50 えと・おーるつうしん50号 [2007.02] つうしん一覧
「えと・おーるつうしん」の歩み

50号目次


「はこべ会」 “便利な暮らしより 安全な暮らしを”   by N.K

ガンで、右腕切断手術をしたのちも左手で作品を描き、発病から亡くなるまでの2年間に数多くの優れた作品を発表し、35歳で亡くなった画家、三橋節子さんの生き方に感動した人たちと、「三橋節子回顧展」を開催しました。1992年春のことです。
開催の目的は「三橋節子の生き方を通して、いのちの尊さを共に考え、わたしたちを取りまく環境問題の認識を深める。」ことでした。そのとき活動の中心となったのが廃油石鹸を作り販売することです。
「植物油脂や動物油脂から作った石けんは廃水が分解されやすい。
水中の微生物バクテリアがよく食べてくれるからです。
合成洗剤を“清潔病”にかかった人達が使いすぎると、日本中の川から
魚や虫、鳥など、いのちあるものの姿がしだいに消えてゆくかもしれません。」
という説明を添えて。展覧会は好評で、新聞は大成功と報道してくれましたが、
“いのちの尊さを共に考え、環境問題の認識を深める”という開催目的は、展覧会が終了しても終わりません。
翌年(93年)から、よりよい暮らし・安全な暮らしを考える「月刊はこべ」を発行しました。こちらもまた同じような目的で、
「わたしたちが生きてゆくために必要な、すきとおった川と森が年々少なくなっていきます。わたしたちと子供のために、もう一度、わたしたちの生活のすべてを考え直してみるときがきているように思います。わたしたちの“はこべ”が、今、ほんとうに大切なのは何なのかを考えるのに役にたてば、と願っています。」
と購読者を募りました。
この月刊誌の発行は2年続きました。
これらの活動を通して、わたしの、環境問題への認識は深まったといっていいでしょう。
でも知っただけじゃどうにもならない、“深まった認識”を、わたしの生活の中にどのように根付かせ、実践していけばいいのでしょうか?

廃油石鹸は作り続けています。手作りですので出来上がった石鹸の大きさは様々、1個100g〜130gですが、100円で販売しています。その売り上げは平均一月3000円くらいで、ケニアにある孤児院へ送金しています。孤児院からは、定期的に子供たちの成長を記した通信が届きます。わたしが廃油石鹸を作りはじめて20数年たちました。その頃とは社会全体の取り組みも随分かわって、廃油はガソリンに代わる燃料としても利用されるようになりました。でもまだ台所廃油の処分に困っている家庭もあると思います。関心のある方、一緒に作ってみませんか?

最近うれしいこと、

自分の受け持つ生徒たちが、卒業して、障害者年金をもらう人になるよりも、仕事をして、税金を払う人になって欲しいと熱く語っていた福田南中学の養護教諭、西幸代さんが「ジョブコーチ」をスタートさせて2年くらいたったでしょうか。

私の店にも、倉敷養護学校で高校1年生の石浦君が「仕事体験」で来てくれるようになりました。私の店はティールームです。「お客さまが気持ちよく寛げる場所にしたいので、(わたしの苦手な)お掃除をしてください。」とお願いしました。すると、申し訳ないくらい丁寧にガラスを磨いてくれます。石浦君は、中学生の時からガソリンスタンドで仕事体験を続けているので、車を磨くことなどとても慣れているようです。私の店での体験は、昨年暮れから始まったばかりですが、彼の真剣に取り組む姿には毎回感動させられます。放課後、一時間だけの体験ですが、一心不乱と言っていい仕事ぶりです。
何度目かに、店の仕事とは関係ないけれど廃油石鹸のラッピングをお願いしました。幅の狭いラップで石鹸を包み、セロテープで止めるという作業ですが、どうも上手くいきません。ジョブ・サポーターとして彼に付き添っているボランティアの女性が、彼が左利きだということを思い出しました。彼女は右手で作業を教えていたのです。左手にかえるとどうにか上手くできるようになりました。何度目かにきれいに包めて、「やった!できた!!」と声にして喜ぶ姿にわたしもうれしくなりました。
石浦君を取り巻く人々、ご両親・教師の方々・ジョブサポーター、すべての人々の暖かい眼差しを感じるとき、わたしもなんだかふしぎに暖かい気持ちになれるのです。
家族に愛され、大切に育てられた石浦君は、これからもきっとたくさんのことをわたしに気付かせ、学ばせてくれるでしょう。石浦君に会う日がとても楽しみです。



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