今年の夏も、たくさんの出会いがありました。たくさんの人と出会って、たくさんのものに出会って、今まで知らなかった自分にも出会ったような感じがします。
私は、自分を苦しめている大半の原因は、甘えなのではないかと思うようになりました。
自分で働きかけていかないくせに、思うような結果がでなかったらすねたり、物事をいつも一歩引いたところで眺めて、文句を言ったり軽蔑したりしていました。そして、自分の欠点を探し出しては「もうだめじゃー」「何で私こんなんなん」と毎日のように責め続けていました。
認めたくはなかったけど、何かあるごとに自分のこの未熟な部分を認めざるを得なくなってきました。いかにもという理由をつけて、実は私はいつもふてくされていたのです。そしてそういうやり方で周りの人の注意を引こうとしてきました。
最近、時々悩みがない状態になることがありました。心が軽く拍子抜けして落ち着きませんでした。そしてその状態になると、できていないことやだめなところを探し出そうとしている自分に気づき驚きました。私はずっと、重苦しさの中に自分の安心感を求めていました。・・・悩みは増やそうと思えばいくらでも増やせる。私は今まで悩みを作り苦しむことで周りにいる人に愛を求めていた。でも、もう終わりにしよう。私は求める人ではなく、与える人になりたい。ちゃんと自分に責任をもって生きていきたい!
自分が苦しむことによって、どんなにたくさんのことをないがしろにしてきたかがわかってきました。明日のことを心配することで、今吹いている風や木のざわめきに耳を傾けなかった。どう思われているのかを心配するあまりに、今目の前にいるあなたを見ていなかった。
私は小さいころから「今はつらいけど、将来は絶対に幸せになる」と思っていました。最近までそう思っていました。今苦しんでおけば、明日は笑っていられるかもしれない。今笑っていることができたら、きっと明日も笑っていられるんだろうなぁ。
私は踊っているときが幸せです。今年の夏は、いろいろな種類の踊りをやってみました。アフリカンダンスのほかに、盆踊り、舞踏、野口体操などをやってみました。盆踊りは、白石踊りと松山踊りに参加しましたが、白石踊りが素晴らしくとても感動しました。アフリカンや盆踊りは音楽と体の動きに陶酔して高まりの中で到達する踊りで、舞踏や野口体操は空間、呼吸、自分の内部に意識を集中させ静けさの中で到達する踊りなんだという風に感じました。どこに到達するかというと、自分の正体というか・・・もっと大きいものかも知れません。
先日東京の、野口体操を取り入れたダンスをされているお友達の所に遊びに行ってきて、そこで少し教えてもらったので私なりの解釈で紹介します。この踊りには2つの特徴があって、1つは余分なエネルギーは使わず自然に任せる、2つはまわりとの関係を持ちながら踊るということです。
まずは寝転がって体の力を完全に抜き、他の人がその人の体のいろんなところを動かして、どう動くのかを観察することから始まりました。そのほかとても薄い和紙を大事に大事にふわふわとみんなに(みんなと言っても3人しかいませんでしたが)回していき、次は和紙をなくして、でも和紙があることを想定して隣の人に渡していきます。この動きは、やっている本人は和紙があると想定しているのですが周りから見たら和紙は見えず、その人だけの踊りに見えます。とても美しいです。他にも体の中を球がうごめく踊りをしました。
このように「本当はないんだけどあると想定して踊る」というのがこの踊りの基本(?)のひとつみたいです。踊っているなんとも言えず気持ちよかったです。しかしそれと同時に自分の体なのにあまりにも自分の体について知らなさ過ぎるし、不自由さを思い知りました。もっと自分の体のことを知りたいなぁと強く思った体験でした。
・・・(岡山県周辺で)野口体操や舞踏について、知っている方がおられましたら情報をください。
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