取材者としてかかわっていたつもりの「えと・おーる」に文を載せることになろうとは。思いもしなかった展開にちょっぴり戸惑うとともに、普段とは少し違う視点で「書く」ということに、新鮮さを感じています。
きっかけは昨年末、山陽新聞の記者として竹内敏晴さんの講演会の準備ミーティングを訪れたこと、と理解しています。その日は講演会のテーマでもある「からだが発することば」について、出席していた皆さんがそれぞれの思いを述べていました。普通、取材する人間はあくまで傍観者的な態度を崩さないのが常ですが、その日の私はなぜか、皆さんの話の内容にいたく体が反応してしまったのです。その様子を見逃さなかった司会者の方が発言の機会を与えてくれたため、思いを述べさせてもらうことになったのです。この文章もその時の発言の延長かもしれません。
ここでは「ことば」を生業としてきた私が、仕事上感じていた「からだとことばのズレ」について、少しだけ書いてみます。
以前私がいた部署では、スポーツを取材対象としていて、それこそオリンピックから小学生の大会まで、「勝った、負けた」に関する記事を書いていました。そこにはもちろん、さまざまな人間ドラマがあるのですが、競技として取り扱っている以上、やはり勝つことに価値を見いださざるを得なかったのです。
確かに記事によってヒーロー、ヒロインを「つくる」ということも大切なことで、それが人々のあこがれとなり、ファンや競技人口の拡大につながったりします。ただ、元来運動が苦手だった私には、絶対的な勝者への賛辞よりも、そうでない人が培ってきた、目に見えない努力に焦点を当てたいという思いが強かったのです。けれども、そんな隠れたいい話は本当に隠れてしまっていて、なかなか書くことはできませんでした。ある意味、体で感じる言葉を発することが難しい状況だったのです。
昨年9月から現在の文化家庭部という部署に移り、どちらかといえば勝った負けたとは縁遠い、市井の人たちの営みを記事にすることが増えました。現在月2回連載している「スローでいい 本当の豊かさを探して」では、ひたすら効率を追い求めてきた現代社会の中で、「決してそうじゃないよ」と声を発している人たちを紹介しています。つい先日は、えと・おーるにも文を寄せているあきたゆうこさんの「とらいあんぐる体操教室」も紹介させてもらいました。
岡山でも体操界でトップを目指す子どもは、小学低学年から毎日6時間以上の練習をしたりしています。でも、とらいあんぐるではそうした「強い側」の子どもではなく、むしろ体操が苦手だったり、体にハンディのある子がやってきて、それぞれのペースの中で「できる喜び」を見いだしています。1回しか縄跳びができなかった子が4年たったら100回跳べるようになり、今は二重跳びに挑戦している。そんな地道な努力が、高度なウルトラC(現在はEですが)の成功と同じようにほめたたえられる場の空気に、個々のペースにじっくりと寄り添うあきたさんの「スロー」な考えを見ました。そして運動の苦手だった私は、その考えに共感することで、久しぶりに「からだが発することば」で記事を書くことができたと思っています。
仕事として書いていると、どうしても自分が本当に書きたいと思っている内容とは違う方向へ流れてしまいそうになることがあります。常に、「これは本当に自分のからだが発していることばなのか」と自問自答していくことが大切なんだろうな、と強く感じる今日この頃です。
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