自然農を実践されている方3人から、最近、同じようなことばが返ってきました。
まず「田んぼに出て行くと『自分の家』に帰ったような気がするの。元気になるんよ」と応える、ふぞろい野菜村の小野田さん。岡山市小串で野菜とお米をつくっておられることはみなさん、ご存知ですね。暑い中、田植えだったというので、さぞ疲れただろうと思って電話すると、声に張りがあります。えーっ?小野田さんは家にいる方が疲れるんですって?
その近くでお仕事の合間に田んぼをされているのは「倭公勇(いくお)」さん。彼からは、こんな考現学が届きました。
日曜日以来、4日ぶりに田植えをしに田んぼに出向く。八割がた済んでいるので、そんなに慌ててする事もないのだが、傍で見ている父と母は、早く済ませればいいのにと催促する。私の都合で、時間のある時にやっているのに、どうも気になるようだ。
仕事の合間を縫って、少しずつしていくのが私の楽しみだが、昨年から父が手伝ってくれるため、思ったより作業が早くはかどってしまう。ありがたいやら、悲しいやら。
自然農の米作りも今年で5年目。不耕起、無肥料、無農薬で作るお米である。つまり土を耕さないため、田植えは一本一本苗を手で植えていく。この作業が一番時間と労力がかかる。この作業に父も3年間は手出しをせず、見守っていたが、昨年からは、見かねて手伝ってくれている。私の労力は半減したので、大いに助かっているが、見かねて手伝ってくれるというより、父もしたくてしょうがないのではないかと思う。
実はこの稲、結構立派に成長するため、周りからはちょっとした評判なのである。
きっと父もその評判と出来映えに鼻が高いのだと思う。一見時代錯誤な、非効率的米作りだが、私にとっては,本当に心と身体の癒しになっている。
「自然農」、これは川口由一さんが使った言葉だが、耕さず虫や草を敵とせず、肥料、農薬を必要としない、生命の営みに沿った農というものである。
『自然農から農を超えて』(川口由一・ニュースクール叢書)の一節より
「全ての生命の始まりはひよわです。それを何とか強くしようと思ったらだめです。人の成長の過程でも、最初は何も分からず何もできない時期があります。僕自身もひよわな自分がいやでいやで、長い間劣等感に悩み、苦しみ、混沌の日々でしたが、真の生命の始まりはひよわなんだと、それで当たり前なんだと受け入れることができた時から心が安定していくようになりました。お米も始まりはひよわでいいのだと気付きました。しかし、いつまでもひよわではありません。どんどん強くなって、たくましく育ちます。僕はこの育っていく過程が一番好きなんです。」
私も、この川口さんの言葉の通り、たくましく育っていく稲の姿を眺めるのが大好きだ。そして自分と向き合い、生命の営みに感動し、喜びと、元気に満たされてくといった感じかな。
そして、自然農学びの会おかやまの八木さんからは、こんなファックスが。
こんばんは。お元気ですか?田んぼも5年目に入り、どんどん楽しく味わい深くなってきています。自然農には尽きることのない喜びがあるなあと感じる日々でもあります。
黙々と草を刈る・・・。夏の夕暮れ時。田に水を引きながら見上げる空。すがすがしく舞う風に吹かれて、一人で静かに苗の成長を見守る瞬間。理屈ぬきに感じる、いのちの一体感。田んぼは、川口さんの言われている「絶対界」へ誘ってくれる場でもあるんです・・・。
自然農を実践されている方にはなんだか共通項があるようですね。とにかく田んぼに出るのがうれしくてしょうがない・・・ってことがよくわかります。
興味がわいたという方がいらっしゃいましたら、
◆自然農学びの会おかやまの八木さん(電話・ファックス 086-463-3676)
◆ふぞろい野菜村の小野田さん(電話・ファックス 086-265-0683)
◆倭公勇さん(電話・ファックス 086-264-0591)
を訪ねてみてください。
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