えと・おーるつうしんを読み始めたのは、99年頃だったでしょうか。
つうしんに掲載されているイベントに参加して、出会った人も何人かおられます。
その後、竹内レッスンが岡山で開かれるようになり、レッスンの感想を何回か書かせていただきました。
現在、私は「岡山言友会」という吃音者(どもり)のセルフヘルプ・グループの一員として、ささやかな活動をしています。月1回の例会と年1回の吃音相談会を通して出会った吃音者たちとどもりの話をし、その人の生き様を聴かせてもらうなかで、自らの生き方を再検討しています。
また、職場では、「心の病である」と医師から勝手に診断された人たちと断片的なつき合いをさせてもらっています。工場労働から医療労働への転身であり、当初はとまどうことも多かったですが、“患者”といわれる人たちとのつながりに支えられ、14年が過ぎようとしています。
その間、さまざまな出会いと別れがあり、その過程のなかでの緊張、当惑、喜び、楽しさ、悲しさなどの経験は、民間企業の生産現場ではなかなか味わえないものでした。
将来のビジョンは特にありませんが、これからも吃音者や「精神病」といわれる人たちとつき合いながら、自らの生き方を見直す作業を続けていきたいと思っています。
ただ、最近、感じることは、さまざまな出会いと別れのなかに、たまたま「死」という別れのかたちがあり、自分の「死」もそのなかのひとつにすぎないということです。
先祖が耕してきた畑を私も耕しながら、土に還る準備をしようかな。力強く。
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