34 えと・おーるつうしん34号 [2004.05.20] ■「自転車でいこう」
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「ぼけ」て幸せって本当?    by H.K


最近、専門病院や特別養護老人ホームなどで、痴呆のお年寄りにお会いすることがしばしばある。
中小企業の元社長で、少々偉そうだが、常に周囲に対して目配りをしている男性がいた。税理士だった女性は男社会で過ごしてきたというだけあって、男性ばかりの談笑の輪の中の方が居心地がいいらしい。決して厳密な意味での会話が成り立っているわけではないのに、皆さん楽しそうだ。不幸にして痴呆となったものの、それまでの人生での積み重ねを生かし、今という時間を楽しく過ごされているように見えた。
その一方で、いつも憂うつな表情を浮かべ、独り言を繰り返したり、廊下をひたすら「はいかい」する人、常に何かにおびえ、他人に対し攻撃的な物言いをする人も決して少なくない。

さまざまな「ぼけ」のかたち。違いはどこから来るのだろうかと思い、専門医に尋ねてみた。答えはこうだ。「主な症状としての物忘れや言語障害は、皆さんほとんど同じです。ただ、周囲に自分を受け入れてくれる環境が整っているか、いないかによって、言動・行動上の障害が出てくるか、そうでないかが決まってくるんです」
現代の医学では、痴呆は脳が病的な変化を起こすことで、回復が難しい知能障害をきたし、日常生活が難しくなった状態とされている。国の推計では、アルツハイマー病などの増加で、現在150万人がかかっており、2015年には250万人まで増える、としている。実に5人に1人がかかるメジャーな病気なのだ。

ところで、私たちは「痴呆の本人は、ぼけているから『幸せ』だけれど、周囲で世話をする人間は本当に大変」と軽口っぽく話すことがないだろうか。私は痴呆の身内とかかわった経験がないので、介護する苦労は分からないが、その大変さについては容易に想像できる。介護疲れから虐待、果ては殺人に至る不幸なケースも少なくない。だが、「本人がぼけているから幸せ」というのは全く違うらしい。
先の専門医によると「記憶は失われても、感情は残る」のだという。物忘れがひどくなることで「自分はどうなっていくのだろうか」という不安が増し、常に周囲に対してマイナスの感情を抱いてしまうのが、痴呆患者の心理的特徴だそうだ。そして、はいかいや奇声を発する、食物以外のものを口にする−といった、言動・行動上の障害は、痴呆による直接的な症状ではなく、自分をなかなか受け入れてくれない周囲の人たちとの感情のあつれきがもたらす結果なのだという。痴呆が「関係性の病」ともいわれるゆえんだ。
だとすると、どのように痴呆のお年寄りに接すればいいのかは、おのずと見えてくる。痴呆ケアは今、決して患者を否定せず、できる限り時間をかけて思いを知り、一人一人の要望にこたえる方向へシフトしようとしている。私たちの身近でもよく見られるようになった少人数制の「グループホーム」は、こうした考えに基づくものだ。

あれこれ書いたところで、ふと、自分自身が痴呆になったらどうなるのだろうか、と考えた。痴呆がきっかけでまわりの人が離れていくのは、本当に怖いだろう。それまで自分自身に対して抱いていた劣等感、周囲への不満といったマイナスの感情が、形を変えて一気に吹き出るかもしれない。「かなり面倒なタイプの患者になるのでは」と不安になってしまった。

将来、一定の確率でわが身に降りかかるかもしれない「痴呆」。周囲の人との関係によって症状が良くも悪くもなるこの病気について考えることは、自分自身の生き方、人との関わり方を問い直すことにつながるのかもしれない。


 【注】「ぼけ」という表現に不快感を示される方がおられたら、ご容赦ください。「呆け老人をかかえる家族の会」のように、痴呆患者の家族も、その症状の特性を社会に伝えるため、あえて「ぼけ」という名称を使っています。





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