44 えと・おーるつうしん44号 [2006.01.30] ■竹内敏晴レッスン
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*最近のいろんなこと19*

実家の倉敷から兵庫県に移り住み、病院で音楽療法士として働きはじめてもうすぐ二年。一人暮らしの家の周りには自然がいっぱい。食べ物も風景も、季節感にあふれています。日々の中で感じたいろんなことを書かせてもらっています。

人生の風景

大学時代の親友が、愛知県の田舎に出稼ぎにいっていた。
そのつい前まで沖縄で馬のお世話をしていたと思ったら・・・。
彼女の行動力そして求めるものへの貪欲さには感服です。
彼女のブログを見ていると、“周りに面白い人たちがいるから楽しい”と書いてあった。
自然農で暮らしている夫婦、ヨガで話が合う人、この時期稼いだお金だけで一年間田舎暮らしをする女の子・・・見ているだけで、私も刺激をもらえる。
そういえば今、私の周りには、そんな人いないかなぁ。
なーんて思っていると、いろいろ考えにふけってしまった。
忘れていたけど大学生時代、就職が決まる一ヶ月前まで、私は就職なんてしない、と思っていた。青年海外協力隊でも行こうかと思っていた。
就職して自由が利かなくなるのが苦痛に思えて仕方なかったから。
でも、それを“逃げ”のように感じていたもう一人の自分が、あるときのちょっとしたきっかけで私を今の職に就かせた。
就職は、私にとって衝撃的な経験だった。職場にいると、安定した収入があって、結婚して子供ができて・・・という、なんとも安定したレールがぼんやりと見えてくる気がした。

・・・でも、でも、ちょっとまってよ。私はどういう生き方がしたいんだろう。
きっと、どんな環境にいるか、どんな人に囲まれているかで、人生の風景は大きく違ってくるんだと思う。何を一番大切にして、生きていこうか・・・もう一度、考えたいと思った。
・・・でも、大切にしたいものをいつも考えて、そのときそのときの選択をしてきたから、今私はここにいるのかもしれない、とも思った。


100年後私は

「最近は、何も考えることがないんですわ。息子のことも、家族のことも、今はもう何とも思わないんです。自分がこんな風になるなんて不思議なんやけど…」
最近職場で90歳のおばあちゃんと話をしていたとき、おばあちゃんがつぶやくように言った言葉。

キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という本を読み終わった。
何人もの死生観、死に至るまでの過程が書かれていた。
死に至る最後の段階では、人はこの世界のすべてのものと別れる準備を始める。愛すべき人たちからも、自分を切り離していく。だんだんと、“生きること”への思いや執着が薄れていく。
・・・おばあちゃんのことが、頭に浮かんだ。死んでいくこととは、そういうことなのだろうか?

最近ふと目に留まった新聞の『天声人語』に書かれてあった言葉。
『遠くのビルの窓を染めて、いつものように夕日が落ちてゆく。 
100年後の地上は、どうなっているだろうか。』

100年後、私は多分この世界にはもういないだろう。でもそれはそんなに遠くない未来であると感じてはっとした。死ぬまでに、自分の納得できる答えが見つかるのかな。その前に、たどり着くとは“答えが見つかること”なのだろうか。


あけましておめでとうございます

2006年になりました。
新聞を読んでいると素敵な言葉に出会ったので書き留めておきます。
二度とこない人生だから
一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう・・・
二度とこない人生だから
まず一番身近な者たちにできるだけのことをしよう・・・
二度とこない人生だから
のぼる日 しずむ日
まるい月 かけてゆく月
四季それぞれの星々の光にふれて
わがこころをあらいきよめてゆこう

詩人である坂村真民さんの詩。今年もいろんなことがあると思うけど、そのときそのときの出来事、出会う人、自分の中で湧き起こってくる感情を大切にしていきたい。そんな気持ちにさせてくれた言葉でした。

今年もよろしくお願いします。あなたにたくさんの素敵な出会いがありますように・・・




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