25 えと・おーるつうしん25号 [2002.11.25] ■「竹内敏晴講演会」ご案内
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NAGIの不思議日記から             by NAGI

8月末,ぎっくり腰になった.それが少し良くなったかなと思った頃,我が家の飼い犬,ガオ(メス,柴雑種,10歳)が死んだ. 4年半前の交通事故で下半身不随,高齢でもあったが,前日まで元気だったので,突然の別れはショックだった.
 ガオは,息子と私が2時間ほど留守にしていた間に,急に意識不明状態になっていた.目はかっと見開かれ,前足はまっすぐに伸びて,ただ息だけが荒く苦しそうだった.
 病院に運び込んで,緩和剤注射,点滴,導尿を受けた.

 「もう脳はだめになっています」と言われた.回復できないことはわかったけれど,毎日,病院に連れていって,点滴とビタミン注射を受けた.家では,指示されたように氷で体を冷やし,開けっ放しの目に点眼していった.治療のおかげか,息遣いはやわらかくなり,なんだか気持ちよく寝ているような状態だった.
 そして, 4日目,東京からもともとの飼い主である長女が戻ってきて看病した.その夜不思議なことに,それまで乾いていた目が涙でいっぱいになって――息をひきとった.

 ガオが亡くなったあと,私の中の悲しみは日を追うごとに大きくなっていった.罪悪感と後悔が押し寄せてきて,自分の感情を持て余した.
 実は,倒れる1週間前,尿がおかしいので,獣医に見せていた.診断は軽い糖尿病ということだった.でも,よく見れば飼い主の私にはそれは違うということがわかっただろう.今は,ガオは膀胱炎になって,最後は尿毒症で死んだとわかる.結果的に病気を放置されて,まずい糖尿病食を食べさせられて,死んだことになる.

 近所の人たちは,交通事故のときの治療,そのあとの,車椅子の発注,日頃の世話,倒れてから死ぬまでの看病などを見て「よくしてやったわねえ,ガオチャンは幸せだったわ」と口をそろえて言う.しかし,夫が単身赴任してから次第に私にとってガオの世話が負担になり始めていたこと,最後は自分の腰痛もあってガオから「気」が離れていたことを,何よりも私自身がよく知っている.私の中によけい苦い思いがあふれてきた.
 私はガオが与えてくれたものの何分の一も返していない――.今更後悔しても仕方がないのだと言い聞かせても,車に乗っているとき,仕事をしているとき,夕食の準備をしているとき,涙は前触れもなく流れ出す.治りかけていた腰は,悪化と回復の波を繰り返しながら,逆に悪くなっていった.

 その中で,私はガオのことを書き始めた.その一部は,毎週「えと・おーる」のホームページに載せた.根拠は無いが,ガオのことを気の済むまで書ききらなければ,おさまりがつかない――腰も治らないだろうと思い込んでいた.私はもう腰を積極的に治療することをやめた.座れないくらい痛いときも,パソコンの前に行ってガオへの思いを書き続けた.そして,書くにしたがって,ガオが我が家にとって「特別な犬」であったことがますます意識されていった.

 ガオは,今から10年前,長女が中三の秋,生後1ヶ月のとき我が家にやってきた.
 その年の夏,私たち夫婦は壮絶なけんかをした.家の中はギスギスして緊張した雰囲気だった.
 今はわかる,こういうときの一番の犠牲者は子どもたちなのだと.でもそのころの私はそんな気遣いをするゆとりもなく,感情の渦の中にいた.
 この,家庭の雰囲気は,思春期と受験を迎えた長女にとって,特にキツかったと思う.反抗的になり,親子の間のトラブルも増えてきた.
 口数が少なくなっていく長女のことがさすがに心配になって,彼女の心を少しでもほっとさせることができたらと思い,犬を飼うことにした.最後まで反対する夫を説き伏せて,貰ってきたのは,ひきとり手のなかった,顔が真っ黒の,しょぼくれた子犬だった.
 以来,なぜか我が家に「問題」が起こるとき,ガオが「何か」をしでかした.
 我が家の再構築は,ガオが来た日に始まり,10年という年月を経て,我が家に一つの区切りがついた今,ガオは去っていったように思われてならない.

 ガオのことを2ヶ月書いた.書きながら,思い出し,後悔し,悲しみ,泣く.でも,書く.
 そうやって書き続けて,ある日ふっと「もういい」と思えたときが来た.
 グリーフワーク(悲しみを癒す作業)ということを聞いたことがある.大切な存在を失ったとき,人はどのようしてその悲しみを癒すのか,様々だと言う.身近な人と悲しみを分かち合う,音楽による癒しというのもある,旅という方法もあるらしい.私の場合は「書く」ことが,グリーフワークだったらしい.

 ガオが倒れたとき息子が,こんなことを言った.
 「ガオが死んだら,おれが学校から帰ってきたとき迎えてくれる人がいなくなる」
 一瞬耳を疑った.あまり世話をしない息子からこんなことばが出ようとは夢にも思わなかった.
 「おれが門を開けると,ガオが喜んで近寄ってきて甘えてくる・・・うれしかったなあ.頭とか首をなでていると,学校で起こったいやなことがだんだんと薄らいでいくんだ」
 息子によると,特に中学校の頃,ガオの出迎えによって,ずいぶん心が慰められたとか.誰もいない家に帰ってくるとき,時には,すさんだ心をもてあますこともあったのだろう.ガオは息子のこころにも安らぎをもたらしてくれていた・・・.

 私にとって犬を飼うのはこれが始めてではない.でも,この犬ほど家族と共にいることを喜びとし,それをを日々全身で伝えてくれた犬はいなかった.

 ガオは, 10年の間「子育て」を通して自らの生き方を問い直していった私たち夫婦にとってよき伴走者だった.そして,使命を終えて,3人の子供たちに温かい思い出を残して,旅立っていった.――そう思うと,ぎっくり腰にも,何かの意味があるようにも思える.
 腰の痛みがゆっくりと引いていき,こころの痛みも和らいでいくにつれ,「ああ,私の10年が終わっていく.つらくて腹立たしくて情けなくて,でも,喜びにあふれたすばらしい10年が終わっていく.人生が,一つの区切りを迎えたんだ」という実感が湧いてきた.

 今はじっと寝ていよう.寝ながら,この10年を思い出し,じっくりと味わおう.次の10年がどんなものになるかは分からない.自分が何をしたいのかも分からない.でも,ガオという存在を私たち家族に寄越してくれた大いなる存在に感謝し,信頼していこう.

 朝,ガオの遺骨に水をあげ,手を合わせる.「ありがとう,ガオ」
 それは,自分を取り巻くすべての存在への感謝の気持ちかもしれない.



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