29 えと・おーるつうしん29号 [2003.07.20] ■鳥山敏子ワークショップ
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口先徒然草14 「通信簿を見ながら、ぼやく !!!」   by T.S


 夏休みも本番で、小学5年生の長女と三年生の長男坊が夏休みに入り、2歳の次男坊は遊び相手ができて毎日のテンションが上がってしまい、なかなか賑やかな日々を過ごしている今日この頃です。
 いゃー、私が小学生の頃は夏休みは毎日が楽しくて、早朝は蝉とかカブト虫、クワガタムシを取りに山に入り、その続きでラジオ体操をする為に神社に入って遊び、昼は川で魚取りをして遊び、プールで遊び、夜は花火トカ西瓜を食べながら寝てしまう。そんな日程を8月末まで続けて、そして終わりの3日間で宿題を必死の思いで「付け焼刃」で終わらせていた。

 我家の子供達もその延長線上で適当に「良く遊び、良く遊べ」を実践しているように思える。 夏休みは、あくまでも子供達には遊びを通して楽しい体験を培う期間であり、これは今も変わってはいないと思う。
 でも、子供達を見ていて決定的に違うと思うのは終業式に渡される通信簿だと思う。今の子供達は通信簿に対してなんらのストレスを持っていない。少なくとも私が小学生であった頃に通信簿に対して感じていた、両親に通信簿を渡す緊張感とかプレッシャーを子供達は持っていなくて、非常に気楽に通信簿を渡すのである。

 理由は、通知簿の評価が曖昧で、「今一つ分からない」のである。
 私の小学生の頃は5段階評価で、毎月の試験の結果を背景にシビアな成績が付けられていて、その成績を見ながら両親の背後からメラメラと経ち上がる怒りのオーラとか波動を子供ながらに感じ、そして両親の怒りの鉄拳に恐れ、慄いたものだった。
 両親が怖かったのは時代的に昭和一ケタ・二ケタ世代で戦中・戦後の苦難の時代を活き抜き、自分の人生・活き方に自信を持っていたし、何事にも集中せず、約束を守らず、只只怠惰に勉強をサボっていた結果として付けられた我が子の通信簿の成績に対し、怒り狂うのは当時子供ながら理解は出来た。これは本当に。

 でもね、今の時代の小学生の通信簿は「アマアマの成績評価」だ。
 どんな理由でそうなったのかは知らないが、ものすごく曖昧でポジティブ思想の親なら誰でもが「我が子は素晴らしい。」と思える通信簿になっていると思う。
 そりゃ、おかしいぜ。
 少なくとも私が小学生の頃は、終業式にもらった通信簿を両親に渡すときは低く頭を垂れて、「どうかこのまま何も起きず、両親もいつもの穏かでありますように。どうかこのまま平安なままで、無事に寝床に辿り着けますように。」と心の中で祈っていたのだ。
 そして、そんなはかない願いはいつも無情にも破れ、「何だ !!! この成績は、いったいどうしたらこんな成績が取れるのか。」とか罵倒され、両親からの虐待に耐えながら一夜を過ごしていたのだょ。 君達のお父さんは !!!

 なーんて、思いながら。子供たちの通信簿を見て、どうも緊張感の足りない子供の態度が気に入らないのだょ。父さんは!!!

 別に、リアルな成績が載っている通信簿を見てだょ、私の両親がしたように「馬鹿モーン、この成績はなんだ !!!」とか怒鳴ろうとも思わないしさ、当時の両親からの仕打ちを子供達に向けようとも思わないけどさ。
 ただねっ、なんかねっ、この子供達の現代の希薄で安易な通知簿を見ているとさ、父さんがさっ、経験をした辛い辛い終業式の夜は一体何だったのだ。」って思うじゃないか。
 するとさっ、父さんは悲しいじゃないか。

 なーんて、思いながら。 それも口にもできず時代の流れを感じるんだょ、父さんは !!!
 子供達の通知簿を見ながら、時代の違いを感じ口先風に書いてみました。



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