OSHOに会って「感じる」ということを知った。
「天才をモデルにするのはやめよう」というタイトルで書こうかと思っていたのですが、それは先延ばしにして、人生最後のつもりで書いたらどうなるだろう? ということに興味がわいたので、そっちから書き始めます。
「蘇る空海 松岡正剛デジタルアーカイブ」というビデオを買ったけど、面倒くさくて一人では見ないので4人の人と見ることにしたのです。知人宅に集合、ビデオの前に山珍の豚マンでお茶をいただいていると、カウンターにあったタロットカードが目に入り、思わずやりはじめていました。箱には「OSHO ZEN TAROT」という文字が。「OSHO」といえば14年くらい前に亡くなりましたが、それより3年ほど前の新婚旅行を利用してインドのプーナまで会いに行った人です。その2年程前には、会社を辞める覚悟で3週間、シアトル近郊のキャンプに行っていました。
そこで、生まれて初めてという体験をいくつか味わうことになりますが、なにが一番残っているかというと「感じる」ということです。
話は知人宅に戻ります。懐かしくなって思わず昔話をしたら、「『感じる』ってどういうこと?」と聞かれ、「心を開いて感じたことを信じること。たとえば、このカードの解説書に書いている意味を信じるんじゃなくて、カードから受けた第1印象として感じたことから、そこで生まれた意味が自分へのメッセージだというような…」と言っていました。
タロットの名前を探すためにホームページを検索すると、亡くなる直前に「OSHOが去った後、彼のワークはどうなるのか?」という質問への答えが書かれていました。
存在に対する私の信頼は絶対的なものだ。
もし私が語っていることに、何らかの真理があるのなら、それは生き残りつづけるだろう。
その灯火は私のワークに興味を抱き続ける人々によって、ただ持ち運ばれていくことだろう。
誰も他人に何も押しつけることなく。
私は私の人々へのインスピレーションの源でありつづけるだろう。
私は彼らに自分自身で成長してほしい―
そのまわりに、どんな教会も作れないような愛の質を育み、誰の独占物にも決してならないような覚醒の質を育み、祝祭に、歓びにあふれる質を育て、そしていつも清らかで子供のような眼を持ち続けていってほしい。
私はみんなが他の誰かに従うのではなく自分自身を知ってほしい。
そしてその道は内側にある。
かつてこんな言葉を読んでは、わくわくしていたものでした。今でも、「教会を作らない」というところや「誰の独占物にもならない…」というところは私の指針になっています。それは、権威や教義に走らない、とか、自分の中から生まれ出たものはだれにも邪魔されることがないというところです。
私の好きな感覚は「ふっと」
この「らくだに乗って」も28回目を迎えました。「らくだ」とは「らくだ教育」の「らくだ」です。「らくだに乗って」どこに行くのかはいまだにわかりませんが、いちばん好きなのは、「ふっと」という言葉です。
算数プリント(らくだ教材)を何度もやっていると、考えているのかいないのかわからないけど、答えが自動的にやってくるという瞬間があります。単純な計算ほどそうです。とくに私が好きなのは、足し算や引き算の筆算です。大人がやってもミスが多かったり、時間がかかったりとけっこうむすかしいプリントなのですが、習熟してくると「ふっと」答えが浮かんでくる感じなのです。
それから、「らくだ教育」にかかわる学習コーディネーターは「考現学」というものを書くことが研修になっています。「書く」という行為の種類は千差万別ですが、「考現学」は「ふっと思ったことを書く」ので、内容はなんでもいいのです。そこが、私の好きなところです。
昔から「考える」というのは苦手だったのですが、「ふっと思ったことを人にわかるように書く」ことで、「考える」ということができるようになってきました。「どうしてそれが浮かんだの?」などと自分にインタビューしていくことで頭の中だけで考えるのとは違う結果が出てきます。それまで「考える」と頭の中でこんがらがるので、「頭の良い人しか考えることができない」と思っていました。でも、今はだれでも考えられるし、考えることはおもしろいと思っています。それも、わからないことほどおもしろい。人にわかるように心がけるけれども、わかる・わからないは結果だから気にしないという軽さもいいのでしょう。
かつて、「感じる」を重視していたときは、「考える」を毛嫌いしていました。ところが、「ふっと思ったこと」を書いてみると、「感じる」と「考える」はリンクしていて切り離せないもののようなのです。「ふっと浮かんだことには意味がある」のです。万人にとっての意味かどうかはわかりませんが、少なくとも自身にとっては、そこから指針になる言葉が生まれてくるのです。
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