2月にアフリカンダンスをしにアフリカ(ギニア)に行ってきた。いってみると、同じ地球上なのに、同じ人間なのに、どうしてこまで違うのかというくらい日本とは違っていてまるで夢の中にいるような1ヵ月間だった。私が感動したのは次の2つのことだ。
1つめは何もかもがシンプルだということ。物や人がありのままの姿に近い。女の人が外で上半身裸でも別におかしくないし、家は日本の「住宅」比べてなんだか箱のような感じ。物が少なく単純なので、何のためのものなのかがわかりやすい。そして暑いこの場所で毎日太鼓に合わせて踊り、大皿をみんなで囲んで手づかみでご飯を食べて過ごしていると「ああ私は、いるんだ」とダイレクトに伝わってきた。そしてここに来て今まで自分があまり生きている実感を感じることなく生きてきたのではないかと思った。
2つめは人間について。ここの人はみんな能天気で暇そうにしている。大勢の人がイエの前や道ばたに突っ立ってボーッとしていたり、何時間もおしゃべりをしたりしている。昼間だけかと思ったらオールナイトで朝の4時になってもまだわいわい騒いでいて、疲れを知らないようだ。ここの人たちは単純明快で「でも○○が・・・」などと考えている様子は無く、したかったらするし、したくなかったらしない。動物的とも言えるかもしれないが、ひとつ言えることはどう考えても日本の人より幸せそうに見えることだ。嬉しかったら歌って踊り、ムカついたら大人げなく大喧嘩をする彼らには迷いの色がない。
・・・確かに日本は経済・科学・医療の発展で何不自由なく恵まれていて、知識も増えて精神的な進歩もしているけど、その分野が思わしくないとされているここの人たちの方が潤っているような感じを受けた。このまま永久に科学を進歩させより快適で不自由ない社会を求めていくのと、それとも土から離れることなく本能に従って生きていくのとどちらがいいだろうか。本来人間はどうあるべきなのか考えさせられた。
3月で20歳になった。20歳になるのと同時に自分から見る世界が大きく変わり始めた。感覚としては今までよくつかめなかった物事が急に手ごたえのある実体としてつかめるようになり、今まで虫眼鏡で見ていたものが望遠鏡で見ているような感覚で全体的に捉えられるようになった、という感じだ。ずっと不安定だった状態が、今は安定している。今までの自分の世界が短期間のうちに、まるで目からうろこが落ちるようにボロボロと崩れ落ちていき、その先に新しい世界が築き上げられていくという経験は小学校6年生のあのとき以来だ。
今まで無限だと思っていたものが実は有限なのだという事がわかった。例えば時間や、一生のうちに出来る行為の数など。反対にこれまでの私は自分にすぐに見切りをつけていたが、自分の可能性が無限に開いているように感じだした。そして何年間も不安定だった自分の状態が急に安定してきたのでびっくりした。今まですごく悩んでいた事が急にちっぽけに見えてきて「こんなちっぽけなことで悩んで大事な時間をたくさん費やしていたなんてもったいなさすぎた!」と思った。
でも余計に苦しんだことだってきっと今の自分の糧になっているはずだ。これからは不安定に邪魔されることなくやりたい事がやっていけそうだ。
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