意を決してアシュラムへ
名古屋で民家を借りていたバグワン・シュリ・ラジニーシ(インドのグル)のアシュラム(瞑想センター)に集まっている人々は、これまた初めて会うタイプの人たちだった。みんな赤い服を着ていた。岐阜からきたというサラリーマンは言った。「ヒッピームーブメントにはのらなかったなあ」。エスニック風の衣装に身を包んだ化粧っけのない女性は言った。「わたしはのったわ。おもしろかった」。みんな饒舌だった。私はさっぱり話の内容についていけず、ほとんど一言も発せずに帰ることもあった。(初めてのところでは沈黙に陥る私のパターンだ)。でも、そこには知らない何かがあるそんな予感がして、通いつづけた。
自由だった
誘われるままに「○○セラピー」のような名前のワークショップに参加した。富士五湖のほとりや伊豆半島なんかに行ったような記憶がある。人といっしょに初めて踊った。振り付けはない。からだの動くままに。自由だった。腕を思い切り伸ばし、ぐるぐる回り、人を感じながら踊った。人前で、初めて「バカヤロウ」と人に向かって叫んだ。自分にこんな面があるなんて。不思議だった。たしかアメリカから来ていたファシリテーター(セラピスト)は、「愛」とか「ハート」とかいう言葉をよく使っていた。知らない女の子や男の人と手をつなぎ、ハグし、これが「ハートが開く」ということかと思った。それが「愛」かどうかは別として、自分の中にそんな開放的で気持ちのいい感情があることを初めて知った。自分は変わったと思った。
弟子になり、アメリカへ
そして、バグワンの弟子になることを決意した。「スワミ・サッティアム・ウパゲヤ」という名前をもらった。
バグワンがいるアメリカにも行った。「アメリカに1ヶ月行きたいので辞めさせてください」と辞表を提出したら3週間の休みをもらえた。アメリカでは、見知らぬ人たちとテント暮らしをしながら、ワークショップに参加していた。ヨーロッパを中心にかなりの数の人が集まっていた。スイスから来たという男性と知り合って楽しい時を過ごした。
マネージメントの悩みから「能動的に働くには?」という問いが生まれた
けっきょく1年半後に退職し、岡山に帰ることになった。婚約もしていたので「無職より就職を」と親戚の勧めで就職することに。「雑貨店主体のビルに改装するから責任者に」という話だったので、「小さな雑貨店の店長ならなんとかなるか」と引き受けた。刷り上った名刺を見たら「事業部長」だったのでびっくり。二日目でやめたくなったが、「引き受けた以上3年はやれ」という父の助言を受け入れ、けっきょく「軌道に乗るまで」と思いつつ5年を過ごした。
もちろん、そんな姿勢で仕事が順調に運ぶはずもなく、「社員が能動的に動き業績につなげるにはどうしたらいいのか?」と悩みだけは一丁前にあったが、具体的に打つ手が見つからずじまいだった。(このことは今やっている「らくだ教育」につながっていく)。
変わったと思ったのは錯覚でした
悩んでいたときワークショップに行こうと思った。富山だったか、京都の山奥だったか忘れたが、何年ぶりかに参加してみた。かつてのように気持ちよくなりたかった。しかし、気持ちと裏腹にしらけてしまった。ほかの参加者からは「なにこのサラリーマン?」という目で見られているのがわかる。なじめない人を見るときのかつての私がそうだったように。自分は変わったと思ったけど、それは錯覚みたいだった。環境によって引き出されるものが違うっていうことだった。
新婚旅行はインドに
話は戻って、入社半年後、インドに新婚旅行に行った。インドに戻ったバグワンに会いに行くためだった。特急の切符を買うために列に並んでいたら、キャリアウーマンらしき女性が「ここでは当日券は買えないのよ」と教えてくれた。けっきょく4等だか5等だかの板張りの椅子の鈍行列車で行くことになった。夕暮れの列車は混み合い、物乞いも入ってきた。中は暑く、お尻は痛く、5時間ほどの旅は奥さんには苦痛だったらしく、「あのときは、『なんで新婚旅行でこんなめにあわなきゃいけないの?』と思っていたけど、横で『夕日がきれい』とつぶやいたり、瓶に口をつけずに飲むジュースの飲み方を現地の人に教わって楽しそうにしているあなたを見たら何も言えなかった」と3年ほど経ってから怒られた。そんなことはつゆ知らず、私は1週間しかない日程すべてをアシュラム通いについやしたく、予約していたタージマハ−ル観光も現地でキャンセルしてしまった。1泊4千円もする高級ホテル(現地では)に泊まりながら、リキシャでアシュラムに通った。朝から昼は、マッサージを受け、アフリカンダンスを踊り、バグワンの講話を聞き、瞑想をし、夜はビールを飲んで暮らす生活に酔いしれていた。
夢のような生活から帰国すると下痢が待っていた。これも、奥さんには「新婚生活の始まりだと言うのに2週間も寝たきりだなんて…」と汚点らしかった。
会社に復帰すると、バンダナを巻いた見かけぬ男性二人が事務所に入ってきた。当時、岡山県川上町で「わら」という民宿を営んでいた船越康弘さんとコピーライターの木澤豊さんだった。この出会いが新たな展開につながっていく。(つづく)
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