29 えと・おーるつうしん29号 [2003.07.20] ■鳥山敏子ワークショップ
■体はほぐされるか?
■ふぞろい野菜村便り
■口先徒然草14
■旅物語 らくだに乗って
■作ってこわれて…


鳥山敏子ワークショップに参加して   by NAGI, TANAKA


 この小通信発信はもともと,鳥山敏子さん(賢治の学校代表)によるワークショップ・講演会のあと深まる思いを少しでもシェアしあうための感想集からスタートしました.今では,ご存知のように,多種多様の活動が紹介されていますが,それでも中心になって活動しているスタッフにとって,鳥山さんの存在は大きいものがあります.
 その鳥山さんが,もっと深くシュタイナー教育を学びたいということで,ドイツに行かれることになりました.60歳を過ぎた鳥山さんがまた一から学びなおそうというのです.
 私たちは,今年度最後となる「鳥山敏子ワークショップ」に参加するため, 6月「美作賢治の楽交」に行ってきました.



蛍の光と微笑みと                       NAGI

 「今日の私が一番若い」

 まっすぐ前を向いた鳥山さんの顔はいっそう輝いていた・・・.

 鳥山敏子さんは「豚一頭まるごと食べる」などで知られた,実践教育の人だった.子ども達による「みんなが孫悟空」の中国上演を終え,モンゴルの大地でねっころがったとき,彼女は小学校教師を辞めようと決めた.そして「賢治の学校」を起こし,一方で全国をワークショップの旅をしてまわった.
 10数年の間,鳥山さんは,親や子の,抑えに抑えた感情が爆発する,つらいワークにたった一人で立ち会ってきた.私は,その間数年,岡山で鳥山さんのワークショップのお世話をしたが,当時,ワークの最中の鳥山さんの顔は厳しいものだったと感じている.参加者の心の叫びを受け止めるなかで,自分自身も怒りや悲しみに満たされているのではという気がすることもあった.

 しかし,今回,岡山での今年最後のワークに参加してみて,以前のような,ぶつけ合う感情が重なり合ってさらに大きな怒りになっていくという場面はなかったように思う.
 今回も,ワーク対象者として「親が子の気持ちに気づいてくれないから,そしていつまでも自分の人生を自分のものとして生きてくれないから,子は,受け止めてもらえず,手本も示されず,どう生きていいのか分からない,一歩を踏み出せない」と親を責める子ども世代が名乗りをあげた.子どもらは,鋭く親に要求を突きつけ,親らがそれに反応していった.その中には実の親子もいた.すれ違うことばに,私は苦しくなっていった・・・.

 ひとしきり応酬があったあと,鳥山さんが静かに口を開いた.
 「親を責め,親を変えよう,と思っても,さてこの通り,親は生きてきた時代背景があってこれ以上どうにも変われないみたい.この親を変えなければ自分の人生がないといってがんばるのもあなたの人生の,ひとつの選択だけど,親は一生かけても変わらんかもしれないよ.そのうち親の方が死んでしまうだろうね.そのとき,あなたの人生はなんだったの?そういう人生が悪いというのではないの.それもひとつの生き方だから.でもつまんないよね.親に『自分の人生を生きよ』と言い続けているあいだ,あなたはあなたの人生を生ききれていない―もったいないよね.もう,親の事は見切って,自分の命を大切にしていく人生の方を選んだ方が楽しいと思うんだけど」

 そして,空海上人の書かれたものから「親を辞して師につく」という一節を引用された.
「いいかげんに親を離れ,自立し,新たに人生の師を探していく,そういうときがきてもいいね.親を責める人生は,親からも自分からもエネルギーを奪い取る.何もあとには残らない.自分の命を生き生きと燃やしたか,と問われると,悲しいよね.親を切り,自分で立って,孤独を引き受けて,生きることです」

 ああ,これは,鳥山さん自身の人生だ・・・.

 33歳のとき,竹内敏晴という師と出会い,それまでの自分を捨て,新たな自分を構築する旅に就いた鳥山さん.そして,60歳を越えた今,また新たな旅に出る.NPO法人としてやっと軌道に乗った賢治の学校を離れて.

 「いつまでも同じ人間がやっていたのではだめなのよ.破壊し,新生していく―そうやってどんどん生きた学校であり続けるの.それが真の学校よ.私のやり方が固定してはダメ,私を壊して新しい賢治の学校が生まれていけばいい」
 言いながらもう鳥山さんは次のステージ―ドイツでの学びにわくわくしているのだろう.新しい展開への喜びが伝わってきた.

 「今日の私が一番若い」 ― そう言うその顔は,くっきりとしてしかも柔らかく,慈愛に満ちてさえいた.私は,こんなにきれいな鳥山さんを始めて見た.
 そう――「今日の私が一番若いんだ」 私の体内にもそう思えるエネルギーが満ちてきた.
 「今を生きる・・・」 「本気で生きる・・・」

 ワークが終わって金堀の川辺に蛍を見に出た.
 となりの人の顔も見分けがつかないほどの漆黒の闇に,蛍の幻想的な点滅が広がっていく.
 鳥山さんから渡された蛍.手の中のその光を確かに受け止めたという実感で見つめた.ふと鳥山さんが「蛍の歌」を口ずさみ始めた.表情はほとんど見えないが,満ち足りた雰囲気を感じた.

 鳥山さんの歌声が続いていき,深い闇が蛍の光の点滅で濃淡を変えていく.
 静かな温かいときが流れていった.


 

鳥山先生を追いかけて                   TANAKA

 7時半。今から行けば間に合う。やはり鳥山先生に会いたい。先生の話が聞きたい。
 初めて、一人で車を運転して美作賢治の樂交に行く。昨日の雷雨から今日は晴天、ドライブ日よりになっていた。一こま目は9時スタートだが、9時半にはワークに加わることができた。

 昨日、久しぶりに鳥山先生のワークに参加した。鳥山先生のすぐとなりに座らせていただいて、鳥山先生のオーラをいっぱい感じた。自己紹介で、私は「鳥山先生が、ワークの時、それは親が子供を守っていることにならない。親が悪いと言ってくれた初めての人です」と言った。私の言う事を初めて分かってもらえる人に出会えたと、それから私は鳥山先生の追っかけをしている。

 親との関係だけでなく、子供の事、夫との事、ワークを受ける度に他の人の中から、色々と自分の中に入ってきた。でも重いワークになると、私のは、そこまで重くないな、そこにいる事が、申し訳ないような思いもすることがあった。
 でも、今回は、私にとって、すごく気持ちのいいワークとなった。ワークをしている人(その人に成りきっている人)にも、思い(苦しさ、辛さ、悲しさ)は充分感じながらも、なんだかみんな余裕があるように思えた。自分に起きている感情、湧き上がってくる感情を客観視できているように思えた。私も、その状況だったら、その人だったらと、一人一人の思いを充分感じる事ができた。
 そして、鳥山先生の話して下さる事が、一つ一つ私の心にしみてきます。

 「ワークで話すことはそれぞれの氷山の一角でしかない。でもそれがふれあって電気が走り、人の心をゆさぶる。人と人の間にあるもの。人と人が繋がって出来ていく」
 「悪い人はいない。人それぞれが、そこに生まれてきた意味がある。出来事も、何かの 意味を私達に投げかけている」

 日常に戻って生活をしていると、私の中の煩悩、欲、狂気がでてきます。鳥山先生にお会いすると、本当に大切な事は何か、忘れてはいけない事、自分の心に問いなさいと言われているように思います。
 この次、鳥山先生にお会いできるまで今日のこの思いを忘れないように。
 来年の秋、また美作賢治の樂交でお会いできるまで。
 ワークの間の、スタッフの皆さんの作ってくださった食事のおいしさ、鳥の鳴き声、木々の緑、風の心地よさ、本当に素直な気持ちになれました。場を作っていただいた前原さんに感謝。そして、名木田さんに感謝です。



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