11月が始まってもう中頃を過ぎて、ジタバタしていると直ぐに末が来て師走だ。師と呼ばれる人達が走り回る時期に入ってしまう。でも、今年もあと1ヶ月だょ。早いねぇー。
先週から時々だけど、時間があまるといろんなお店に行く。先日はイオンに行ってぶらぶらとお店を見て廻った。もうクリスマス商戦に入ってるね、ケーキ屋さんもクリスマスケーキの注文用紙が氾濫しているし、トイザラスもクリスマス商品が並べられてジングルベルも流れていて、クリスマス商戦の雰囲気が一杯だった。
天満屋に行っても地下売場では、11月初めから「おせち料理」の見本が「ドーーン」と並べられて、予約を受け付けている雰囲気だ。
なんだが年末の気忙しさが、1ヵ月早くに伝わって来る感じで一般消費者を追い立てている感じだな。きっと、彼等にとっては「クリスマス」とか「年末」「忘年会」「おせち」って言葉は商品に写るんだろうな。
この分だと忘年会も11月中旬から始まるのかなっ。
完全に「忘年会」って名ばかりの飲み会、大騒ぎ会になっちゃったな。確かに忘年会の予約受けつけとか、忘年会のお知らせが10月下旬に電子メールとかFAXで入り出している。忘年会の意味合いとか、時期的な価値観って変わってしまったのでしょうか。
お酒があまり飲めない私個人的にとっては、なんだか無意味な時間を過ごしているように思えて、最近はこの手合いの忘年会には参加しないことにしている。
別に、個々の「忘年会」に意味付けとか物語を求めている訳でもないし、メールマガジンのストーリにしたいと思ってるのでもないけど、なんだか意味の無い事に時間とお金を使ってるように思える。きっと、城内はその分「頑固爺」の分野に入りつつあるのでしょうね、きっと。
昭和の40年代のころ。私の親父が大工をしていた頃の忘年会って、一通り大掃除が終わって、それから職人仲間と棟梁が皆で鍋(あの頃は「すき焼き」だったな)などつついて,12月30日とか大晦日にしていたと思う。今年も1年無事に活き抜いたことについて、1年間働き続ける事が出来た事について、掃除をしながら道具にも、皆で感謝しながら忘年会をしていた.本来の忘年会って、こんなんだろうと思う。
今はそんな感覚が変わって来てる。それが「良い」とか、「悪い」とかとは思わないけど忘年会の意識って変わっちゃったな。このような価値観って時代の流れで移り行くものなのでしょう。単に、酒飲んで、くだを巻いて、少し騒いで、何となくだけど連帯感らしきものを感じながら、適当な時間を過ごしてるな。
もう、一通りの全てを終わらせてから、掃除も、おせちも、散髪も、全てを終わらせてからの忘年会って無くなったのかもしれない。
「ともかくも、あなた任せの、年の暮れ」
一茶の句です。
晩年の年寄りの一茶が一人で年末にするべき大掃除から始まる一連の作業を終えて、後は一人静に「あなた任せ」で大自然に全てを任せて年の暮れを向かえる様子を句にしたものです。
ある程度の忙しさから離れ、丁寧に掃除などし、簡単なおせちとか門松の用意をし、全てを終えて家族で忘年会をしながら、そして心静に正月を迎える作業を一度は体験したいと思ってます。
ここ最近の忘年会の案内が届く度に、ふとそんな事を考える城内であります。
でも、忘年会の予定があったら、一応は声を掛けてね。
なんか、仲間外れにされたようにも思うので・・・。
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