「呼びかけのレッスン」とか「出会いのレッスン」、「砂浜のレッスン」などもある。何が始まるかは、その場になるまでわからない。
でも基本は、やすらぐこと、相手やモノに触れること、そしてそれらに働きかけることだ。その先で表現するってこともテーマになってくるのだろうと思う。わたしの場合は、ことばにするなら、自分の存在がはっきりする感じ、それを自分自身に問いかけていく場だと思っている。
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