鳥山敏子講演会 思春期の子供と『出会う』

 2001年12月1日、福浜パイロット地区推進協議会総括大会が開かれ、そのあと、東京賢治の学校代表、鳥山敏子さんの講演会がありました。
 鳥山さんは、家庭や教育の問題について多くの著書を著し、テレビなどでもコメンテーターとして活躍されている方です。この講演会が実現した背景には、今年度活動の一つに教育講演会を加えたいという福浜中学校PTA学年部役員の強い要望がありました。「自分たちが今本当に聞きたい話」をしてくれる講師を呼びたいという思いから人選し、交渉、保護者への呼びかけなど、役員が協力して進めていきました。また、せっかくの機会だからと、中学校区以外の一般にも開放することにしました。その結果、県北から来られた方々も含め300人もの方が参加されました。
 準備は大変でしたが、役員一同、意義ある会だったと思っております。以下、鳥山さんのお話の要旨です。


鳥山敏子講演会要旨



「思春期の子どもと出会う」

今回、「思春期の子どもと出会う」というタイトルでお話をいたしますが、私はこういうとき「そのためには先ず大人がどう生きていくべきか」と考えてしまいます。


・目先の利益ではなく、子どもの未来に何を残せるかを考えて生きていますか
  ―綾町のこと

 宮崎県に綾町というところがあります。この町は、以前は「夜逃げの村」と言われていました。
 食べていけないほど貧しかったのです。
 この村には、のちに日本一言われる照葉樹林がありました。あるとき国の政策で、この照葉樹林の木を切って売るという話がでました。村人が賛成する中、たった一人、町長の郷田実さんは反対しました。「こんなに貧しいのになぜ?」と村人は郷田さんを非難しました。しかし、郷田さんは「この村の自然は、かけがえのない財産」だからと、みんなを粘り強く説得していきます。県や国とも戦いました。他に現金収入の道をさがして、いち早く有機農法に切り替えました。
 その努力が実って、綾町は「有機野菜の村」「日本一の照葉樹林の村」「清流の村」として、何万人もの観光客が訪れるところになりました。町民の生活は豊かになりました。

 ところが、そうやって築いた町が、今また変容しつつあります。「有機」が儲かるとなると、エゴがでてきます。もっとたくさんの有機野菜を作ってもっと儲けよう、大量生産するためにこっそり化学肥料を使う農家が出てきました。また、電力会社からのお金につられて、照葉樹の山に送電線を通すことにもなりました。

 今、日本全国どこを見ても、どの大人を見ても、似たようなことをやっていますね。自分の金儲けのためには平気でうそをつく、自然を破壊する―子どもは、それを、そういう大人の姿を見て育っています。

・親の「エゴ」で子育てしていませんか

 私は、長年小学校教員として、子どもが生き生きと学んでいけるような授業を実践してきました。教科書に頼らない、たとえば、みんなで河原に出かけていって地球の成り立ちを考えるとか、豚1頭まるごと解体して、命のしくみを知るとかいうような授業をしたりしていました。子どもたちは、そういうとき、ほんとうに生き生きと学ぶんですよね。でも、そのうち年を追うごとに子どもたちの元気がなくなってきました。
 どうしてだろう、と思っているころ子どもたちと「孫悟空」の劇を上演することになりました。

 これは、最後は中国まで公演に行ったりして、足掛け3年かかわりました。みんなでひとつの劇を作っていく中で、私はほんとうにさまざまな「親のエゴ」を見てしまいました。子どものためと言いながら、親は自分の満足や欲望で動いていました。「ああ、子どもたちの元気のなさは、ここにも原因があるのだ」とわかりました。親同士の関係で問題が次々に起きてきました。ねたみ、比較、不安、怒り、日頃は隠している様々な感情が表に現れてきました。家庭の問題も噴き出してきました。
 いくら学校で子どもたちと向き合っていっても、親が変わらなければ、この状態は変わらないと、悟った私は学校をやめ、賢治の学校をつくり、親子の問題に正面から向き合う場としてワークショップを開いてきたわけです。

 子どもが思春期を迎えるころになって「問題」を起こすのは、親としてあんたの生き方はそれでいいのか、と突きつけてきているといっていいでしょう。子どもを責める前に、自分と向き合う必要がありそうです。私は自分に正直に生きているのだろうか、夫や姑と向き合っているのだろうか、自分は本当に幸せなのだろうか、と。

・子どもが「今」を生きることを許していますか。

 東京都立大学の学生を前に話したとき、一人の学生が言いました。「小学校のころは、いい中学校に入るため、遊びたいのをがまんして塾に行った。中学校に入ったら今度はいい高校に入るため勉強しろと言われた。高校でもいい大学に入るためずっと勉強した。そうやって、したいこともがまんして今までがんばってきたけど、東大へは入れなかった。今、都立大学に入って分かったのは、不況で東大を出ても就職がない時代になったということ。今まで『将来のために』といってがんばってきたのは何だったんだろう。何のために勉強してきたんだろう」。

  「先のために」といって、子どもたちに今を犠牲にした生活を強いていませんか。「今」を生きれない人が将来生き生きとした人生を送れるとは思いません。

・あなた自身本気で生きてますか。

 私は、小さいときから「楽しいこと」「本気になれること」だけをやってきました。野山で遊ぶときなんかまさにそうですね。遊びに夢中でした。そうやって本気で楽しいことしてきたから、大人になってもつまらないことができません。今楽しいことしかしないんですよ。
 それで、お金も自分のものと思ったことがない。したいことに使うんです。たとえば、映画作りですよね。残したいと思うものがあれば、持っているお金を全部使って映画を作ります。さきほどお話した綾町のことも映画にしましたよ。お金を自分のものと思ってないから執着がありません。お金がなくなったらもう映画も作れないでしょうと言われるかもしれませんが、いいようにできているんですね。

 作った映画を見てくれる人がいる。上映会が開かれ、またお金が戻ってきます。そのお金でまた映画が作れます。お金って本来そういうものですよね。誰かが溜め込んで流れなくすると、お金は本来の役目を果たせません。
 お金はあった方がいいですが、それにとらわれてしまうと「今」を心から楽しんで生きるということができにくくなります。子どもたちに必要なのは、お金よりも目を輝かせわくわくして本気で「今」を生きている大人の姿ではありませんか。

・「大人」として人生観を持っていますか。

 昔は、食べるのがやっとでした。情報もありませんでした。人が精神的にも豊かに生きるという人生は、一部のお金持ちのものでした。今は違います。そういう意味では「こころ」の問題を考えることができるようになったのは、豊かになった証拠ですね。
 その分、今の子どもは、昔のように生活していくための「戦い」からは解放されましたが、「心の戦い」にさらされることになっています。そんな子どもたちに親がしてやれることは、人生の先輩として、自分の人生観といったものを示してやることではないでしょうか。
 そうやってかんがえてみると、思春期の子どもに出会って起きる問題は、子どもの問題というより大人自身の問題ではありませんか。

 大人がまず『本気で生きる』ことです。本気で生きる大人に、子どもは出会いたいのです。

 会場では、参加者にアンケートもお願いしました。

「ことばではなく自分の生き方で子どもに伝わるものを大切にしていきたいと思いました」
「本当に子どもの幸せを考えているか、と言われてはっとしました。忙しさのなか、自分自身の心の中を見ることを見失いがちです。親としてまず自分がどう生きようとしているのかを考え、実践することで子どもにかかわっていきたい」

 などという思いがつづられていました。


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