別れ 10.11
先週の水曜日、家の犬のクリが死んだ。それを知ったのは、金曜の夜実家に帰った時だった。
「あのね、あなたに言わないといけないことがあるの」と母さんが涙を浮かべながら、クリが寿命を生ききって死んでいったことを教えてくれた。半年前に、クリに悪性のガンが出来ていることがわかって、この夏が越せるかどうかというとき、クリのことが大好きなばあちゃんと私は、同じ夢を見た。毛が抜け落ち体中に大きな赤黒いできものが出来て、歩くのもおぼつかないはずのクリが、とってもきれいな毛並みになっていて、草原を走り回っていた。私は驚いて「クリ、どしたん!」と、夢の中で叫んだ。そしてばあちゃんと私はその夢が、きっともうすぐクリが肉体の苦しみから解放されて自由になることを意味しているんだね、と泣きながら話した。
クリは、がんばってこの酷暑の夏を越した。そして久々の秋晴れの日、太陽の下で機嫌よく日向ぼっこをし、その晩息を引き取った。私が実家に帰った時、小屋を覗くとクリの匂いだけが残っていた。死ぬって、どういうことなんだろう。つい最近まで生きていたクリが、いなくなった。想像でしかないけど、もし私が死んだとして、周りの人が悲しみにくれるとしたら、それは私はすごく悲しいと思うから、あまり泣いて悲しむのはやめよう、と思った。こういう風にして、愛するものとの別れをひとつずつ重ねてく・・・生きていた時よりも、今の方がクリの存在を強く感じるような気がする。
今日は、彼女のために歌を歌おう。
台風23号到来 10.20
寝たきりの患者さんの部屋を訪ねた。 彼は体を動かすことができず、話すこともできない。「こんにちは」と声をかけると、彼は私をじっと見ている。「今日は台風がすごいですね・・・」返事のできない彼の前でまるで私は独り言をいっているような気持ちになった。部屋にあるテレビから、台風の被害状況を伝えるニュースキャスターの声が響いている。私は黙って、しばらくの間彼と時間を過ごした。彼は一日中、天井を見ながら過ごしている。食事はチューブを通してする。体がかゆくても、暑かったり寒かったりしても、それを伝えることができない。毎日そんな日々が続く、きっと死ぬまで続くのだろう。
「また、来させていただきますね」と側を離れようとすると、彼の顔が急にゆがんだ。胸をさすると、顔が赤くなってきた。そして、涙がすぅーっと目尻から流れた。ティッシュで涙を拭くと、彼は目を閉じた。「また、来ますね」と手を握ると、精一杯握り返そうとする彼の手がガクガクと震えていた。
今頃彼も、このすごい風の音を一人で聞いているだろうか。
新潟で地震があった 10.23
うたた寝をしていたら、夢の中で私はおにぎりになっていた。そこに友達(人間)が通りかかったので、名前を呼んでいると、私は米つぶの集合体であるだけなので、友達は果たして私のことを「サチエ」と認識できるのだろうか、と疑問に思った。
冬眠中 10.24
なんでかこの土日は、時間さえあれば寝ている。友達がこの前作って食べさせてくれた、たまねぎのめんつゆ炒めが食べたくなって作ってみた。たまねぎを細く放射線切りにして、油をひいたフライパンで炒めてめんつゆと胡椒で味付けをする。食べてみると、あの初めて食べた時の感動が甦った。なんでこんなにおいしいのかしら。たまねぎの味の余韻に浸りながらうたた寝をしていると、その友達から電話があった。「たまねぎはケチャップで炒めても、焼肉のたれでも、お味噌汁にだってなんにでも合うからね」
私が、昨日から寝てばっかりいることを話すと友達は“寝かた”を教えてくれた。「かえるがちょうど仰向けになったみたいに足の裏と裏をくっつけて寝ると、股から気がすぅ〜っと抜けていって、腰が軽くなるよ」この寝かた、友達は自分で編み出したらしい。そして、地球の中心に向かうように、体を重力に任せて沈み込んでいくような感じで寝るんだって。
さぁ、今夕方の6時。その寝かたでもうひと眠りしようかな。
紅葉 11.14
近くの神社に行ったら、家族連れがお参りに来ていた。そういえば、七五三か。こけの生えた石階段の頭上を覆うようにしているもみじが、紅葉し始めていた。春からずっと緑色をしていた葉が、落ちる寸前になって真っ赤になる・・・不思議。なんでこんなに綺麗なんだろう。
野菜の産地直売のお店に行くと、少し前まではかぼちゃ、さつまいも、オクラなんかが並んでいたけど、今では大根、大きくてごろごろした里芋、柿、ゆず、そして水菜なんかが沢山出ていた。空気、実り、色・・・いろんなものが季節と共に変化していく。ゆずが安く買えたので、今日はゆず風呂にして入ろっと。
冬が目前だ。
|